遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

ただ、それが現実であ~る

2020-03-31 10:29:40 | 喜喜憂憂
ワタクシが最近ずっと思ってること・・

地元のパチンコ屋が盛況なのはどゆこと?



叔父さんちの息子(私の従兄弟)は、日曜によくパチンコに行く。

ダメだよ、あんな人が密集するとこ~
空気悪いし、隣同士が近いから、やめなよ~

と言っても行ってるみたい。

この日曜は、私や叔父が車のタイヤ交換を頼んだり、
叔母の用事を手伝ったりで行く暇もなかったけど・・


で、車で通ると、

どこのパチンコ屋も広い駐車場は満杯で、
道路沿いにノボリをウハウハ建てて大喜びしてる、
のがサーッと走っていても感じ取れるくらい活況。


どゆことッスかね?

でね、パチンコ株は上がってますわよ。
冷凍食品や院内感染銘柄や、期待のお薬関係と同様に・・



昨日の小池さんの会見でもそうだけど、
バーだのクラブだのには行かないで、と言ったけど、
パチンコ屋に行くな、とはどなたもおっしゃらないもんだから、

みんな行くんですねー

他の楽しみも制限されたしねー

良くないだろうと分かってるけど行くんだよねー

お上がハッキリ「ダメ!」って言わないもんねー


なんで??
当初、映画館とかと同じく、パチンコ銘柄を、
下げグループとして登録したんですけど私などは・・


どゆことですか?
政府関係者、パチンコを忘れてる?
それとも、わざと?
どっかから圧力あるわけ?忖度系?

わからんねえ・・


ただ、それが現実であ~る。






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ロックダウンでなかった

2020-03-30 20:44:10 | 喜喜憂憂
う、やられた。
小池都知事の記者会見がロックダウン、でなかったから、
めっちゃ上がってた持ち株のPTSが急落下。

は〜〜

てか、予定より遅れて8時33分頃から始まった会見、
ちょーどその時に、ゆーちゃんゼイゼイ。

ワンコの逆クシャミ、ってやつだけど、
心臓肥大のゆーちゃんは、よくコレをやる。

ロックダウン無いな、と思って、
PTSで売っちゃえ!とスマホ持ったとたん、

ゆーちゃんゼイゼイ。


となると、ゆーちゃん、とる、わね。

ゆーちゃん命、ゆーちゃん大事。

まあ、良い。

いずれにせよ、お出かけ、さらに自粛だ。



息子や娘には、昼のうちに、
食品や雑貨を今日のうちに全力買いせよ、と連絡した。
娘にはマスク70枚を発送した。


あ〜  のんびり、バカ言いながら、
居酒屋で飲みたいなあ。


トランプさんが、7月か8月収束みたいなこと言ったし、
世の中落ち着くの、そのあたりなの?


ふ〜 



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やっと春だけど・・

2020-03-30 11:55:35 | 罰せられない犯罪
うちのお花達にやっと春。


不思議なことに、
ひと冬全く蕾をつけずに葉っぱだけ育ちまくったシクラメンは、
今頃になって咲き始めた。 
葉っぱの中を覗くと、何個か蕾が見えている。

チューリップも、蕾が表に出てきたのがいくつか。
この子は、赤白ちゃんだなあ。

庭の椿もようやく咲いた。
ほんとに上品で美しい子。





やっと春だけど、

志村けんが亡くなった。

結婚した当初から数年、
世田谷の端っこで、三鷹市と杉並区との境の、
小さなマンションに住んでた頃、

道路挟んで、向かい側は三鷹市で、
真ん前はゴルフ練習場。
その横に彼の自宅があった。
だから、たまに見かけた。
若いねーちゃんと一緒のとこを。


小さい頃からTVで見てきた志村けん。
バカ殿はセクハラ場面もあったけど、たまに見てた。
ひとみ婆ちゃんや、年取った芸者のコントが好きだった。

亡くなってしまった。。。。







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笑いがこみ上げる

2020-03-29 09:13:14 | ごく日常のこと
昨日は、ゆるゆる日。

午後、海に行ったら、ものすごい風。
海水のしぶきが混じって吹いて来る。
水際から50m離れていても、長くいたらしっとり濡れそう。
水の粒がわかるくらい?大きい。

海から吹き付けて来る獰猛な風が耳元を通る音しか聞こえない。
頬が押される。
頭がカラっぽになる。


気持ちいい~~!!
可笑しくなってくる。笑いがこみ上げる。
荒れた海は最高だ~~





と、この写真はぜんぜん荒れてないみたいに見える・・
でも、テトラポットに砕ける白波は実物は凄かったのよ。


ゆーちゃんもご機嫌だったけど、
御年10歳ともなると分別あるもんだから、
20分くらいしたら、

ママ、いつまでいるつもり?
風が強すぎて走れないから、もう帰りますよ。

とトコトコ自分で帰り道をのぼっていくお利口さんぶり。


てことで、気分転換にはもってこいだった。








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読んで吹き出した

2020-03-28 03:03:40 | 罰せられない犯罪
夜中に目覚めてラッキー。
静かな自由時間ができた。

土日と月曜日も休み。だから3連休。

ちょっと強引に休みを取った。
職場みんなも疲れてる、と言ってるけど、知らん。




ダウは今夜1000ドル下げたけど、
今は500〜600ドル下げくらいの、
22000ドル攻防戦といったところ。

CME日経先物は、かろうじて19000円維持。

ドルは108円台から107円台へ。

朝になるまで、どっち向きかわかんない。
でも、上げても下げても500ドルくらいじゃ、
ゆるーく感じるようになってしまったし。


昨日金曜日の日経、
なんで後場の最終ギリギリで爆っと上げんだろ?
と思ったけど、日銀が買いを入れたの?
私はいつも2時以降は株から離れるから、
後で見て、あら?何? だった。
そこで何百円上げてもなあ。。




下に貼り付けた記事読んで、ところどころ吹き出した。







新型コロナで「恐慌」は絶対にやって来ない
3/27(金) 6:01
東洋経済オンライン


新型コロナで「恐慌」は絶対にやって来ない
ガラガラのNYタイムズスクエアでは「裸のカウボーイ」が見参。ついに恐慌が来るのだろうか(写真:ロイター/アフロ)
 株価が急回復して、市場のムードはかなり変わった。まだ乱高下しているが、一部では新型コロナウイルスが根絶されたかのような雰囲気だ。

 これが株式市場のいい加減なところだ。いや、それは「市場」という言葉に失礼で、「株式投資関係者」のいい加減なところだ、というのが正確だ。ただ市場とは投資家の集合体でしかないから、結局は、失礼ではあるが、やっぱり正しいのではあるが・・・。

■集団は個人よりも愚かである

 「株式市場の価格=株価」が正しくない(企業の収益力を評価した企業価値と常に異なる)のは、自分の都合、期待、欲望で、投資家たちは取引しているからである。
 つまり、彼らの欲望が反映されたのが株価であるから、企業の価値とは無関係に決まってしまうのだ。そんなことを言うのはいまさらなのだが、今回の新型コロナショックによる株価の乱高下ほど、このいい加減さ、自分勝手さが表れていることも珍しい。事例として行動ファイナンスの教科書に載せたいほどだ。

 ここで最も重要なのは「集団は個人よりも愚かだ」、ということである。

 経済学においても、集団による意思決定は様々な困難に直面することが示唆されているが、経済学の理論的な世界をはるかに超えた、群集のあまりに非合理的な変異活動現象が、現実の市場と社会では出現する。つまり集団の圧力、多数決の暴力という形で、社会に襲い掛かるのである。
 【2020年3月27日19時00分追記】「集団による意思決定」にかかわる一部の表現について正確を期すため、初出時から表現を見直して上記のように修正しました。

 最近のもっとも単純な例でいえば、トイレットペーパーである。マスクはともかく、トイレットペーパーが不足する合理的な理由は、普通はない。しかし、人々が品切れを恐れ殺到して買いだめすれば、トイレットペーパー不足は実現する。「トイレットペーパーと新型コロナと何が関係あるんだ」、と高をくくっていた合理的な人々は、トイレットペーパー切れで苦しむことになる。人々が買い占めれば品不足になる合理的な理由がなくても、品不足になる。非合理的な行動が多数を占めれば、世の中は非合理的な結末となるのである。
 株式市場も、もちろん同じで、最初に「新型コロナウイルスが武漢を席巻した」というニュースが1月後半に世界を駆け巡った時、中国国内の人々はパニックになり、中国政府は通常ではありえない強権的な都市封鎖で対応した。だが株式市場はそれを無視し、2月12日にアメリカのNYダウ平均株価は史上最高値を更新した。2月1日に発覚したクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の騒ぎも、日本政府の対応を事細かに批判し、アジア極東の出来事として、見物し、批判し、ニュースのネタとしていたのである。
 これらの人々の中に埋もれず、この時点で冷静にコロナウイルスのリスクを判断して、株をカラ売った投資家は、合理的な判断をしたため、大きな損を被ることとなった。

 ところが、3週間後、2月24日からアメリカ株は突如暴落を開始し、3月2日に底打ちをして大きく反転を始めたように見えたものの、3月9日からは、史上最大ともいえる大暴落となった。その後は「壊れたおもちゃ」のように乱高下を繰り返しながら暴落を続け、3月23日からアメリカ政府と議会が史上最大の200兆円を超える経済対策で合意することを見込んで、株価は一転して暴騰を始めた。

■株価の動きはすべて「市場の多数派の都合」で決まった

 ここでの株価の動きは、すべて市場の多数派の都合で決まった動きである。新型コロナのリスクの分析とも、それによる企業業績への影響とも、いわば無関係に決まったのである。

 最初に暴落が始まらなかったのは、株価は長期のバブルが続いていたので「バブルがさらに続いて欲しい」という願望と「今崩壊されては困る」という恐怖が組み合わさって、驚くほど動きのない相場となったのだ。2月23日までは、恐怖に対処するために、暴落に備えて、少しずつポジションを整理し、一方で投げ売りをして損をしないように、相場を崩さないようにバブルをすぐには壊したくないという願望を実現したのだ。
 しかし、そのバランスは2月23日についに崩れ、「崩れてしまえば、とにかく早く逃げ切りたい」という恐怖の中での願望が実現し、大暴落となったのである。

 この相場における「投資家の願望の自己実現」という話は、バブル膨張、崩壊の両側面について、東洋経済オンラインの連載で私が常に書いてきたことで、特に目新しくはない。だが、これほど顕著に表れると、教科書に載せておきたくなるのである。

 しかし、今回、もっとも書き留めておくべきことは、「株式市場以外での群集の多数決圧力」である。
 日本では安倍晋三首相が学校の休校の要請をした。専門家に相談せずに、である。専門家会議では事後的に、必要があったかどうか議論が分かれたそうだ。大阪府の吉村洋文知事も、独断で彼が主張するところの厚労省関係の専門家が提示した文書に基づき、誰にも相談せずその文書を公表し、大阪と兵庫の往来の自粛を求めた。

 その後、安倍首相は「学校の休校の要請は延長せず、自己判断に任せる」とし、「イベントなどの自粛要請も個々に判断してもらい、行う場合には十分に対策をとって行ってほしい」と言った。だが、これに基づき、自己判断して、さまざまな対策を講じてイベントを開催した団体は、世間から猛烈な批判を浴び、あたかも犯罪者であるかのような言われ方をした。
 まず、昨今話題になっているエビデンス(科学的根拠)ベースの政策決定、要は客観的なデータに基づいて政策の効果を推計し、そのうえで政策の意思決定をせよ、ということだが、休講要請はエビデンスなどあるはずもなく、それどころか合理的な議論もせずに決定された。

■ロジック(論理)抜きの多数派の圧力

 しかし、世間では賛否あると言いながら、多数派は支持した模様であり、政府筋は「休講要請の効果は数字では表せないが、一定の成果があったと思われる」と主張している。
 大阪府知事の行動もメディアでは英雄扱いで、厚労省など国の隠蔽体質を批判する格好のネタとされてしまった。「官僚と言えば隠蔽」というのが多数派のロジックのようである。自主的に頭を使って判断せよと言われて、そうした場合でも、多数派のエビデンスもロジックも抜きの多数派の圧力で押しつぶされてしまうことになる。彼らは、次回は無観客でイベントを行う予定だそうだ。

 これらの例を超えるスケールで多数派の圧力が生じているのは、経済政策である。アメリカでは220兆円規模の対策が打たれることとなり、日本も「それに負けじ」とカネをばらまく案が有力のようだ。リーマンショック時を超える対策を、と言っている。これを受けて日米の株価は大暴騰した。
 
しかし、これらの景気対策は何のために行うのか意味不明である。日銀の株式買い増しが新型コロナ対策としては意味不明であるのは当然として、日本政府だけでなく、ついにはアメリカまで国民にカネをばらまくとは、世界の経済政策論議も、もはやロジックは要らなくなったようだ。

別の記事「日銀と政府の新型コロナ対策は間違っている」でも振れたように、本当に新型コロナショックで困っているのは、資金繰り倒産、需要消失倒産のリスクに直面している中小企業、およびエアラインやホテルなど特定業種の大企業であり、それらに伴う失業者である。
 彼らへの手当はもちろん懸命にやるべきだ。だが、新型コロナショックは普通に考えれば、1年後までこの状況が続くことはありえない。半年の苦境で倒産してしまうというリスクを回避すれば、需要対策は要らないはずだ。経済封鎖、移動制限が解消されれば、需要は回復するはずであり、逆に言えば、それが解消しなければカネをばらまいたところで窮地の企業への需要は全く出てこない。

 しかし、220兆円の対策を発表すれば、株式市場は喜び、エコノミストは景気見通しを楽観に改定し、世の中のムードは良くなり、とりあえずみんなハッピーになる。そのために対策をやっているのであるが、将来の経済は220兆円の支出のツケを払わされるだけであり、現在の恐怖に支配された人々の多数派の圧力に、未来の人々の声はかき消されてしまうのである。
 そして、政策の効果は比較検討されずに、対策を打ったから経済が崩壊せずに済んだ。借金が残ったといっても「あれをやらなければ、経済が崩壊して元も子もなくなっていた」という検証不可能の言説が世間を支配してしまう。

■多数派の圧力が「真実をつくる」機会を目のあたりにした

 政策が比較検討されず、多数派の圧力に支配されるのは、経済対策だけでない。新型コロナ対策そのものでさえそうだ。経済封鎖が正しいのか。効率的なのか。手洗い、うがいを一人一人がとことん徹底して行う方がマスクを配るよりも効果的でないのか。外出制限と同じ程度の効果が、経済的な負担ははるかに少なく、実現できるのではないか。
 このような議論は「人命は何よりも優先される」、という政治家の演説と人々の恐怖感によってかき消されてしまう。そして、オーバーキル(やりすぎ)の政策を唱え、打ち出した人々は「徹底的にやったから、これだけの被害で済んだんだ、俺の(わたくしの)英断で世の中は救われたのだ」、と暗に主張し、満足しているのである。

 株式市場、実体経済、経済政策、そして社会そのものまでが、多数派の圧力で、多数派の願望、恐怖に支配され、事実と無関係に決定されてしまい、それが事実ではない現実として、真実となってしまっている。それをこれほど目の当たりにする機会もこれまでなかった(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの私が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)。




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