遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

アルカリ性体質

2024-08-24 15:44:42 | 肺癌

マジですか?

赤ちゃんから老人まで、人すべて、

毎日5000個のガンができて、免疫で消えていく

てのは、癌はできるけど、

アルカリ性体質なら消えるわけね?

 

だからやっぱり、

抗酸化作用の強い野菜スープを毎日とりなさい、

てわけだ。

スープも飽きるんだよねえ。

 

 

 

21日、22日、23日の、わたしのランチ。

朝食は食べない習慣で、

朝昼兼用食。食べるのは10時半から11時頃。

見栄えとかまるで気にしない写真。 ↓

 

21日、冷やしうどん。

麺つゆは使わず、生姜とゆずポン酢。

茹で野菜とゆで卵、極小梅干しとキムチ。

 

22日、お素麺。

出汁は、生姜と梅酢を薄めたもの。

揚げナス、ピーマン、トマト。←全部自家製

 

23日、急に食べたくなって、有り合わせカレー。

玉ねぎがなかった。

鶏 にんじん ジャガイモ こんにゃく!

バーモントカレー中辛が非常に美味しく感じた。

ご飯は土鍋炊きの冷凍したもの。

 

上は、たまたま、この3日間の写真だけど、

もっとマシな、

バランスの良い料理を作ってることも少なくない。

お肉やお魚とか、多種類の野菜サラダとか。

 

にしても、今週は暑くて、

冷たい麺しか受け付けない日が多かった。

 

夜はお米や麺など糖質を抜く時もある。

脂肪肝、だからね。

甘いものは食べないから、

お米や麺やアルコールが良くないのかな、ということで。

 

やっぱり、食べ物よね。

あと楽観的な気持ちよね。

 

 

さて、2階の部屋の片付けもの、再開しよう。

 

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余命はアテにならない

2024-08-05 00:59:46 | 肺癌

「余命はアテにならない」がん専門医に聞いた《余命の誤解》ステージ4は末期がんではない
8/4(日) 8:02 Yahoo!ニュース  85
 


 ドラマや映画ではよく、がんになった人物が“余命”を告げられてショックを受けるシーンが登場する。しかし現実には、余命を超えて長生きするがん患者も多く逆に余命を聞いたばかりに寿命が縮まってしまう人も多いとか。「なぜ余命はアテにならないのか」、がん専門医に聞いた。

【グラフ】「余命1年」の場合の実際の生存期間

「医師の言う余命はアテにならない」

 がん治療の過程では、がんの進行や高齢を理由に手術ができなかったり、抗がん剤が効かなくなるなど、積極的な治療が難しくなる場合がある。このようなときに、患者本人や家族が知りたくなるのは、「あとどのくらい生きられるのか」、すなわち余命だろう。

 ところが、知りたい一方で、余命を告げられてショックを受けない人はいない。患者や家族にとって何よりつらい状況だ。

 がん専門医として数多くのがん患者を治療してきた帝京大学福岡医療技術学部教授の佐藤典宏先生は、ズバリ「医師の言う余命はアテにならない」、さらには「余命は聞かないほうがいい」と断言する。

「例えば、余命1年と言われた患者さんが、3年、5年、10年と長く生きることがあります。また、逆に余命よりも早く亡くなる方もいます。医師の言う余命は、過去のデータや経験を根拠にしてはいますが、実際には個人差が大きく、ぴたりと予測するのは不可能。信じる必要はないのです」(佐藤先生、以下同)

 問題は、アテにならないにもかかわらず、余命を聞いてしまったばかりに、貴重な時間を鬱々と楽しまないで過ごしてしまう人が少なくないことだという。

 

 なぜ、そのような問題が起こってしまうのか。それは、医師の余命の考え方と、患者側の余命の受け取り方にズレがあるからだ。

「医師が『余命』と言うとき、同じようなステージの患者のデータと経験から『生存期間の中央値』を想定しています。中央値とは、例えば、99人の患者を対象にする場合、生存期間の順に並べたときに中央に位置する値のこと。つまり、余命とは50番目に亡くなった患者の生存期間にすぎない。平均値のようなものなのです」

 ということは、仮に「余命1年」と言われたとしても、半数の患者は1年以上長く生きるということになる。

 余命の概念を示した上のグラフを見ると、生存期間の範囲は非常に幅広いことがわかるだろう。

 医師はこのような図を頭に置いて余命を告げているが、受け取る患者側はそうは思わず、「あと1年の命」とか、「せいぜいもってもあと1年」などと、悲観的にとらえてしまうのだ。

「余命は聞かないほうがいい」が良い理由

 佐藤先生自身は、先生のほうから患者に余命を告げることはないという。

「医師としては、『余命は聞いてほしくない』というのが本音です。もっと正直にいえば、聞かれても『個人差が大きいのでわかりません』と答えたいところです。知りたいという患者さんには、説明を尽くしてお話ししますが、問題は、多くの患者さんが診察室で『余命』という厳しい言葉を聞いたとたんに、頭が真っ白になってしまうことです」

 すると、たとえ、そのあとに医師が「あくまでも推測の中央値であり、長く生きる人もいます」と説明したとしても耳に入らず、余命の数字だけが頭にこびりついてしまう。

 実際に、それまで食習慣に気をつけていた人が、悲観的になって食事をきちんととらなくなることもあるとか。また、意気消沈して家にひきこもり、足腰が弱って、かえって死期を早めてしまうようなケースも少なくないという。

「ですから私は、『余命は聞かないほうがいい』とお話ししているのです。いろいろな事情で余命を聞いておきたいというお気持ちもわかります。ただ、テレビドラマや映画では、よく患者が医師に『あと何年、生きられますか』と尋ねるシーンがありますよね。そのせいか、余命は聞くものだと考えて、つい同じように聞いてしまう人が多いのではないでしょうか」

 ドラマや映画には余命に関して別の問題もあるという。

 例えば、2007年にドキュメンタリーが話題になり、その後、関連書籍がベストセラーになって榮倉奈々主演で映画化された『余命1ヶ月の花嫁』。末期の乳がんに侵され、余命1か月と宣告された24歳の女性の夢は、ウエディングドレスを着ること。

 その夢を叶えるために友人たちが彼女と恋人との模擬結婚式を行い、その1か月後に亡くなるというストーリーで大きな反響を呼んだ。

 また、今年1月から放送された連続ドラマ『春になったら』(フジテレビ系)は、膵臓がんで余命3か月とされた木梨憲武演じる父親と、3か月後に結婚式を控えた奈緒演じる娘の3か月間を描いた。この父親もまた、3か月後に亡くなっている。

 さらに、今年の5月に放送された『生きとし生けるもの』(テレビ東京系)で渡辺謙演じる肝臓がん患者も余命宣告を受け、そのとおりに世を去っていった。ドラマや映画では「余命3か月=3か月の命」になることが多いのだ。

ステージ4は決して『イコール末期がん』ではない

「実際は余命より長く生きる人も多いのに、ドラマや映画の影響で、余命宣告どおりになると思ってしまう。むやみに寿命を恐れるよりも日々をよりよく過ごすことに気持ちを向けたほうがよいのではないかと思うのです」

 現在、余命の告知のしかたについて明確なガイドラインはなく、個々の医師の裁量に任されている。

「実際、ぶっきらぼうに患者に伝えてしまう医師もいますしね。もし不本意な形で余命を知ったとしても、医師の言う余命は中央値というばらつきの大きい範囲内での予測であり、アテにならないと理解しておくことが大事でしょう。特に最近増えている高齢のがん患者の場合、体力の個人差が大きく、余命を予測するのはより難しいです」

 余命と同じように、がんの「ステージ4」という言葉も誤解されやすいという。

「ステージ4について問題なのは、『イコール末期がん』ととらえてしまう人が多いこと。しかし実際には、ステージ4でも仕事や家事を続けながら、5年、10年と過ごしている人もいます」

 そもそもステージ4とは、一般的に「がんが他の臓器に転移している状態」をいう。しかし、小さな転移が1か所にあっても、10か所以上にあってもステージ4になる。また、ステージ4の定義はがん種によって違う。

 つまり、同じステージ4でも、状況は人によって大きく異なるのだ。

「今は次々と新しい治療法が開発されています。治療がうまくいけば、ステージが3や2に下げられる場合もあります。このような誤解についても、ドラマの影響があるように思いますが、ステージ4は決して、『イコール末期がん』ではないのです」

 もちろん、がんが見つかったときにはすでに有効な治療法がない、かなり進行したケースもないわけではない。ただ、そういう場合でも大事なのは、あきらめずに少しでも全身状態をよくしておくことが大切だという。

「例えば、食事に気をつけて便秘を予防するとか、運動を続けて筋肉の衰えを防ぐとか。そんな心がけは決して無駄にはなりません。私の経験でも、余命やステージにとらわれずに過ごしている人のほうが、長生きできる人が多いように感じます」

 ある50代の男性は、ステージ4のがんでも筋トレを続け、5年以上たつ今も治療を続けながらも健在だという。

余命に負けない暮らし方とは

 また、大腸がんステージ4と診断された70代の男性も趣味の油絵を続け、展覧会を開いたことが話題になった。難しいがんでも、患者会をつくって全国のがん患者との対話を続けている女性もいる。

「2人に1人ががんになるという時代、自分が家族が、いつ余命に向き合うことになるかわかりません。でも、できるだけ筋力を維持すれば行動範囲も増やせるでしょう。そして、本人がやりたいこと、やれることを続ける。そんな日々を積み重ねているうちに、『気づいたら余命を過ぎていた』と思えるような過ごし方ができるとよいのではないかと思っています」

余命に負けない暮らし方

・できるだけ身体を動かして筋力の衰えを防ぐ

・身体によい食事をあきらめずしっかり栄養をとる

・やりたいこと、やれることに積極的にチャレンジ!

取材・文/志賀桂子 

佐藤典宏先生 がん専門医。外科医。YouTube「がん情報チャンネル」を開設するなど、がん情報を積極的に発信している。著書に『がんにも勝てる長生きスープ』(主婦と生活社)など。

  

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癌は幸せな病気?

2024-07-17 19:36:00 | 肺癌

なぜ「がんは幸せな病気」と言われるのか…末期がんの森永卓郎さんが「そのとおり」と実感するワケ

7/17(水) 8:17 Yahoo!ニュース  263
コロナ禍で取り組んだ「一人社会実験」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/yamasan

 


経済アナリストの森永卓郎さんは2023年12月にすい臓がんのステージIVであることを公表した。「よく『がんというのは幸せな病気だ』と言われることがあるが、闘病中の今ならその意味がわかる」という――。

 

【写真】森永卓郎氏の著書『がん闘病日記』(三五館シンシャ)

 ※本稿は、森永卓郎『がん闘病日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。

 

 

■川勝平太知事の職業差別発言に思ったこと

 静岡県の川勝平太知事(当時)が2024年4月1日、県庁職員への訓示のなかで次のように述べた。

 「県庁というのは、別の言葉でいうと、シンクタンクです。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかということと違って、基本的に、皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです」

 この発言に対して、「職業差別だ」「職業に貴賎はない」といった世間からの非難が殺到し、川勝知事は発言を撤回するとともに、辞意表明を余儀なくされた。

 たしかに世間の反応は当然のことなのだが、私の受け止めは違っていた。

 「この人は農業をやったことがないんだな」

 私はそう思ったのだ。実際にやっていれば、農業がいかに知的な仕事かということが自ずとわかるはずだからだ。

■コロナ禍で取り組んだ「一人社会実験」

 新型コロナウイルス感染が広がった2020年、厳しい行動制限のなかで、私も多くの仕事がキャンセルになったり、リモートワークに変わった。

 そのため自由になる時間が大幅に増えた。一方、それまで毎週のように通っていた群馬県昭和村の体験農業も感染予防のために参加できなくなった。

 新型コロナがいつ落ち着くのか見通しがつかない。そこで私は「一人社会実験」に取り組むことにした。

 それは、どれくらいの面積の畑をやれば、家族が食べられるだけの野菜を自給できるのかということだ。

■野菜の種類は20種類を超えた

 何冊も本を読んだのだが、どこにもその答えは書いていなかった。

 妻が家のすぐ近くの農家に頼み込んで、とりあえず1アール(100平米)の耕作放棄地を借りてきてくれた。それを鍬一本で耕して、土を作ることから私の一人農業が始まった。

 トマト、ミニトマト、ナス、シシトウ、ピーマン、キュウリ、レタス、キャベツ、ネギ、タマネギ、ジャガイモ、サツマイモ、オオバ、スナップエンドウ、トウモロコシなど、植え付けた野菜の種類はどんどん増えていき、20種類を超えた。

 そして、調子に乗った私は、スイカやイチゴ、そしてメロンにまで作物を広げていった。

■1アールもあれば、家族が食べる分は十分自給できる

 人間は欲深いもので、2年目からは面積を倍増して2アールの畑をやることになった。そして、3年間の経験でわかったことは、1アールもあれば、家族が食べる分は十分自給ができるということだ。それと同時に痛感したのは農業がいかに難しいかということだった。

 大自然が相手だから、絶対に思うようにはならない。雨が襲い、風が襲い、病気が襲ってくる。虫や鳥や動物も襲ってくる。それらと闘うために、柔軟に作戦を変更し、作物を守っていく。

■カラスとの知恵くらべが続いている

 スイカの栽培を始めた初年度、収穫直前のスイカが軒並みカラスにやられた。カラスはスイカが熟れる時期を正確に判断して、収穫直前にクチバシで突いて、食べてしまったのだ。

 私は、カラス対策として、スイカひとつずつにU字型の園芸支柱をクロス掛けにして、そこに網を張り、クリップで止めた。それ以降、被害は止まったのだが、翌年、またカラスにやられた。網の下から頭部を突っ込んできて、なかに入られてしまったのだ。

 それ以降、どんどん進化するカラスとの知恵くらべが続いている。

 そうしたさまざまな努力を重ねても、私の技術力不足もあって、予定どおり収穫に結びつけることができる確率は5割程度でしかない。

■「ブルシット・ジョブ」より農業のほうが知的で人間的

 しかしだからこそ、無事収穫に至ったときの喜びは何にも代えがたいほど大きいのだ。

 じつは、私がいま耕作している畑は全体では1ヘクタールくらいあって、その一部を7~8人のメンバーで分担している。大部分が定年後のサラリーマンだ。

 彼らに「なぜ農業をしているの」と聞くと、帰ってくる答えは「だって楽しいじゃないか」という。

 いま大都市で広がっている仕事は、コンピュータの指令の下、マニュアルどおりに働く「ブルシット・ジョブ」だ。それらの仕事と農業のどちらがより知的で、どちらがより人間的かは、議論の余地がないのではないか。

 農業には厳しい結果責任がともなう。いくら頑張っても自然に翻弄されてしまう。しかし、その自然と付き合う手段は、すべて自分で選択できる。

 どのように土を作るか、なんのタネや苗を植えるか、支柱をどう立てるか、芽掻(めか)きをどうするのか、追肥(ついひ)をどうするのか、虫や動物対策をどうするかなど、自ら考え、実行することは無数にある。

 つまり、農業こそ、「自由と自己責任」の仕事といえるのだ。

■農業はコミュニティの場

 そして、農業は、コミュニティの場でもある。

 2023年11月にがんの宣告を受けたあと、度重なる検査や体調不良の結果、私はまったく畑に出られなくなってしまった。

 雑草が生い茂り、地主の農家に顔向けができないと心配していたのだが、畑仲間が草を刈り、耕運機をかけてくれた。

 そして、2024年の早春、私が農作業に出られない状態が続くなか、仲間が畑に畝(うね)を立て、冬越しの栽培が必要なスナップエンドウの苗を植えてくれた。

 さらにゴールデンウィークのころには、トマトやキュウリ、スイカなどの苗も植えてくれたのだ。

■スーパーマーケットで買うミニトマトとは異次元の甘みとうま味

 私は千葉県印西(いんざい)市のハルディンという会社から、野菜の苗を送ってもらっている。

 私はビニールハウスを持っていないので、どんなに頑張っても、プロの苗農家にはかなわない。ハルディンの苗はとてつもなく優秀で、ミニトマトのシュガープラム、ミラクルリッチという品種は、スーパーマーケットで買うミニトマトとは異次元の甘みとうま味を持っている。

 収穫の時期も長いので、夏以降、冬の入り口までは、毎朝、収穫が楽しみでならない。

 2024年は、そのハルディンの苗を畑仲間たちで分かち合って育てていく予定だ。

 ただ、私の体力が落ちてしまって2アールの畑を継続することは難しいので、半分の面積を仲間に託した。彼らは快く引き受けてくれた。

■「農業の軽視」がはびこっている

 私は、いまはびこっている農業の軽視、あるいは無理解は、大部分の都市住民が農業をやったことがないからだと考えている。

 最近は、品種改良が進んで、ベランダのプランターで育てられる背丈の低い野菜苗も販売されるようになった。

 ハルディンからは「プランターで栽培できるサツマイモの苗」が登場した。

 私は畑があるので、サツマイモをプランターで育てる必要はまったくないのだが、家の庭でやってみようと考えている。

 多くの国民が自らの食料を生産するために重要な手段となると思うからだ。

 「一億総農民化」は、生きがいの確保とともに、食糧安全保障にもつながる。

 敵基地を攻撃するミサイルを買うより、ずっと効果的な政策ではないかと、私は考えている。

■がんは幸せな病気

 「がんというのは幸せな病気だ」と和田秀樹さんも、小倉智昭さんも言う。

 突然死することが少なく、人生の幕引きを整える時間を確保することができるからだという。そのとおりだ。

 私自身も、がん宣告以来、猛スピードで生前整理を進めてきた。

 預金や投資の整理もそうだし、妻が大部分の作業を担ったのだが、私の介護用ベッドを入れるため、わが家の1階の和室を埋めていた荷物を一掃した。

 家中を占拠していた私の本も少しずつ整理を始めている。

■家族との関係が大きく変化

 そして、一番大きかった変化は家族との関係だ。

 長男の康平が「わが家はずっと母子家庭だった」と言うほど、私は仕事三昧で、家に帰らなかった。それが、がん闘病のなかで、いきなり家ですごす時間が増えた。

 一番変化したのは妻との関係だ。

 結婚して41年、妻とすごす時間というのはほとんどなかった。がんとの闘いが始まって以降の数カ月のあいだに妻とすごした時間は41年間の夫婦生活のなかですごした時間よりも長いかもしれない。

 そのなかで、妻とは初めて新婚生活をすごしているような気分で、毎日がとても楽しい。この人と結婚できて、本当によかったと心から感じている。

 一緒にすごす時間が増えるなかで気づいたことは、私と妻の性格が正反対といってもよいくらいに違うということだ。

 まず食生活の嗜好が根本的に異なる。私は肉が大好きだが、妻は肉をほとんど食べない。病気のこともあるのかもしれないが、体感温度は私のほうが5℃ほど低い。だから、部屋の温度を妻の適温にすると、私は凍えてしまう。

 メディアに出ることを極端に嫌う妻とメディアに出たがる私。ありとあらゆる生活スタイルが妻とは異なる。共通しているのは40年前の流行歌を懐かしがることくらいだ。

■妻の手伝いがなければ何一つできない

 ただ、芸能人同士で結婚したカップルに聞くと、「1つの家に主役は2人要らない」のだという。だから、ライフスタイルが異なっているほうが案外うまくいくのかもしれない。

 実際、ライフスタイルの違いを乗り越える知恵はずいぶん進んだ。

 たとえば、夕食の際には小さなお鍋を2つ用意して、妻は野菜鍋、私はすき焼きを食べている。寝る部屋は、妻と私で完全に分けた。テレビも私が見るテレビをリビング用とは別に購入した。

 そうした違いがあっても、妻は献身的に私を支え続けてくれている。何しろ、いまの私は要介護3の状態だ。

 着替えをするのも長い時間をかければ可能だが、そんな時間はないのでほぼすべて妻が着替えさせてくれている。

 どこに行くのも、妻の運転するクルマでの移動だ。朝起きてから寝るまで、妻の手伝いがなかったら、何一つできないのが現状だ。

■子どもは親の背中を見て育つ

 そして、子どもたちとの関係も大きく変化した。東京の病院への入退院の際にクルマで送迎してくれたのは次男だったし、長男も次男も心配して、ちょくちょくわが家を訪ねてくるようになった。

 そして、もっとも大きな変化は仕事だ。

 康平は私の突然の病欠を穴埋めするためにテレビやラジオ、講演などを引き継いでくれた。そのときの活躍が評価されて、現状、メディアへの露出は、私よりも1ケタ多くなっている。私の経済関係の仕事はもう康平にまかせてよさそうだ。

 IT技術者をしている次男は、私のオタク心を理解してくれている。だからB宝館は、次男にまかせれば、大丈夫だと考えている。すでに得意の技術を生かして、B宝館のホームページの大改革を進めており、2024年5月からは開館日の店頭にも立つ予定だ。

 私は、子育てにはほとんど関与していないが、子育てはうまくいったと思っている。

 もちろん妻の貢献は大きいのだが、もうひとつ、子どもは親の背中を見て育つものなのだ。

 

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森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎

 

 

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1年半目の検診

2024-07-12 21:58:54 | 肺癌

あり得ないことに!

予約表を出したら、待ち時間無しで診察室に呼ばれた。

いや、予定時間より20分くらい早かった。

 

今日は、①採血、②胸部腹部CT、③担当医診察も超スムーズ!

①②がとっとと終わっても、

③はいつも1時間半〜2時間半待たされる。

ほとほとうんざりする。

診察室に入る時の顔はとーぜん不機嫌になっている。

 

だから今回もそうだろうと思って、

②の後、テキトーに時間を潰して、

11時過ぎに担当医師の受付に予約表を入れたら、

なんと2分程度で呼ばれたではないの! 

 

診察室に通され、イスに座ったとたん、

思ったことをそのまま口に出す私は、

「今日は早いんですねー」と言ってしまった。

すると岡田くんは、え?とこちらを見たので、

私の目は壁の時計を指した。

「あ〜、うん、CTの結果がすぐ届いたから。」

とのお返事。

なるほどね〜 そういうことか。

検査結果が担当医師の手元に来るのに時間がかかっていたのか。

そういや今日は、CT待ちしてる人が全然いなくて、

10時半の予定なのに、10時7分に呼ばれた。

だからだ。

 

 

と、余計なことばかり書いた。

 

結論として、検査結果は異常なし。

今回と前回のCT画像2つを同時にスルスル回し見て、

肺はキレイになったね。

うん、何にもないね。 だった。

 

 

血液検査の結果は、癌マーカーは問題なし。

で、1点言われたのは「脂肪肝」だそうだ。

だけど問題なほどではない、とのこと。

 

あと、私が「このへんが痛いんです。」と言ったら、

あ〜 それは肋間神経痛だなあ、と即答。

なんか聞いた事があるような無いような病名。

「えーっ、ろっかん神経痛?」

「そうそう。」

 

 

なるほど。

肺がん手術が原因で出た痛みだとは思っていたけど、

即答するんだから、よくある事なんだろう。

手術後、ちょっと咳してもクシャミしても胸が痛い。

胸の中がギュッと痛んだり、ヒリヒリする痛みがしたり。

深く息を吸うと圧迫感があったり、さまざまな痛み。

 

手術で、

転移してない悪くもないリンパを切除したし、

脇の下を4箇所、バラバラの向きに切ってるし、

筋肉も神経も傷ついたから、やっぱりそれが原因。

 

そして去年から、

体の姿勢が無意識に右に傾くのも、

手術からくる肋間神経痛が影響しているんだろう。

 

昔の椎間板ヘルニア、坐骨神経痛に関係する体の歪み

なのかと思っていたけど、

何で右に傾くの? の理由は、肺がん手術との絡みだ。

もうこのまま腰が曲がるのか?と思うくらい、

春から姿勢が酷いことになっていた。

最近はそれでも真っ直ぐ立っていられる時間が延びてきた。

4月5月は数分も立っていられなかった。

痛いから立たない、立たないから筋肉量も減る。

いろんな事が関連し合っていたんだろう。

 

そしてグルグル回って、

「脂肪肝」の原因には運動不足がある。 

自分を大事にし過ぎて昨年1月以降動いていない。

今まで肝臓の数値が悪かったことは度々あるけど、

「脂肪肝」なんて表現されたのは初めて。

全部結びつくなあ、と今日はつくづく思い知った。

それと、

2年前ほどではないにしろ、

やっぱり今も今なりに、ストレスに支配されている、

ということ。

気にするか、頭を切り替えるか、

だけなんだけど。

 

今日は、癌再発の不安が解消され、

日頃のもやもや疑問に答えが見つかり、

とっても有意義な検診日だった。

自分でどうしたらいいのか、わかってきたかも。

 

 

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カオマンガイは青春の味

2024-07-11 23:16:35 | 肺癌

 

ヤムウンセンが食べたいなあ。↑

カオマンガイも食べたい、あれこそ青春の味。

シンハーでもいいけど、それより、

下半分凍りついたジョッキでビール飲みたい。

食べたいのはいつもタイ料理。

新発田市には、あ〜懐かしいタイの味がする、

ていうタイ料理屋があるけど、夜しかやってない。

 

生きてるうちに、もう一度行かないと。

 

明日はがんセンターで検診。

造影剤入れて胸部腹部のCT、血液検査(癌マーカー)

体調は良い。ストレスも今はたいして無い。

11時半〜12時に担当医から結果が告げられる。

大丈夫だよね?

 

 

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