夜更けて つらつら思うこと。
昨日は大学時代の友人の誕生日だった。
日にちをちゃんと覚えていないから、Facebookで毎年知る。
昨日も表示されてたけど、
私はもうFacebook上の友達の、
誰の誕生日にも反応するつもりはないし、
自分の誕生日も非表示にしたから、
当然、彼女にもお祝いのメッセージなど送らなかった。
誕生日には、親しくもない「友達」からも、
おめでとうと書き込みがある。
私もネット上の薄い付き合いの人にも書いたことがある。
でも、そういうFacebookの儀礼的な付き合いも嫌になった。
彼女とは大学時代4年間、大学構内では一緒にいた。
同じ学科のクラスメートで、いつも4人で授業を受けた。
大学の授業と授業の合間の時間は一緒に過ごしたが、
自宅から通っていた3人と、女子アパートから通ってた私は、
授業後の行動も世界も全く違っていたわけで、
大学の外の、いわゆる「下宿生」の方が本当の仲間だった。
熱気球のサークル仲間や、
学園祭実行委員会のメンバーや、
大学近くに建つ男子寮や女子寮や民間アパート暮らしの仲間達、
社会人や他大学の学生で構成されたボランティア活動仲間、
そっちの方が当然濃い付き合いをしていた。
クラスメートの彼女らとは、授業後に遊んだこともない。
大学の外でお茶を飲んだことすらない。
だから、自宅も家族も実際のことはよく知らない。
彼女達が話していたこと以上には、
私は知ろうとも思わなかったし、興味がなかった。
ごく一般家庭の普通っぽい女の子と2人と、
身なり持ち物と噂から「お金持ちのお嬢様」だという女の子1人。
そして、クラスでは彼女達より大人しくしているのに中身がアウトローな私。
毛色の違う女の子が1人混じった、変なグループだった。
ごく普通の彼女らに合わせて過ごすのは、
変わり者の私には最初のうち多少窮屈だったけど、
それも1年しないうちに互いに慣れてしまった。
なんで一緒にいたのか、今になるとすごく不思議だ。
その「お金持ちのお嬢様」の、昨日は誕生日だった。。
何の縁か知らないが、
彼女の結婚式に私は出ている。
私の結婚式にも彼女を呼んだ。
双方が招待し合うほどの仲だったかな。
そして、年賀状のやり取りをやめた今でも、
Facebookで繋がっているとは。
いったいどういう縁なんだろう。
出会う人の歩留まりを時々思う。
ものすごく大切な時間を共に過ごした、
もっと色濃く胸に残る友が何人もいる。
しかし、途切れた時に、途切れたままにし、
大切なはずの友は探し出しようもなく、思い出の中にしか見つけられない。
100人、1000人出会っても、何人残るだろう。
年賀状のやり取りだの、引っ越し先の連絡だの、
マメにやっておけば、もっと違うんだろうけど、
マメじゃないからなあ。
残るべきは残り、過ぎ去る者は消え、
それでかまわないと思ってきたから、
普通の人より歩留まり少ないんだろうな。
それなのに、彼女とは今も繋がっている。
不思議だ。
彼女のFacebookを遡ってみた。
彼女は今もお嬢様妻のまま暮らしている。
なかなか幸せそうだ。
私はどこでボタンをかけ間違えたのか。
大学の卒業式に一緒に撮った写真の、
それそれの未来が、今、Facebook上にある。
こういう未来だったの?
違うよね。
ここからまだ先に物語の展開があるの?
きっとそうだわ。
そうでなきゃ生きてく意味がない。
昨日は、誕生日を嬉しそうに語る彼女が疎ましかった。
こんな痛切な感情は初めてだ。
そんなことを思う私じゃなかったはずだ。。
ここが、あの日の未来の終点ではありませんように。
息子夫婦が来る。
娘も来る。
寝なきゃ。。。
昨日は大学時代の友人の誕生日だった。
日にちをちゃんと覚えていないから、Facebookで毎年知る。
昨日も表示されてたけど、
私はもうFacebook上の友達の、
誰の誕生日にも反応するつもりはないし、
自分の誕生日も非表示にしたから、
当然、彼女にもお祝いのメッセージなど送らなかった。
誕生日には、親しくもない「友達」からも、
おめでとうと書き込みがある。
私もネット上の薄い付き合いの人にも書いたことがある。
でも、そういうFacebookの儀礼的な付き合いも嫌になった。
彼女とは大学時代4年間、大学構内では一緒にいた。
同じ学科のクラスメートで、いつも4人で授業を受けた。
大学の授業と授業の合間の時間は一緒に過ごしたが、
自宅から通っていた3人と、女子アパートから通ってた私は、
授業後の行動も世界も全く違っていたわけで、
大学の外の、いわゆる「下宿生」の方が本当の仲間だった。
熱気球のサークル仲間や、
学園祭実行委員会のメンバーや、
大学近くに建つ男子寮や女子寮や民間アパート暮らしの仲間達、
社会人や他大学の学生で構成されたボランティア活動仲間、
そっちの方が当然濃い付き合いをしていた。
クラスメートの彼女らとは、授業後に遊んだこともない。
大学の外でお茶を飲んだことすらない。
だから、自宅も家族も実際のことはよく知らない。
彼女達が話していたこと以上には、
私は知ろうとも思わなかったし、興味がなかった。
ごく一般家庭の普通っぽい女の子と2人と、
身なり持ち物と噂から「お金持ちのお嬢様」だという女の子1人。
そして、クラスでは彼女達より大人しくしているのに中身がアウトローな私。
毛色の違う女の子が1人混じった、変なグループだった。
ごく普通の彼女らに合わせて過ごすのは、
変わり者の私には最初のうち多少窮屈だったけど、
それも1年しないうちに互いに慣れてしまった。
なんで一緒にいたのか、今になるとすごく不思議だ。
その「お金持ちのお嬢様」の、昨日は誕生日だった。。
何の縁か知らないが、
彼女の結婚式に私は出ている。
私の結婚式にも彼女を呼んだ。
双方が招待し合うほどの仲だったかな。
そして、年賀状のやり取りをやめた今でも、
Facebookで繋がっているとは。
いったいどういう縁なんだろう。
出会う人の歩留まりを時々思う。
ものすごく大切な時間を共に過ごした、
もっと色濃く胸に残る友が何人もいる。
しかし、途切れた時に、途切れたままにし、
大切なはずの友は探し出しようもなく、思い出の中にしか見つけられない。
100人、1000人出会っても、何人残るだろう。
年賀状のやり取りだの、引っ越し先の連絡だの、
マメにやっておけば、もっと違うんだろうけど、
マメじゃないからなあ。
残るべきは残り、過ぎ去る者は消え、
それでかまわないと思ってきたから、
普通の人より歩留まり少ないんだろうな。
それなのに、彼女とは今も繋がっている。
不思議だ。
彼女のFacebookを遡ってみた。
彼女は今もお嬢様妻のまま暮らしている。
なかなか幸せそうだ。
私はどこでボタンをかけ間違えたのか。
大学の卒業式に一緒に撮った写真の、
それそれの未来が、今、Facebook上にある。
こういう未来だったの?
違うよね。
ここからまだ先に物語の展開があるの?
きっとそうだわ。
そうでなきゃ生きてく意味がない。
昨日は、誕生日を嬉しそうに語る彼女が疎ましかった。
こんな痛切な感情は初めてだ。
そんなことを思う私じゃなかったはずだ。。
ここが、あの日の未来の終点ではありませんように。
息子夫婦が来る。
娘も来る。
寝なきゃ。。。