旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

アメリカ経由ヨーロッパへの旅② 1994年

2018-06-20 08:53:36 | 海外旅行

宮ちゃんさん この前はこの旅行記第一回目に対し豪華な褒め言葉を頂きアリガト。言葉ではつまらない表現でも文章に書き文字列で見るとなんだか賢そうに見えるだけ。これからも懲りずに見てね。それより宮ちゃんさん連日の体と声を張ってのご出演、大変でしょうね(拍手!)。古すぎるけれど一度越路吹雪歌ってみて!

3, Rothenberg-Fussen-Neuschwantstein-Munchen(09/03-09/06) Hotel Altano.

さてこれからはいよいよ鉄道を使っての独り旅。ワーナーさんご家族総出の盛大な?お見送りを受けて一路ミュンヘンへ。無事に着いて駅近くのホテルに荷物だけ預け大急ぎでフッセン乗り換えでノイシュバンシュタイン城を目指す。生憎お天気が悪く駅から緩い勾配の道を歩いて城門に到着した頃は薄暮ではないのに薄暗く肝心の白鳥に擬したお城をハッキリと見ることは叶わなかった。何だか狭苦しい螺旋階段を大分登り広間に出たことだけは覚えていますが、後は案内人がいる訳ではなく夜までにミュンヘンへ戻りたいので駆け足で見て回りました。

記録を見ると翌日は何故だかミュンヘンのイングリッシュガーデンへ行ってますね。たくさんのヌーディストが芝生の上でゴロゴロ。太っちょさんが多くてあんまりキレイな体やお姿の方は見かけませんでした。そのほかDeutsches Museum & Nymphenburg Castle へも行きましたがあまり記憶にない。

駅の側から見上げると…

お城目指して駅から歩く

やっと見えた

回りは鬱蒼とした森、晴れれば城の向こうに素敵な景色が見えるそうでした。

まあこんな感じ

回りがはっきり見えなくて残念  何故だかミュンヘンの写真が1枚も見当たらない。

4, Munchen - Verona (09/06 - 09/08)Hotel De Capuleti.

ミュンヘンからアルプスの長大なトンネルを抜けてイタリア北部のヴェローナへ移動。イタリア側に着いた途端線路のメンテが悪いのか揺れが激しくなった。ヴェローナはロミオとジュリエットで有名なキャビレット家の邸宅なるものがあったが余り感銘を受けるような場所ではなかった。やはりシェクスピアの創作の力に騙されていたのかも。

街自体はこじんまりした歴史を感じる街でした。夏季に野外オペラを上演する(アイーダが有名)コロシアムの遺跡を使った劇場とか歴史を感じる建築がそこかしこにあったが、当時の日本のガイドブックは情報が足りず全部見ることは出来なかった。でも街の中央を流れる河のほとりや一歩裏通りに入れば昔のヴェローナはこうなんだという場所が散見された。

コロシアム 野外劇場

多分この写真がロミオとジュリエットのバルコニーの場面のモデルだと思うが?

どこなのか判らぬまま撮った写真です。

独り旅のいい所は自分の気に入った所は時間をかけて丁寧に見られたり、ぼんやりと座って人の流れや景色を見たりできる事。困るのは常に荷物を監視しなければならないことと、夜の食事場所を決めること。それとあと一歩と言う所で目的地を探せず撤退と言う羽目になることなど。団体さんでは時間の制約はあるが一人旅の欠点はほぼカヴァー出来るのが利点かな。

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NHK鳴門秘帖第9回 BSプレミアム放映

2018-06-17 11:09:33 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

第9回「姉妹の契り」BSプレミアム:2018年6月15日(金)午後8時(NHK公式HP参照)

 

徳島城のろうに捕らわれた弦之丞(山本耕史)は、家老・龍耳軒(田村亮)のはからいで脱獄する。一方、お十夜孫兵衛(袴田吉彦)に拉致された見返りお綱(野々すみ花)は、孫兵衛の悲惨な過去を知り、共感を覚える。だが、駆けつけた弦之丞と千絵(早見あかり)の助けで、逃げ去る。お綱と千絵は、姉妹の名のりをあげ、弦之丞と千絵は再会の喜びで満たされる。お綱は妹のために、弦之丞への思いを断ち切る決心をする。そして弦之丞たちは、鳴門秘帖を奪うことに成功するのだが…。

まず家老の龍耳軒が何故あっさりと法月弦之亟を牢から逃がすのかよくわからない。お十夜孫兵衛の住み家に次々と旅川、法月、千絵&万吉が本来地理不案内のはずなのに同時に現れるのか。結局「鳴門秘帖」は阿波の蜂須賀家に届くのだが果たしてその中身は… まあ都合よく波乱万丈風に物語が進むのは昔のチャンバラ映画の常道を踏襲か。

で弦之亟があわやの時には突如現れて助けるという図式も健在だ。姉妹の名乗りはそれまでにネタバレバレでインパクトは薄い。大団円前のこの回。あまり難しく考えず画面とチャンバラを楽しめればいいと思うのだがチョット剣劇場面は迫力不足で今一。まあ最終回には「鳴門秘帖」に何が書かれているのかが判りどう終わるのかがタノシミ。

 

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アメリカ経由ヨーロッパへの旅①1994年

2018-06-15 14:47:38 | 海外旅行

Rokuzanさんコメントアリガト。北の問題本当に歴史の一齣に残る結果になるのかこれからも注視ですね。

ジジは57才と少し早めのリタイアーをしました(当時一般的に定年が55才でした)。その訳は兎に角元気な内に世界中を独りで旅したいという若い頃からの思いが募った結果です。当時は今の様にネットを通じて簡単に情報を集めたり予約をしたり出来ない時代でした。

頼りにしたのは

1 イギリスのThomas cook社の世界鉄道・バス時刻表。 

2 Best Western Hotel chain

と言う中級以下の世界的なホテルチェーン、と言っても自前ではなく、提携紹介が主な業務(今は違うかも)。東京にある日本の支社宛にファックスと電話で兎に角予約をしました。でもはずれは一回もなし。確実に予約がされていて安心して出かけられました。 

3 アメリカの航空会社の販売する格安航空券(2か月以内で出発日と帰着日のみ確定する)。

当時のJALやANAは高過ぎて使えません。で往復のチケットとアメリカ国内用のクーポンを買えば世界中と米国内へ出かけることができるアメリカの航空会社が頼りでした。ただし安い分ダブルブッキングの対象になり何度も時間待ち等しましたが、一人旅で期限をきちんと決めて滞在していなかったので別に困りはしませんでした。そのマイルを稼いで東南アジアは殆ど無料で旅しました。 

4 当時バブルの終焉期で海外や国内のリゾート会員権を持つのが花盛り。で銀行員に勧められ、銀行推奨の海外のリゾートを傘下に持つ会社の会員権なら大丈夫と思い大枚はたいて¥300万円も出して買いました。そこを拠点に旅するつもりが… 

丁度バブルがはじけてこの計画も潰えました。ジジは少し前に買ったのでその会社の持ち物と信じていたホテルの利用と年1回支給の無料航空券を使って何度か利用したので半分位は回収出来たと思います。 

使ってみて判ったのは、自前のものはハワイとカナダのマンションだけで、あとはその都度現地のシティホテルかリゾートホテルを契約して使わせる、また現地駐在員はその都度雇われたアルバイトで玉石混交でした。でも何度かは自前では無理な超豪華ホテルにも泊まれたので良かったです。 

5 ユーレイロパス・イギリス鉄道パス(1994年当時)

  ヨーロッパでの移動は主として鉄道を使いました。当時の西欧の範囲はユーレイロパス、島国のイギリスだけは別にイギリスパスがありました。パスは値段により何枚か綴りになっていて、1枚で24時間乗れるから長距離用に使い、近くは都度切符を買いました。 

さてジジの若い頃、お金持ちは兎も角、リーマン生活者では1か月以上も休暇は取れないし、まず金が無かった。死ぬまでにその夢をかなえたくって1991年に57歳で退職しました。 

で、直ぐしたことはスポーツジムへ行ったり登山、ウオーキングをしたりとまず体力作りを始めました。1年間英国人の女性について英語の個人レッスンを受けた。それと既にしていた国際ペンパル活動を更に頻繁にしました。最後のツアーの時添乗員さんに頼んでホテルや空港の窓口でのやり取りを見学。 

前置きが長くなりましたが、こうして始めた一人旅。今思えばもう少し良いカメラと記録をきちんととしておればもっとよかったと思いますがまさかブログを書いて出すなんて思いもしなかったからシカタガナイ。ワープロしかなかったから記録も曖昧で、記憶も曖昧だから記事に間違いがあるやもしれません。その節はご容赦を。なおこの前文はこれ以後も時々使いますのでその時はご容赦ください。 

ジジの初海外旅行先はアラスカで1963年の夏でした。これはまだ準備ができていないので今回は下記の旅行記を投稿しました。と言っても写真はフィルム写真で旅行記はスケジュールを見ながら書いたので中途半端だし、間違いもあると思うのでご容赦下さい。 

全日程は下記のとおりですが今回は 1-3までを投稿します。 

Travel Diary to Europe & USA (1994,08,25 -- 09,30). 

1, Kobe-Osaka-San Francisco-Chicago-Saginaw (94,08,25 - 08,28).

 漸く残暑の収まりつつある日本を旅立ったのは8月25日。この旅はユナイテッド航空利用でアメリカ経由ヨーロッパへの旅。サンフランシスコ、シカゴと乗り継いで最初の目的地ミシガン州のFrankenmuthというドイツ系の人が多く住む小さな町をペンパルのビルさんの好意に甘えて訪問。 

-Saginaw空港には延着で深夜までビルさんを待たせて本当に申し訳なかったが、彼は米系航空会社の延着には慣れているようで一安心。翌日Frankenmuthの街やTri-cityと呼ばれる3つの都市 (Bay, Midland & Saginaw) を訪問。Bay Cityはかの有名な Madonnaの出生地だとか。また Dow Chemicalの本社所在地が広大な敷地を占拠していた。 

Frankenmuthはドイツ系の移民が先祖と言われる清潔でいかにも小さい街で、素敵なお家に泊めて頂きラッキー。近隣の方にも紹介されて皆さん親切な方ばかりで感激。街で見かけてビックリしたことはデッカイ車が無人で走って来たこと。 

でも実際は無人ではなく、外から見えないくらいの小柄なオバーさんが大きな車にちょこんと乗って運転中。街にはお店が一軒もなく、高齢者でも自立できる間は何時間もかけて遠くの大きなショッピングモールまで出かけなければならないとか。そう言う意味では狭い日本のほうが老人にはいいのかも。 

2, Saginaw-Chicago-Frankfurt-Rothenberg(08/28-09/03).Hotel Mestertrunk. 

 Saginawからシカゴ経由で大西洋を渡りドイツのフランクフルトから鉄道でローテンブルグへ。大西洋路線にはアジア系は極わずかで何となく心細い。ここには日本にも住んでいたことがあり、日本人の奥さんがいるワーナーさんがいるので安心。翌日にはローテンブルグだけでなく友人や奥さん子供さん達と近隣の町々へ案内して下さりツアーでは見られない街中も見られた。 

行ったのはWasserschloss Mespelbrunn, Creglingen, Weikersheim, Detwang, Dinkelsbuhl, Wurzburg, Nurnberg 等ですが読み方が判りません。ホテルは門限がありましたが、一度遅れてしまい、やっと開けてもらい文句を言われました。でも清潔すぎるくらい清潔なホテルでした。 

ローテンブルクは、ドイツ南部バイエルン州にある大規模郡都市。現在はロマンチック街道の要衝であり、中世の宝石と呼ばれ、城壁に囲まれた小さな街並みはまさにおとぎ話の世界そのままです。市庁舎の塔からは、赤い切妻屋根の町中が見渡せます。城壁の外は緑深い森や草原が広がっていました。 

旧市街地区への入口

市役所

市役所から市内展望

赤い屋根の玩具の様な家々

洒落た店が多かった

教会

郊外

ローテンブルグの近郊の町

上に同じ

上に同じ

上に同じ

以下次回に続く 

3, Rothenberg-Fussen-Neuschwantstein-Munchen(09/03-09/06) Hotel Altano. 

4, Munchen - Verona (09/06 - 09/08) Hotel De Capuleti. 

5, Verona - Pisa - Firenze (09/08 - 09/11) Hotel Rivoli. 

6, Firenze - Napoli – Rome (09/11 - 09/15) Hotel Canada. 

7, Rome – Nice (09/15 - 09/17) Acropole-Nice-Hotel. 

8, Nice – Marseille (09/17 - 09/21) Hotel Castellane. 

9, Marseille - Nimes - Barcelona (09/21 - 09/25) Hotel Dante. 

10, Barcelona - Valencia (09/25 - 09/27) Hotel Astoria Palace. 

11, Valencia - Madrid - WA Dulles (09/27 - 09/28) Hyatt Dulles Hotel. 

12, WA Dulles - San Francisco - Tokyo - Kansai - Kobe (09/28 -09/30).

 

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宝塚チケット一般前売り日

2018-06-10 14:13:27 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

昨日は宝塚花組の一般チケット前売り日。最近はJRのミドリの窓口はおばさんばかりが並ぶので何となく気恥ずかしくてネットで買います。中々1F席やいい席は買えませんが2FSのセンターがゲット出来たので良しとしましょう。 

先月ネットがいざと言う時にフリ-ズし買いそこなった月組愛希れいかさんのサヨナラ単独バウホール公演のチケット。ネットで探したら3万から4万円で出ていました。あほらしくて買えません。 

あっという間に売り切れたのであまりの人気のせいか劇団側としても娘役では異例中の異例で千秋楽公演を全国の主な映画館でライブ中継が決定。今度はピアで売るので指定のコンビニで買えるかどうか。でも¥4300って高すぎる。とは思いませんか? 

今年は何故だか花付きがよくって春から殆どの鉢で花が咲き続けてくれました。丈が伸びたので今日は思い切って切り戻し、肥料をたっぷりやりました。この頃は「やる」ではなくって「あげる」と言う人が多くなってます。犬猫にはエサはやる、植物には水や肥料もやるでいいと思うんですが。

所で全く関係ないが昨夕のゴハン、こんなの食べました。半分以上は既製品、少しはお手製。いつもは8品程度で済ませます。

既製品 ごぼうの甘酢漬け 豆腐 煮豆 大豆とジャコの飴煮 茎わかめとワサビの佃煮

手製品 鮭の塩焼き(ロシア産、チリ産は買わない)南瓜のアッサリ煮 きゅうりとトマトのサラダ

    茄子のごま油味噌炒め 生わかめの2杯酢漬け 新ショウガの甘酢漬け

手製と言っても材料は皆買うわけだから厳密にいうと全部購入品で単に煮炊きするだけ。

 

 

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NHK鳴門秘帖第8回 BSプレミアム放映

2018-06-09 14:33:17 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

第8回「親子の名のり」BSプレミアム:2018年6月8日(金)あらすじ NHK公式HP参照

阿波に漂着した弦之丞(山本耕史)と見返りお綱(野々すみ花)は、お遍路に身をやつして、甲賀世阿弥(中村嘉葎雄)が幽閉されている剣山へと向かう。竹屋三位卿(篠井英介)は山狩りを命じる。弦之丞が来ることを知った世阿弥は、山ろうを破って、鳴門秘帖を掘り出す。旅川周馬(武田真治)が横取りしようとするが、お綱の短筒に撃たれる。周馬は世阿弥に致命傷を負わせて逃げる。お綱と親子の名のりをして、世阿弥は息絶える。お十夜孫兵衛(袴田吉彦)が現れ秘帖を手に入れる。お綱を救おうとした弦之丞は、竹屋三位卿に捕らえられる。

鳴門の渦潮めがけて飛び込んだ弦之丞と見返りお綱。阿波の浜辺へ漂着し四国屋縁の勘助に助けられて剣山中へ世阿弥救出のため向かう。一方世阿弥は最後の力を振り絞り自力で脱獄し、剣山中に10年前自らが隠した「鳴門秘帖」を土中から取り出す。しかし三位郷率いる阿波藩士たちの知る所となり矢傷を負い洞窟に逃れる。しかし旅川周馬に見つかり甘言を弄されて鳴門秘帖を奪われる。

そこへお綱が現れ短銃で周馬を退け親子の名乗りをあげる。喜びの時もつかの間、三位郷の一行に見つかり郷の放った矢が世阿弥の命を奪い、そこへお十夜孫兵衛が現れ鳴門秘帖とお綱を連れ去る。弦之亟はこれらを取り返そうとするが三位郷らにはめられてついに捕縛され入牢さされた。大坂に残されていた千絵と万吉もお久良の計らいで小舟で阿波へ渡る。

四国一の標高を誇る剣山へは一度登山したことがあります。山容はおおむねなだらかですが一部に岩場もあり、今でこそリフトを乗り継いでラクチン登山ができますが、当時は深山幽谷であったと思います。

リフトがあっても最後は足で登る

頂上は一面ササで覆われていてなだらか

雲ががかり四国の山々は見えなかった

岩の割れ目には鎖場もある

珍しい キレンゲショウマの花

晴れて来て四国の山々が見えた

下りもリフトでラクチン 勿論歩いて上り下りするのが建前

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