8月13日マッキンリー山遊覧飛行、アラスカ湾氷河観光クルーズに次いで今回のハイライト「北極圏(66度33分)を超えて」へ。ここで一行はサーモン釣り組と分かれてアラスカ航空でアラスカ極北北西部の町「ノーム」へ。この飛行機、貨客混載で気密が今一で耳がキーン、頭がズキン。着地は舗装無しの飛行場が見えてから殆ど垂直に近い感じでバーンと土煙をあげて着地。これ戦場型着地法で安全だとか。
ここで小型機に乗り換え北極圏を超えた人口200人位のエスキモー(当時の呼び方で今はイヌイットと言う)の漁村「コツエビュー」へ。夏とは言え寒いのでパルカと言う防寒着を借りて小さな村を見て歩く。目の前はベーリング海を挟んで当時はソ連領がすぐそこに。例え極北の小村でもそこはアメリカ。教会、学校、病院にスーパーまであった。アザラシの皮で作ったトランポリンのようなものの上で見せる「ブランケット・トスにエスキモーダンス」なんかを見て終わり。ノームへ戻る。
ノームは何もない平らな土地が広がる。ツンドラの平原に木が殆ど無い。後は海。ゴールドラッシュで開けたが今はゴーストタウン。ナゲットインホテル宿泊。夕食にはトナカイの肉を食べた。夜11時頃でも日本の6時頃の明るさがあり、海岸では若い人達がタムロして束の間の夏を楽しんでいた。
一方で貨幣経済になり漁業主体の生活が崩れてしまったエスキモ-の生活は所謂生活保護的なものに変わり、する事が無くてアルコール中毒が増えそれが大きな問題になりつつあると聞いた。今はどうなんだろうか?泥酔し路上に倒れると収容されるので何とかもたれて立ち尽くす人々を見て本来の自然生活を失った人の末路を考えさせられた。ここで白夜も経験でき翌朝2時頃まで起きていたのでもう睡眠不足もいいとこ。同室の方がそんなジジを眠らないでお待ち下さつたので恐縮した。
翌日14日はアンカレッジへ戻り一路真夏の東京へ。短かったような長かったような初海外旅行もこうして終わりを迎えました。何しろハジメテ尽くし。見るもの聞くもの珍しくこんな世界もあるんだと知って目からうろこが落ちた状態。これからはコセコセと狭い料簡で暮らさないで行こうとの決心も、喧騒と暑熱の日本に戻ると3日を待たず胡散霧消して元の働きバチに戻りました。
貨客混載のアラスカ航空機
北極圏通過証
コツエビュー到着
先の方の半島に村がある 見難いが中央小型機が飛び立っている
パルカを着てベーリング海をバックに記念撮影
ブランケット・トスで跳躍する女の子
ノームってこんな町
クジラの骨とトナカイの毛皮で造られた一昔前の住居跡
現在は暖房完備のええ家に住んでますよ。
見渡す限りのツンドラ荒野
レーダー基地があるのはソ連が近いから?
今でも夏は鮭の天日干しで冬を待つ
夏は遊んでも冬は働いてますよ
エスキモーダンスを見たプチホテル
これぞエスキモーダンス
白夜(絵葉書)
2008年のアラスカ
アラスカ鉄道
デナリ国立公園内 霧でマッキンリーは見えない
マッキンリーが見えたのはタルトーキナ・リゾートからだけ
白頭鷲を見つけた
野に咲く小さな花