遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

ゆーちゃんの笑顔がある生活 ①

2019-03-31 16:58:28 | 遊ちゃん


今朝、寝ているゆーちゃんが寒そうに見え、
そっとブランケットをかけたつもりが、

ゆーちゃんは驚いて跳ね起き、
その拍子に? 犬用のベッドから降りた瞬間?
ギャンギャンとなきながら、グルグル何度も何度も回った。

何か私に怒って興奮しているのかと思ったが、
前足だけで体を引っ張るように前に数歩出て、
後ろ足を ダラリと二本並べて異様な形に伸ばした。

骨が折れたのかな? とっさにそう思ったが、
犬用ベッドと床の段差は ものの数センチ。
いったい何が起こったの?

私は慌てふためき、悲鳴に近い声で、
ゆーちゃん、どうしたの? どうしたの? 痛いの?
と声をかけたが、喋れない子のさらに不安を増すことよ。

ゆーちゃんは、ちょっと伏せってみては、立ち上がろうとしたが、
自分の体が思うように動かない戸惑いと、
もしかしたらそうとうな痛みで、
後ろ足をもつらせ、よろけながら歩いては 不自然に座り、
また 立ってみては、伏せる、を部屋中で繰り返した。

痛いね? 動かないで! ゆーちゃん、動かないで。

ゆーちゃんは、だけど、こちらを見て、
なぜかとびきりの笑顔になった、どうして?

不安で取り乱す私に、もしかしたら、
心配しないでと伝えようと笑いかけたのかもしれない。

私はパニックになりながら、かかり付けの動物病院に電話を入れた。

今すぐおいでくださいと言われ、
ケージに入れることも思いつかず、
ブランケットでくるみ、痛い下半身に触れないように抱きかかえ、
車の定位置にゆーちゃんをそっと乗せ、車を走らせた。

冷静に運転しているつもりだったが、
早く病院に着きたいのに、
なぜだか、50キロくらいのスピードでノロノロ走り、
近い方の道を選ばず、遠回りの道路に出ていた。

ゆーちゃんは荒く息をしながらも、
いつものように外の景色を見たいようだったが、
きっと痛いのだろう。伏せた体勢で我慢し続けた。
それでも一度だけ数秒 体を起こし、窓の外を覗いた。

動物病院に着き、診察室に通されると、
ゆーちゃんを抱いたままイスに座らされ、
獣医は、カルテを見ながら、
前回の診察内容の確認から始めた。
もどかしかった。

それから、「どうしました?」 と尋ねてきた。
立ち上がって動いた時に段差があったのか、鳴き声を上げ、、、
とかいつまんだ説明もたいして聞かぬうちに、
「じゃあ、歩かせてみましょう、床に置いて」と促され、
私はゆーちゃんを、そっと立たせた。

腰をうねらせ後ろ足をもつれさせながら、
ゆーちゃんがほんの数歩歩くと、「はい、いいです」と、
獣医はゆーちゃんを 診察台で診始めた。

二、三、私に質問しながら、足や腰を触診した。

この獣医の飼い主への問診は独特で、
聞かれたこと以外に余計なことを返すと、遮られる。
わかっているから、聞かれたことのみ返答するが、
もっと自然なやり取りができないものかと、毎回感じる。

腰をこんなに丸めているから、きっと痛いんでしょう。
説明は後でしますから、痛み止めの注射を打ちますね。

そう言って、獣医は、ゆーちゃんの腰の左右に注射をした。

レントゲンは、痛い時に撮ると、余計痛める事があるから、
今日はやらないでおきますね。足を伸ばすと痛がるでしょう。
痛み止めの飲み薬も出しますから飲ませてください。
食欲はありますか?

食欲も何も、
朝寝坊のゆーちゃんは、起きてすぐにこうなって。
慌ててすぐさま連れてきたのだから、食事など与えていない。

いえ、起き上がった時に、ギャ・・
ああ、そう。

飼い主の話は常に最低限しか聞かない。

はい、では診察は終わりです。
待合室のイスにかけてください。説明しますから。


レントゲンを撮るだろう、他の検査もするかもしれない。
そう思って、急いで財布に一万円札を数枚突っ込んできたが、
想定外に簡単な診察と治療で終わった。
こんなのでいいんだろか。別の病院ならどうしただろう。
体の奥で不安が増していくような気がした。










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やった感がない

2019-03-31 07:43:01 | ない
夜更けて つらつら思うこと。




母の三回忌だった。
去年の今頃は一周忌をやったというのに、翌年が三回忌。
仏教界の数え方は不思議だ。

昨年末に寺から葉書が届いていた。

主旨は、

来年4月2日は、●●●●(戒名)の命日である。
それより以前に三回忌を行いなさい。
うちのお寺は、この頃とこの頃は多忙だから、
それを避けて、早めに日程を決めて連絡せよ。

一昨年の年末にも、
母の一周忌と父の二十七回忌をやりなさい、と来た。

これはお寺の営業行為だろーねえ。
なんていうか、余計なお世話だわ。
やろうと思う時にこっちの都合に合わせてやるわよ。



去年の一周忌は、父の二十七回忌も兼ねて、
近場の親族に集まってもらい、一応、無難に終えた。


叔母と義理叔父(叔母の夫)は、できるだけ大勢集めてやりたがるが、
亡き母のために集まったようでいて、中身はどうせ親族の親睦会だ。
大勢い集めて嬉しいのは、2人だけ。

従弟の母(義理叔母)の一周忌も、叔母が仕切って20人集めた。
それでも、誰と誰が来なかったとブツブツ言っていた。
なんて面倒くさいんだろう。私には理解しがたい感覚だ。

母の葬儀の時に懲りて、
叔母と義理叔父に仕切られるつもりは、もやはサラサラない。
叔母が挙げた半分の人数に絞り、ささやかな一周忌をした。





母の葬儀の時に、私は心底うんざりした。

喪主の私がNOという事をことごとく撥ね退けて、義理叔父が仕切った。
母の弟である叔父が見るに見かねて、喪主の言うことも聞いてやれよ、
と意見してくれたから、後半はほんの少しだけ私の言い分が通ったが、

地元のやり方を知らない者は黙って従うのが筋、
と思い込んでいるからたまらない。

違うって、そういうの、オジサンの望むやり方だってば。。


母が亡くなる前の2日間寝ていなかった私は、
母の亡骸を自宅に連れ帰ってから数時間後に、4時間ほど眠った。
その間に、家族葬だった予定は、普通の規模の葬儀にかわり、
火葬の日まで義理叔父が決めていた。

こちらでは、なぜか先に火葬し、その後で葬儀を行う。

母が亡くなったのは、4月2日の夜中23時半過ぎ。
母を病院から自宅に運んだのは4月3日の1時ころ。

義理叔父は、母を、3日の夕方か4日の午前に火葬すると言った。

丸4年病院生活を送った母を、
やっと、・・死んでやっと念願の帰宅を果たした母を。。

だいたい死後48時間以上経たないと、火葬はできないはずでは?


私が反論するより先に、
その場に駆けつけていた住職が「それはダメだ!」と一喝したので、
火葬は5日の午前に延びたが、
あと1日家に置きたいという私の言葉を、到底許しがたいと退けた。
住職もあと1日家で寝かせてあげようと説得したのに。

自宅の布団に横たわる母の顔をしみじみながめ、
きちんと別れを伝えた記憶が・・私には残っていない。
ほんとうに慌ただしく過ぎた。


遠方の親類達にも、義理叔父は自分の段取りを伝えてあったので、
それに合わせてやりたかったのだろう。
遠方から来た人に申し訳ないから、延ばせないの一点張りだった。

いや、真実を言えば、
好天の中(それまでの雨模様は、母が亡くなった日から晴れた)、
漁師の義理叔父は、漁に出られないことにヤキモキしていた。
それが火葬を早めたかった本当の理由だ。

無論、私も、さすがにそれは口に出さなかったけど。
漁に出られない日が長引くのが嫌なんでしょう、とは。


そこから、葬儀中はことごとく義理叔父と対立し、
喪主は意見を挟むもんじゃない、お前は地元のやり方を知らない!
いや、そんなやり方は嫌だ。そこは何でそんなふうにをやるの!
連夜口論しながら、数日間の葬式を終えた。

叔母も従弟も、義理叔父の肩を持って敵に回り、
おしゃべりな叔母は、葬儀後もいろんな人に私の悪口を言った。
私を目の前にしても同じ愚痴を飽きるまで繰り返した。



こういうのは毎度のことだ。



脳出血で倒れてから三つ目の、
この世の果て、あの世の入り口に建つ「老人病院」に入院中、
ある日、母の状態が急変し、症状はみるみる悪化した。

そこで私が、医師の診断にはっきりと不満をあらわした時、
叔母と義理叔父と従弟は、病院に従わない私を分別がないと責めた。

ヤブ医者は、自分の範囲ではこれ以上治療ができないとのたまった。
こんなことを平然と言う医者しか、この病院には置いていないのか。

老人病院とはこういう所か。
この程度のヤブを医師とありがたがって、一切逆らうなというのか。

叔母たちは、
どうせ回復しないんだから、病院に任せるべきだと私を怒った。

胃瘻して寝たきりで、どっちみち回復しない者を、
医者がこれ以上治療できないと言うんだから、もういいじゃないか。
なんで、このまま死なせてやろうとは思わないんだ、
こんなに苦しんでいる者をなんで生かしておきたいんだ、と。


病院に任せるとは、
何かの反応で、急に全身紅色に腫れ上がってしまった母を、
このまま放置して看取ってしまおうという意味だ。

物も言えず荒い息で苦しみ続ける母を、
いったい何日放置すれば死なせられるのか。
この症状は死と直結するものなのか。
高熱を出し、まさに真紅!という色に腫れた身体で苦しむ姿を、
ながめていればそのうち死ぬから、黙って見守れ、というのか。
数日で死に至るような状態なのか、・・いや絶対、これは違う。


寝たきりで胃瘻を続けて、いつか衰弱して死んでいくのと、
この状態を放置するのとでは、まったく話が違う。
本人の意に180度反して寝たきりとなった母を、
娘の私が、ずるずると長く生かしておきたいわけがない。
話の次元が違う! 
今回は対処しなきゃいけない状況なだけだ。


あの時も、3人は敵になった。
時々彼らは、思考回路がとても似る。


3人はこれを機に、母の・・・
いつ終わるのか先の見えない日々を終わりにしたがっていた。


しかし、結局、
叔母らの猛反対を振り切って転院させると、母の容態は1日で改善した。
原因は、投薬と日光が引き起こしたアレルギーだった。
転院した先の医師はすぐに気づき、その薬を中止し、日差しを遮断した。
非常に低レベルの誤診だった。そんな程度の病院なのだ、あそこは。

・・転院先は、ケガや病気の人が行く普通の総合病院である。
そこに居たひと月は、母は意識がはっきりし、
看護師や見舞い客の弾んだ声が耳に入るのを喜び、顔を輝かせた。
私が聞くことにも、うなづいたり首を横に振って明確に意思を伝えた。
母は自分の状況も理解し、昔のことも、孫や犬もことも懐かしんだ。
身体を動かせないだけで、本当ははっきりと意識も意思もあったのだ。

それなのに、あの老人病院では・・・母は常に薬で眠らされていた。
薬が切れかけた時間にだけ、母は弱々しくかすかに反応し、
私の話に全力で応答しようと、瞼を閉じたり口を動かしてみせた。

老人病院というものの何たるむごさよ。

身体がすっかり回復すると、母はまた元の老人病院に戻された。


娘の判断の方が適切だったと分かっても、
叔母はしばらく文句を言い続けた。
病院のいうことを聞かないで、追い出されるところだった、
追い出されたら、自宅で介護などできないんだから、言うなと。
同じ事を、本人が飽きてしまうまで言い続けた。



毎度のことだ。


たまに私が強く主張すると、彼らは私を頭がイカレてると思うらしい。
譲れないものは譲れないと理屈っぽく反論する女を田舎は好まない。
どんな場合も、上や横に倣って仰せのまま、逆らわない者を好しとする。

あ~ぁ こんなことまで思い出して、ついつい書いてしまった。
とっくに済んだ事なのに、どこかで恨みが残っているらしい。

真夜中に書き始めると、余計なことまで書いちゃうな。
たぶん、どこかで吐き出したかったんだな、わたし、ずっと前から。





今回の三回忌は、私1人でやるからと2ヶ月前から言っといた。


「あげ法事」にした。


それにしても・・あげ法事は奇妙なものだった。やった感がない。





お墓に花を活け、線香をあげ、手を合わせて、
お墓の中にいるのか、仏壇にいるのか、
お空にいるのかどこにいるのか分からない母に、
少しだけ話しかけて、墓参りを終え、

お寺に行って、
アレ何て言う? お寺の中の各家の御位牌が並んだ場所・・の、
我が家の位牌?の前に備えられたお膳や線香立ての前に立って、
供物をそなえ線香を立て、また手を合わせ・・・
母はここにいるの? まさかね。いろいろ拝む場所があるもんだ。

私の様子を見守っていた住職の奥様に、
「もう済みましたか、こちらでお茶でもどうぞ」と奥に通されたので、
まずは御布施と「塔婆の料金」を支払い、お茶をいただき世間話10分。

で、さっとおいとまして車に乗り込んだら、奥様が追いかけて来て、
「ごめんなさぁ~い! 塔婆を渡ししてなかったわ!」だって。

だから、また、お墓に戻って塔婆を立てて、終了。


住職は不在だった。
母の三回忌のためのお経を、
住職はいつあげたんだろう? 
目の前で聞いてないから、有り難みがない。

あげ法事って、こうものか。。。
ちっとも「あげ」てもらった感じがしない。
こちらもあちらも簡単な形式を辿っただけ、
の儀式に思われた。住職不在だったから余計に。

世間の言う三回忌ってものを、
周りにああだこうだと言われないように、
とにかく人並みに通過させねばと、
バタバタな生活の延長で簡単に片付けた、
私自身の弔う気持ちの希薄さのためか。

こういうシキタリに沿った事はほんとに苦手。


母への想いは、
私の中で未だに整理できていないものがあり、
お寺やルールや、周囲の思惑に合わせた、
感情のない法事などヤメにして、
本当に自分らしい供養をした方がいいのもしれない。






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それなりに育つ

2019-03-27 05:19:15 | 土と遊ぶ(野菜)
昼間のとろとろ土いじり。


矢車草の芽が出て来た。
密集してるから、間引いたものは別の場所に移す。
矢車草は絶対に青が好き。でもこれはピンクが咲く。まぁいい。





チューリップが大きくなってきた。向こうのはギンガジウム。






見ての通りの苺さん。
プランターが小さいけど、それならそれなりに育ちなさい。






これはブロッコリー。プランターでできるのかは不明。
お日様と土と肥料と水があれば育つんでは。買った方が早いけど。




清く生きる植物画像から、ドロっと追記の愚痴。

肝臓の数値改善に、カカオ86%のチョコレートを食べ始めた。
改善するといいなあ。この、すぐ疲れるの、治るかなあ。
ビタミンB群のサプリも飲んでるけど、効いてる感覚はなし。

ふ〜〜

半年に一度くらいかな、いや、年に三回くらいかな。
何かにむっかり急激に腹が立つことがある。
普段は、何それ?と頭にきても、何となくその場を流すのだが、
たまに、ムカムカを抑えることをせず、バッと吐き出す事がある。
キレる、てこと、だわねえ。これ、ある種の病気?

うーん、セロトニンの不足かな。

で、今日がその日だった。
叔母の非常なる矛盾言動に腹が立ち、ズバリ言ってしまった。
言葉を選びながらも、声に怒りは見え隠れ。

母方の血筋は、話し方がストレート。
腹を立てると言葉が超キツイ。
私はそれをきちんと受け継いでいる。

叔母に頭にきて電話したら、
叔母の返答は、さすがのサラブレッドで、
同じ血を引く者同士では、年の功で叔母の物言いが優った。

しばらく顔も見たくない。行かないわ、とうぶん。ふん!
完全に明らかに明白に、叔母の言い分はおかしい。
しかし、全くそれに気づかないのは老化のせいか。

叔母も私も、血に脈々と沿い、それなりに育ったのだ。
私が年老いたら、もっとわがまま論法をまくしたてて憎らしくなるかも。
あ〜〜 やだやだ。

血の繋がる関係は、 時々、非常に煩わしい。
故郷は遠くに住んで懐かしむには美しい。
長く離れてから戻ると、出生の地は異国人の里。



何年越しの花木など育てず、とっと離れたいものだ。






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開かない家

2019-03-25 00:49:00 | ない
夜更けて つらつら思うこと。



朝の10時過ぎに、玄関で男の声がした。

ごめんくださぁーい! 

あれ・・玄関の鍵、閉まってるはずだけど。

遊ちゃんが興奮して玄関に走った。

わんわんわーん、誰か来たよー!

もう、誰? 勝手に玄関開けて入ったの。やだなぁ。

はーーい! ちょっとお待ちくださぁい!


小さな家なのに、訪問者もワンコも私も叫ぶ。なんて朝だ。




こんな事になるのは、
うちにチャイムもインターホンも付いていないせいだ。

田舎では日中は鍵をかけない。出かける時もかけない。
でも、うちは日頃から在宅中も鍵をかけている。

田舎といえど、不審者も徘徊してるし泥棒もいる。ストーカーもいる。
都会ですら出遭わなかったようなITに長けたサイコパスもいる。
田舎っていうのは、やばい部分を隠し持っている。
うっかり闇に触れてしまうと、芋づる式にヤバさが見えてくる。
都会よりも得体の知れない人物の生息率が高い・・気がする。
みんな人が好くてのどかだなんて思うのは幻想にすぎない。


だけど、鍵をかけているのは、物騒だからではない。

訪問者がイヤだからだ。
自宅に居る時間は、1人でいたい。

なのに鍵が開いていたとは、不覚だったわ。チッ!


母が倒れる前までは、うちにもインターホンが付いていた。

しかし、私がここに移住した時に外した。うるさいから。
化粧品のセールスオバサンだの、流しの桃売り兄ちゃんだの、
明るく礼儀正しい布教者だの、コピーペラペラの御札売りとか、
頼んでないのに来ないでよ。ピンポン迷惑。 

こんな過疎地なのに、飛び込みセールスが意外と多い。

だから、私は在宅中も鍵をかける。
他の家は夜しかかけないけど。

しばらくすると、辺りに、
Aちゃんは長く東京に住んでいたから、
昼間家に居ても必ず鍵をかけてるよ、との噂が浸透し、
ほんとに用事がある人は、ドアが開かないと外から叫んで私を呼ぶ。
ピンポンがないから、上記の衆は素通りするようになった。


そしてまれに,
玄関前の花壇の手入れで出入りすると、鍵をかけ忘れる。




玄関に立っていた男は1人ではなかった。4人いた。

あら、Fさん、鍵、かかってなかった?

えー、開いてたよ。おはよう、Aちゃん。

知ってる顔の横から、知らぬ顔が前に出て、
満面の笑みで名刺とチラシを差し出した。

こんにちは! Mです!よろしく!!


・・・はぁ 選挙回りか。
うっとうしいくらい元気な声だ。


名刺を見て思い出した。
うちの叔父がいつも文句を言ってる7期も続けてる議員だ。
どこがどうと褒められる部分はないが、スキャンダルもない。

アイツは何の役にも立たない! 背が高いだけのデクの坊だ。
相談しに行っても、地元のことを何も把握してない!


あぁ、叔父がよく話してるから、存じ上げてますぅ。

そお! 叔父さんてどなた? 

満面の笑みが膨らんで、眼鏡の奥の目がパッと花咲いた。
すかさず大安売りの握手をしてくる。・・やだぁ。

・・私は突然の訪問者は嫌いだが、
要らない物売りにも決して票を入れない相手にも、表面上愛想はいい。
こういうところを、友は「恐い」というが、これは保身的反射神経だ。

だいたい後ろに立ってる3人は叔父の友人知人なんだから、
無下に交わすと後が面倒くさい。



書くのに飽きてきた。

要するに、
日曜のくつろいでる時間に選挙回りなんか来てほしくない。
鍵が開いてても、許可なしに玄関の中に入らないでもらいたい。

セールスも宗教も選挙回りもお断り。


支持不支持に関わらず、選挙候補者が、
玄関内まで踏み込んで来るなんて、絶対お断り。
地元で顔の広い人の、顔を効かせて玄関まで入る。
田舎ならでは、だよねえ、これ。
踏み込むべきは、玄関よりも住民が抱える問題だろ。

選挙が迫ると、誰を見ても、犬見ても電柱見ても愛想がいい。
これ、私と同じ保身的反射神経か?






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散らない桜

2019-03-23 01:49:29 | ない
夜更けて つらつら思うこと。

久しぶりに見たイチローは、
すっかりおじさんになっていた。
痩せた顔と白髪の坊主刈り頭は、
ユニホームを着てなきゃ修行僧みたいだ。

ほら、なんてゆうの、精悍さを超えた先の、
悟りとかの域に入った、
無駄も妥協も贅肉のカケラもない、
身も心も研ぎ澄まされた、ちょっと精神世界の人みたいな。


桜開花宣言の日に、イチローは現役引退表明。
なんだか妙に象徴的な気がした。
桜咲いて、ニッポンの大事な桜散る、というか。
いや、イチローは唯一無二の散らない桜。

桜の時期に、日本中あげて皆でサクラサクラと騒ぐから、
わたしは毎年独り密かにシラケてるんだけど、
どうして皆様、
ソメイヨシノに恋をするやらこの季節。
まるで猫達の発情期のように落ち着きをなくして、
にゃあにゃあにゃあのサクラサクラ。



サクラ サク。
昔の合格通知は、そんな言葉だったなぁ。

私の大学の通知は、単に合格、だった。

私は大学受験は一校だけで、
そこが合格だったから他は知らない。
私の時代にはサクラサクはとっくになかったな。

・・思えば、
滑り止めも、他の道も全く考えてない受験など、
他の人はするものだろうか。今思うとあり得ないな。
うちの親は、大学などどうでも良く、落ちたら幸い、
他所に行かせず地元に置こうと思っていたらしいが、
ほとんど推薦みたいな入試だったからケロリと合格した。
担任は私の成績を大幅改ざんして大学に提出したに違いない。
物理や化学の授業中は気絶してたから、常に赤点だったのに。
ま、物理や化学とは無縁の学部だったけど。


で、不合格はサクラチル。
サクラチル、残酷な表現だわ。
心情が入った言葉っぽくて、冷たくていじわるだ。
まだ不合格の方がマシ。
単に合否判定の、否だから、
自分の力不足と受け止められるが、

サクラチルなんて言葉が送られて来たら、
私なら、もうその大学の名前は一生聞きたくない。
恨むね。


新潟大学の、昔の不合格通知は、
日本海 波 高し、だったとか。
うまいねえ、サクラチルより、ずっとイイ。
でも、え?何?どうゆう意味って、ちょっと考えちゃうかも。
てーか、そこで考えちゃう程度だと、やっぱ落ちるな。


イチローがおじさんになるくらいだもんなあ、
私も当然おばさんになるわなあ。
子どもや若い子は、うちの息子もそうよ、
おじさんだのおばさんだの、年寄りだのポンコツだのと、
長く生きてきただけで、バカにしたような口ぶりだけど、

バカはお前らだよ、小学生や20代なのは今のうちだけ。
自分も年を取るってことを知らないマヌケ。
そう、私もつい最近まで、そのマヌケのまま生きてきたけど、
いくらなんでも、さすがに気づいてしまった。。

桜咲くたびに年をとる。



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