どんな風に見方を変えても
どんな風に歩み寄ろうとしても
許せない。
人の命に、重い命も、軽い命も、ない。
誰の命も、かけがえのない、たったひとつの命。
精一杯、生きる価値のある命。
今回の事件が報道され続ける中で
どうか、「生きる価値がない人がいる」なんて勘違いをする人が出ませんように。
どうか、「精神障害のある人がみんな他人に危害を加える」なんて勘違いをする人が出ませんように。
きちんと考えて、知らなかったことを知って、見えなかったものを見て
重度の障害者の方のこと、家族のこと、精神障害者の方のこと、社会の制度のこと、実態、
人が言うこと、テレビで流れる映像だけで終わらせないで
考えるきっかけになりますように。
私、私だけかもしれないけれど…
「出生前診断」のニュースを聞いたときと、同じ気色悪さを感じました。
生まれてくる前の命とは、全く質が違うと考える方が多いのかもしれません。
親と他人とでは、質が違うのかもしれません。
けれど、根底にあるのは、命そのものに区別をするのかしないのか。
どこかで線が引けるものではなく
多種多様な個性、生き方をどうして許容できないのか。
自分が、自分の子どもが、他者や社会から否定され、生きる価値がないと決めつけられるとか
受け入れられる筈がない。
どうして、大きなハンデをもった人の身近にいながら
その命の価値を見いだせないのか。
ロボットや機械じゃあるまいし、生産性なんかで人間の価値は計れない。
瞳や、唇のかすかな動きだけで人を感動させる瞬間があることに
気づけている人は、少ないのかもしれないなぁ。
どうか、必要以上に傷つく人がいませんように。
惑うことなく、全ての人が自分の命を謳歌できますように。