旅と宝塚と写真好きジジ

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初南米旅行(1992年3月9日ー4月14日)アルゼンチン&ブラジル②

2018-08-27 16:17:02 | 海外旅行

8090yoさん読者登録有難うございました。宮ちゃんさんコメントアリガト。宝くじはまだ買ってません。

3. Mar del Plata (3/16--3/22).

多分ご存じだとは思いますが現在のアルゼンチンは議会制民主主義の国ですが、かつて社会主義人民議会が制した時代がありました。その頃一般市民もリゾート地に別荘(というより長期滞在できるマンション又はシェハウス)様の施設が国家事業としてリゾート開発などが行われた場所に出来たそうです。(不正確な情報?)

ご多分にもれず友人のHさんも大学の同僚だったFさんと共同購入でブエノスアイレスの南西400kmにある大西洋岸に面したマル・デ・プラタと言う保養地にハウスをお持ちでそこで数日過ごすことになりました。 

ジジの南米へ行った目的は1、南米最高峰アコンカグアを見る事が出来る場所の下調べ、広大な平原に広がるパンパの牧場を見る。イグアスの滝とリオ訪問でした。でマル・デ・プラタからの帰途、独りでパンパを訪れる積りでした。当初は汽車で行く積りが、急に国鉄がストをしたので急遽長距離バスで行くことに変更。途中パンパのある地方を通るのでこれ幸いと下見する積りでした。 

所がバスで移動中に見たモノは、あに諮らんや、夢に描いた自然一杯のパンパにあるはずの大草原の大牧場が、その当時ですらもう野性的なガウチョが走り回って牛馬を飼い慣らす風景などは昔話で、管理され組織化された事業としての大牧場経営に変わっており夢は潰えました。 

マルデプラタは河口が一説によると275kmという南米第二の大河「ラ・プラタ河」の河口から東南部に当たる場所にあり、元は多分漁村であったと思われます。当時でもマルハ水産漁業の現地会社がありました。日系人がオーナーの魚料理レストランがありましたが、お顔はまさに日本人なのに全然日本語が判らず不思議な感じでした。大西洋は結構波が荒く濁っているので泳いでいつ人は少なく日光浴や食事にお喋り等している方が多かった記憶しかありません。

漁村の名残

 

スゴイ量の塩が次々と搬入

丁度カルナバルの時期で街は買い物客であふれて賑やか。ディスプレーも派手でクリスマスみたいでした。毎夜広場では深夜まで民族舞踊やタンゴショーがありました。その時のビックリは小さな女の子が日本語で「ラ・クンパルシータ」を歌った事。まあのど自慢みたいなものです。オウディトリューム劇場では、モダンなタンゴショーが上演されていてこれは素敵出来でした。

丁度カルナバルの時期でした

海岸は広くてノンビリ 泳ぐ人は少ない 

街から少し離れると広大で静寂そのものの湿地があったりと南米大陸の広さが実感できました。あっと言う間に滞在期間が終わり、又長距離バスに揺られてブエノスアイレスに帰還。途中心臓発作を起こした乗客が出て大騒ぎになり、帰りついたのは深夜近くでした。 

少し郊外へ行くと静かな湿地が広がる

4. Buenos Aires (3/22--3/26)

この後ブラジルへ行くので日系人が経営する旅行代理店(アコンカグアからチリへ抜ける行程を日本語で聞けたのが収穫)を見つけたがクレジットカードでの支払いを受け付けないのでほかの代理店「カルコス」で航空券と宿泊+送迎がセットになったクーポンをカードでゲット。その間一人であるいはHさんと市内観光に出かけました。良かった所はやはり古いブエノスアイレスの雰囲気が残る所、特にボカ地区のカミニート辺りグーでした。いつ、どこをどう見たのか今は記憶のかなたですが、少しの写真が頼りの綱です。

カミニート界隈

夜の繁華街

空港です

地下鉄 上野浅草間の見たい

ランドマーク 5月広場

 

コメント
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