ひとりよがり。

日々のことや思い出などを書きます。
個人的な覚え書き、日記のようなブログです。

財産になった遠い涙のこと。

2020-09-19 01:35:00 | 日記
幼稚園に入る前だったと思うので
多分
3歳の時だったと思います。

駅から家に帰る途中、
私は喉が乾いて泣きました。
横には
母が歩いていましたが
手を繋いでいたかどうかは
覚えていません。
ただ
はっきり覚えているのは
母は
私が泣いていても
何も反応しなかったことです。
心の中では
「うるさい」とか
「泣いても水はない」とか
「わがまま言わないで」とか
「いいかげんにして」とか
いろいろ思っていたのかもしれませんが、
母は
何も言わなかったのです。

そして
別のある日
母が台所で洗い物をしている横で
私は泣いていました。
理由は覚えていません。

ただはっきり覚えているのは
この時も
母は何も言わなかったことです。

幼稚園に入ってから
私は幼稚園バスに乗りたくなくて
泣きました。
バス内の先生は
私を引っ張り
母は
泣いて抵抗している私の背中を押し、
バスに押し込みました。

多分、
それらの経験で
私は母に対して
泣いても無駄ということを
学んだように思います。

泣いても無駄ということは
学んだけれど

幼稚園で
すぐに泣く女の子たちが
うらやましくて
わざと
泣いたことが一度あります。

おとなによっては
子どもが泣くことは
とてもイヤなことなのだと思います。

でも
子どもが泣くことは
とても大事なことだと思っています。
泣く子は育つと思っています。

私は
泣くことをあきらめた子どもでしたので
上手く育たなかった。
けれど
こうして生きているのだから
子ども時代(まだお腹にいる時かもしれません)のどこかで
しあわせだったのかもしれません。


そして
泣いても無視された経験から
母をゆるすのに
ずいぶんと年月がかかりました。

消せない負の記憶のことで
相談した時
算命学の先生から
「今さら年老いた母親に
過去のことを話しても
何も良いことはない、
今まで通り、良い娘を演じていれば良い」と言われて
とても楽になりました。

実は
本当は心の底ではゆるしていないのかも
しれません。

けれど
私は彼女の良いところを
よく知っているし
尊敬もしています。

滞りなく
抜かりなく
介護もします。

きちんと娘の役割は
果たすつもりです。

無視された悲しい涙のことは
私にとって
財産と思えるように

半世紀以上も経って
やっと
なりました。









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