ブログには書かない事も当然ある。
でも、これ、書き留めておく。
手術から9ヶ月半。
癌以前からのモノが、
癌に関する気持ちや身体が落ちついてきて、
だから今、噴き出してきているのか、よくわからない。
① 坐骨神経痛は少し改善しつつある。
特に先週終わり頃から楽になってきたようだ。
何か「思い込み」の弾みを、確かに感じた瞬間がある。
お向かいのヤッちゃんの娘が私の歩く姿を見ていた時だ。
もしかして!年寄りっぽい姿勢してた?と
後からの視線を感じた。
その瞬間、嫌だ!と心の中で叫び、それから痛みが軽減した。
・・ いや、ストレッチが効いたのかな??
とにかく少し良い。
② お腹の件
県立病院で、若い医師は整腸剤を出しただけ。
あとは「癌の話」に終始した。
ほぼカウンセリングタイムだった。
体調は改善したか? 不明だ。
アルコールをやめて整腸剤をきちんと飲んでいるけど、
下痢はしないまでも、緩い時はある。
③ 本題はこれ
9月末から近くの歯科医院に通っている。
週1ペースで、今日が6回目。
放置していたモノが悪化した。
9月20日過ぎ、放置・保留がきかなくなって医院へ。
ある大問題を知る。
治療中にも関わらず、先々週は急性の危機に。
この歯医者さんは70半ば。
すごく腕が良くて優しく穏やかで、全面的に信頼できる。
と同級生に聞いて行った。本当にその通り!
この歯医者さんに出会えてとても幸運だった。
詳細は書きたくない。
当分この③問題を、生活の土台にして暮らさなきゃ。
だから、1人自分で飲むお酒は止める。
同級生達との飲食の付き合いもしない。
当然、叔父宅飲みは完全に止める。
大事な友とだけは、ちょっと飲むだろう、くらいか。
歯医者さんに通って、
服用中の薬の質問などから、肺がん手術を打ち明けた。
彼は、歯科的な分野も、
季節やストレスが強く影響すると言う。
私の話し方に方言が無いのと、
私の苗字がこの辺にないので、
出身地は「どこの人か」と聞かれた。
父親の実家はこの医院のすぐ近所だ。
ごく簡単にUターンした事情を説明した。
彼は、私の苦悩の数年分を理解したようだった。
たぶん、肺がんは、そのせいだと思ったろう。
この歯医者さん、出会うべくして出会った感じ。
荒療治の若い歯医者だったら、
こんなに精神的な救いにはならなかった。
そのせいなのか、どのせいなのか、
どこからが私の苦悩の始まりなのか、
・・遡れば? 椎間板ヘルニアの手術に至る、
その前年からか?
いや、元々がネガティブな精神構造だからか?
移住する頃から母の葬儀が済んだ頃までの5年以上、
自殺願望が内部で浮き沈みしていたから、
あれは更年期障害だったのか、鬱だったのか。
去年秋口から、たまに息苦しかったり心臓が変だったり。
例のモンスター君と、オバさん部下達の扱いにくさから、
もうもうパンク寸前!!を感じていた時にがん発覚。
だから、
がん発覚は、二重に私を救った。
それらの「過去」と縁を切れた。
「肺がん」も、来るべき時に来たのだ。
県立医師のがん宣告は、神様の救いの手だった。
手術して療養して、別の楽ちんな学童に復帰して、
孫が産まれ、娘夫婦はマンションを買い、
今の職場では前世の御縁かと思う程のベストメンバーに恵まれた。
気持ちがとてもとても楽になった。
そしたら、
これからメンテナンスしなきゃいけないモノが
目の前にいくつもあった。
今までテキトーにやり過ごしていたモノの期限が来ていた。
◆1 私の体のあちこちメンテナンス。
◆2 自宅修理と、不用品廃棄。
◆3 車を修理するか、買い替えが早いか。
友達が何人も、
「愛子は癌との闘いに勝ったじゃん」と励ましてくれたが、
私はそのたびに言う。
闘う気は最初からなかったから、勝っても負けてもいないよ。
仕方ないから受け入れて手術しただけ。
でも抗がん剤治療や放射線治療は断ったし、
自分の気持ちに向き合って決めただけ、だよ。
今回も、そうするしかない。
状況を見極めて、自分でできることできないこと、
誰が何を言おうと、したいことしたくないこと。
それで決めていく。
今までだって私、一生懸命、そうしてきたんだよね。
その結果が裏目に出る事が多かったのか、知らないけど。
人間万事塞翁が馬。
今がNO GOODでも、いい方向に繋がっている。
そう思い込んで、静かにやれるだけやろう。
わたしは大丈夫。
肝心なのは諦めないこと。毎日望みを持つこと。