先日、せかせか所長が緊急の空気を漂わせ、
突然スタッフ全員を廊下に集めて、
(すでに子どもが来ている時間帯だったから、
事務所前の廊下に集合させたんだけど)
「この子だけど」と小さくメモ書きした氏名を指し、
「こういうことなんで」とまたメモ書きを指し、
親から連絡が入り、言葉の教室に通っているから、
「この件を本人に聞いたりしないように。あとはこれを回して読んで。」
と参考資料をよこし、2分程で話を終えて、解散させた。
そんな小さくて薄いボールペン文字を指しても、
私の位置と私の視力じゃ、全然見えなかった。
仕事に戻ったとたん、
同僚仲良しが寄って来てささやき声で、
「あの字、なんて読むの?」と私に聞く。
「まーったく見えなかった。」と言うと、
「何とか音て書いてあった。」
「うーん、もしかして、その字、口が付いてた?」
「それそれ!」
「あー、キツオンだわ。」
「キツオンて?」
「あの子、どもるかな?」
「あ、どもる!」
「そのことよ。本人に聞くなって。」
「そっかー、そうなのかー。」
仲良し同僚は、納得したふうに私から離れた。
余談だけど、
彼女があの字を読めなかったということは、
見えても誰1人、アレが読めなかったな、と確信した。
そーゆー職場に私はいる。
彼女はその子をどもると言ったし、
ベテランKさんは、「なんか普通じゃない感じがしてた」
と言うが、私は気づかなかった。
ごく最近入った2年生女児だ。
1人でいる時はほとんど話さず大人しく見えたが、
先週、勉強部屋の見守り担当をしている際は、
仲良しの女の子と一緒に、
私の言葉にさまざま受け答えし、
2人で冗談まじりの反論をしたり、活発な面を見せた。
どもることはなかった。
2度3度どもれば、私だって気づく。
意外に意思のハッキリした気の強い子だな、と思ったくらいだ。
ふざけて愉快そうだったから、リラックスしていたのだろう。
そうか、キツオンも「子どもの問題点」としては、
ADHDやアスペルガーや自閉症などと一緒に「障害」にくくられるのか。
私は違和感を感じたけれど、脳の機能が関係してるから?
同僚らとはこの件を一切話していない。
私は別の人のことを思い出した。
高校のクラスメイトのこと、ある男性のこと、
そしてマリリンモンローのこと。
マリリンモンローの生い立ちから死までを追った本を、
高校生時代から数冊読んだ。
どの本も、
子ども時代の境遇が精神不安定につながった、という見方で、
同情的なニュアンスと、
一方でどこか蔑む空気感を挟んで描いていると感じさせた。
映画での役どころからくる定着したイメージを覆すことを狙いながら、
どれも同じ「イメージ」をなぞるだけのようだった。
マリリンも子どもの頃にキツオンがあった。
親類をたらい回しにされて育ったのが原因だとされている。
マリリンが、ふわっと口を開けてから発話する独特の癖は、
キツオンを矯正したせいだともされる。
いろんな画像を見ていると、歌う場面でも同じだ。
アテレコの日本語はそれを強調しているように感じる。
口を開けた瞬間、息を吸って話し出すような間が、
マリリンの話し方を余計「セクシー?」に見せたかも知れない。
キツオンが抜けきらない悩みは、
36年の人生に何度か波のように押し寄せ、
死が近づいていた頃も悩んでいたと言われている。
ケネディの誕生日に、
ハッピーバースデー、ミスタープレジデントと歌う映像は、
この頃キツオンがひどくなっていたことを知った上で見ると、
大衆の目にセクシー過ぎる歌い方に映ったであろう姿が痛々しい。
トルーマンカポーティの「ティファニーで朝食を」は、
実はマリリンモンローを主人公にイメージして書いたとされる。
それを私は20代に何かで読んだ。納得がいった。
主人公ホリーにはマリリン本人とダブる要素がいくつもある。
歌うシーンはオードリーじゃ全然合わない。
だいたいホリーゴライトリーは、オードリーだと違い過ぎる。
「ティファニーで朝食を」をやるマリリンが見たかった、
ずーっとそう思ってきた。
天真爛漫そうだけれど、どこか退廃していて、
誰の手のうちにもおさまらず、スルッと逃げていく。
マリリンがやれば、映画は完全に違う作品になった。
マリリンの代表作になったのではないか。
そして女優人生の自信になったのではないかと、思う。
「キツオン」のことから、
昔の記憶が浮かび上がり、
マリリンモンローやカポーティを思い出すうちに、
不意に舞い降りた感覚や視点が、まだボンヤリしてにせよ、
最近の低迷する精神状態を、切り替えてくれそうな気がする。
そういえば、カポーティの「冷血」は小説ではない。
それらの本を読み返し、映画を数本見直すことに時間を使おう。
辺り一面、真偽の知れない情報を取り込み過ぎて、
自己汚染してしまった脳の、洗浄になるかも。
これも小さなセレンディピティかもしれない。