旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

キエフ・クラシック・バレエ 夢の3大バレエ

2018-08-13 14:53:23 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

KKK6345(Dr アラン mac)さん、読者登録有難うございました。何故か6345から6348までで登録頂いてましたが…

Greenさんコメントアリガト。 劇団四季ご覧になられたんですね。ジジも春、秋劇場が出来た時までは時々観ていました。余り四季を見ないのはやはりオリジナリティが欠けている点でしょうか? 四季は故浅利圭太氏の集大成の劇団の様に感じますが彼はどちらかというとプロデューサー的な立場が強く、演出家と言うより輸入ミュージカルのアレンジャーみたいな側面を強く感じていました。

勿論四季の国産ミュージカルも何作かがありますが、どちらかというとドラマ性が強いものが多いと思います。浅利氏はコーちゃんのドラマティックリサイタルを成功させた立役者としての認識が強く、輸入ミュージカルの演出者と言う立ち位置が今一判りません。宝塚の様にトップスターを創らず、オーディションにより最適役で上演というのは一つの見識でしょう。

何度かブロードウエーやウェストエンドのミュージカルを見ましたが、日本と根本的に違うのは世界中から集まるミュージカルフアンの客席からの反応です。あちらは舞台と一緒に観てる感じ、こちらは客席から観ている感じ。所詮輸入ミュージカルは借り物、本場に敵うはずはありません。と言えば言い過ぎかも。だから例え幼稚なものが混じっていてもオリジナルを主体とする宝塚の方が納得できるジジでした。

伝統あるウクライナの首都キエフから来演したバレエ団のパンフです。

白鳥の湖から抜粋場面(白鳥のコールドバレエは16人いたから十分でした)

昨日は神戸文化ホールで上演されたキエフバレエ団のチャイコフスキーの3大バレエ抜粋版、と言っても20分の休憩を挟んで1時間40分程で3大バレエのさわりを見せる公演。舞台装置もカーテンに描かれたイメージ画のみでしたが、ダンサーたちはロシアンバレエの伝統を引き継いでいる優れた技術を見せることが出来る人達でした。

特に他地区では全幕公演をしているのでメインキャストは多分、トッププリマか準プリマ位の地位の方でしょうか。たおやかでありながら力強く魅せるところはきちんと見せることが出来る方たちで満足でした。コールドバレエも特に寄せ集め的ではなく良く揃っていましたし、客演?と思われる日本人のダンサーもよく踊っていましたが、並ぶと体格と手足の長さは如何ともし難いですね。客席もほぼ満員、ジジを含めて抜粋版なので、拍手のしどころが判り辛くてタイミングが外れたり、尻切れになったりはご愛敬でした。

内容的には「くるみ割り人形」から何組かの民族舞踊的な踊りと主役の見せ場。白鳥の湖はストーリーが判る程度の圧縮版でしたが一番よく踊られる王子と白鳥のデュエット始め見せ場はほぼ本番通りの振り付けで踊られたのではないでしょうか。最後の「眠れる森の美女」はあっと言う間に魔法で眠らせられたオーロラ姫があっと言う間に王子の愛で目覚めるのでビックリ。

オーロラ姫役のプリマ(多分 ヤーナ・グバノワさん)は素晴らしい踊り手で今回一番素敵でしたが、何故だか日焼けの水着の跡がクッキリで少々ガッカリ。幾ら地方公演でも日焼け跡クッキリのプリマさんは無いでしょう。と思うのはジジだけでしょうか。演奏は録音でしたが、ピアニッシモの音がきれいでないのが残念でした。

 

大ホール舞台

大ホール客席 この劇場不思議なのは最後列が第一列目と呼んでいること。

他にこんな呼び方する劇場ってあります?

 

 

 

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初海外旅行 初アラスカ (1973年8月9日ー14日)③ 最終回

2018-08-09 15:12:46 | 海外旅行

8月13日マッキンリー山遊覧飛行、アラスカ湾氷河観光クルーズに次いで今回のハイライト「北極圏(66度33分)を超えて」へ。ここで一行はサーモン釣り組と分かれてアラスカ航空でアラスカ極北北西部の町「ノーム」へ。この飛行機、貨客混載で気密が今一で耳がキーン、頭がズキン。着地は舗装無しの飛行場が見えてから殆ど垂直に近い感じでバーンと土煙をあげて着地。これ戦場型着地法で安全だとか。

ここで小型機に乗り換え北極圏を超えた人口200人位のエスキモー(当時の呼び方で今はイヌイットと言う)の漁村「コツエビュー」へ。夏とは言え寒いのでパルカと言う防寒着を借りて小さな村を見て歩く。目の前はベーリング海を挟んで当時はソ連領がすぐそこに。例え極北の小村でもそこはアメリカ。教会、学校、病院にスーパーまであった。アザラシの皮で作ったトランポリンのようなものの上で見せる「ブランケット・トスにエスキモーダンス」なんかを見て終わり。ノームへ戻る。

ノームは何もない平らな土地が広がる。ツンドラの平原に木が殆ど無い。後は海。ゴールドラッシュで開けたが今はゴーストタウン。ナゲットインホテル宿泊。夕食にはトナカイの肉を食べた。夜11時頃でも日本の6時頃の明るさがあり、海岸では若い人達がタムロして束の間の夏を楽しんでいた。

一方で貨幣経済になり漁業主体の生活が崩れてしまったエスキモ-の生活は所謂生活保護的なものに変わり、する事が無くてアルコール中毒が増えそれが大きな問題になりつつあると聞いた。今はどうなんだろうか?泥酔し路上に倒れると収容されるので何とかもたれて立ち尽くす人々を見て本来の自然生活を失った人の末路を考えさせられた。ここで白夜も経験でき翌朝2時頃まで起きていたのでもう睡眠不足もいいとこ。同室の方がそんなジジを眠らないでお待ち下さつたので恐縮した。

翌日14日はアンカレッジへ戻り一路真夏の東京へ。短かったような長かったような初海外旅行もこうして終わりを迎えました。何しろハジメテ尽くし。見るもの聞くもの珍しくこんな世界もあるんだと知って目からうろこが落ちた状態。これからはコセコセと狭い料簡で暮らさないで行こうとの決心も、喧騒と暑熱の日本に戻ると3日を待たず胡散霧消して元の働きバチに戻りました。

貨客混載のアラスカ航空機

北極圏通過証

コツエビュー到着

先の方の半島に村がある 見難いが中央小型機が飛び立っている

パルカを着てベーリング海をバックに記念撮影

ブランケット・トスで跳躍する女の子

ノームってこんな町

クジラの骨とトナカイの毛皮で造られた一昔前の住居跡

現在は暖房完備のええ家に住んでますよ。

見渡す限りのツンドラ荒野

レーダー基地があるのはソ連が近いから?

今でも夏は鮭の天日干しで冬を待つ

夏は遊んでも冬は働いてますよ

エスキモーダンスを見たプチホテル

これぞエスキモーダンス

白夜(絵葉書)

 

2008年のアラスカ

アラスカ鉄道

デナリ国立公園内 霧でマッキンリーは見えない

マッキンリーが見えたのはタルトーキナ・リゾートからだけ

白頭鷲を見つけた

野に咲く小さな花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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初海外旅行 初アラスカ (1973年8月9日ー14日)②

2018-08-04 14:49:50 | 海外旅行

始めにお断り アラスカへ初めて行った頃はバカチョンカメラを1台しか持っていなかった。当時のフィルムカメラは発色がまだ悪かった。スライドで撮った方が色彩も鮮やかだったのでほぼ交互に撮っていました。30年後位に気付いたのはスライドは殆どが色抜けしてしまい鑑賞に堪えなくなっていた。アラスカだけでなく登った山々や花の画像もスライド撮りのは全部アウト。であちこちで画像が無いところがあるがどうかご容赦ください。ペコリ。

8月11日7時起床。どうやら雨模様でうすら寒い。今日は12日からのアラスカ湾コロンビア大氷河目指してのクルージングのため南部の漁港バルディーズへ移動。途中アラスカでは比較的温暖だと言われるマタヌスカへ寄り、地上に流れているマタヌスカ氷河見学。ここで問題発生、一行の若者二人が側に行き氷河に上がるなとキツイ注意を無視して登り現地係員ともめました。

当時まだ日本では見られなかったトイレ付きの静かな大型バスで大原野をゆったりと走り、ワーシントン氷河、マタヌスカ渓谷、ゴールドラッシュ時代の名残があるレストイン、アラスカ山脈の雄大な眺めを観つつ夕刻霧の立ち込めるバルディーズ港の宿舎ワイアットハウスに到着。

8月12日は霧と小雨で視界不良の中コロンビア大氷河目指して出航。広大なアラスカ湾でも落ち口の幅が一番広いと言われるこのコロンビア氷河のある湾の狭い入口を入ると目の前に海に流れ落ちる氷河が。近寄り汽笛を大きく鳴らすとその音に反応して氷河が崩れ始め最後は大音響で雪崩落ちると船は大きく揺れ間一髪で逃れると言うパフォーマンスを見せてくれた。

最近はクルーズも増え温暖化で氷河が後退したとかで2回目の時このショーはありませんでした。クルーズ中は雨も小やみで小満足。ただアラスカ湾から仰ぎ見ることの出来ると言う5000m級のアラスカ山脈の雄姿を見ることが1回目も2回目も出来なかったのが心残りです。ウイッティア港からはポーテージ氷河まで短い間ですがアラスカ鉄道にバスごと乗車する経験をした。

ポーテージ氷河を見物しスキーリゾートのアリエスカに寄り後は一路アンカレッジ市内へ。ここで嬉しいお誘いが。マッキンリーへのフライトで同乗した美人の元CAさんが、夜はツアーから離れて港近くの釣り人相手のバーレストランでサーモンを食べに行きませんかと。願ってもない事なので即OK.CAさんはどこで調べたのかタクシーで1時間余走って小さな船着き場のバーに到着。

出て来たのはシンプルかつデカ盛りの一皿とビールだけ。この時それまでは切り身の塩鮭しか知らなかったジジ、生まれて初めてぶつ切りにされた鮭が丸いって知りました。この特大サケ一切れとデッカイジャガイモ1個にバターがタップリだけ。ビールはキンキンに冷えた薄いグラスに並々と注がれて下戸のジジもこんなに美味しいビールはハジメテで全部飲んでフラフラ真っ赤になりハズカシ。

バーは寡黙な夫婦二人だけでやっていてカウンターの数しか客を取らないとか。本当に初海外旅行でこんな貴重な経験が出来て元CAさんにただただ感謝。フライトでチップを惜しんだ旦那さんも今回は気にいったのかチップに苦情は出ませんでした。

この味が忘れられず以後カナダや北米、2度目のアラスカと何度も試しましたが、最初のデカくて丸いキングサーモンには2度とお目にかかることは叶わなかった。元CAさん、後日近くの路上でバッタリ。偶然のご近所さんでした。

バルディーズのパンフ

ワイアットハウス

霧と小雨のバルディーズ港

夏なので寒々しいアラスカ湾風景

コロンビア氷河が見えてきた

段々近づく

近くで見ればマサニ氷の壁

段々大きく近く

まさに崩落する氷河

帰途に見た風景

アザラシはノンビーリと

ポーテージ氷河

アリエスカの冬景色パンフより

12日夜はアンカレッジ宿泊 キャプテンクックホテルは2回目にも泊まった。

2回目の氷河クルーズ(2008年)

 1回目より天気は良く少し雄大な山と氷河が観られた

 

 

 

 

 

 

 

 

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初海外旅行 初アラスカ (1973年8月9日ー14日)

2018-08-01 13:20:23 | 海外旅行

若し初めて海外へ行けるなら「アラスカ」と決めていたジジに、ツイにチャンス到来。お盆休みが新しく出来、土日とあと2日間休暇を取れば行けるぞ海外へ。問題1、この話を家でしたら総すかん「自分だけ涼しいとこへ行って、我が家にはクーラーまだ無いのに」 問題2、どうして6日間で行けるか。1は妥協してクーラー買いました。2は当時はネットなんか無いし、旅行会社を全部回った。

その内取っていた毎日新聞に「アラスカ旅行団6日間」募集の広告が出てコレダッ!と思い即決。何しろ初体験の海外だし、何を持っていったらいいのやらと思案していたら、その時は事前に説明会もあり、羽田空港では物々しく結団式までありました。8月9日大阪から東京へ新幹線で到着、第一ホテルに前泊し、10日朝羽田へ。

当時の羽田は国際線と国内線が同居、当時海外へは羽田しかなく、35℃の暑いお盆休みと重なり人人人でカウンター前の集合場所までたどり着くのに必死でした。無事に結団式も終えた全国から集まったツアー客は係員も入れて41名。「ハイジャック防止チェック」の後JAL6便で11時発、一路アラスカへ6時間半の旅。

途中日付変更線を超えた時には大きな声で「只今日付変更線を通過」と機内放送まであり、CA(スチュアーデス)さんが白いエプロン掛けで乾杯のアルコールを配るサービスあり。今昔の感があります。窓外は夕焼けが続き美しい雲海が見られたとメモにある。23時40分頃アメリカアラスカ州都アンカレッジ空港到着。

何しろ始めて日本以外の地に降り立ったので興奮治まらず。広い空港にわずかな人、静か、涼しい(外は8℃とか)、一番驚いたのはカーペットが敷かれていたこと。後日判ったのは寒冷地だから敷いてあり深夜だから静か、その他の空港はは幾らアメリカでも普通でした。一同冬支度に急ぎ変えて通関し、市内のホテルロイヤルインに深夜到着。時差と興奮で眠られず、薄暮の美しい夜景を観ていました。

このツアー、サーモン釣りと北極圏越えの2班に分かれているが、最初の3日間は同じコース。ジジはアラスカって荒野みたいなところでホテルと言っても山小屋みたいなロッジがと思い込んでいたが、アンカレッジは当時の日本に比べてもやや都会風。女性の中には慌ててスカートを買いに走った方もいました。

一夜明けて、この日はそれがジジの目的だった北米最高峰マッキンリー山(6194m)への遊覧飛行。小型の単発機はエアタクシーと呼ばれ一般道路から飛び立つ。ジジは抽選で水上飛行機利用になり郊外のフード湖から飛び立った。風はあり高曇りだがまあまあのお天気、マッキンリーまでは400kmのフライトとかでまずビックリ、機長さんとツアーから3名と学生風日本人乗り合い客1名の5人乗り。

軽飛行機に乗ったのは初体験、揺れるたびにびくびく。眼下にはアラスカの荒野と言うか湿地と蛇行する大河が流れ日本ではまず見られない雄大な異風景に呑まれて揺れも気にならなくなった。やがて氷河を遡行する頃から天候が悪化、まあよく揺れました。一番威張っていたオッサンが最初にダウン。続いて学生らしき若者。ジジとオッサンの元CAと言う美人奥さんは何ともなかった。この奥さん匂い消しに機内へサッと香水一吹き、流石に元CAさんと感心する事しきりでした。

マッキンリーの頂上を一周するのは諦め残念ながら途中から引き返し、酔った二人へのサービスで湖へ不時着陸。しばし無音の湖畔で休憩とコーヒータイム。元CAさんは当然英語ペラペラで機長さんと何やら楽しそうにオハナシ。旦那はムッツリ。帰途は超低空飛行でブラックベアーやムースを追いかけるサービスも。

でくだんのCAさんと相談しチップをあげることにしたら、その旦那言下に「そんなん仕事やからやらんでヨロシ」とさっきの酔いも忘れたかのように偉そうに。アメリカってチップ社会だとご存知の奥さんと相談して二人で確か$50位あげました。当時1$300位で持ち出しは最高で$1000でした。でもこの機長さんのお蔭で貴重な経験が出来てジジは大満足でした。

14時頃無事帰着、流石にホッ。直ぐに市内観光へ。アラスカ大地震後整った都市計画でアンカレッジの街は見た目小都市。日本で持っていた僅かな事前知識は殆ど裏切られた。でも広大な低層湿原や大森林、氷河を頂く5000m級のアラスカ山脈等に圧倒されて大満足。市内でのショッピング、品質悪く高い輸入品ばかり。夜はホテルでアラスカの映画鑑賞。これは良かった。(この時分は旅行記は書いていないので記憶と僅かなメモ、写真等を参考に書いたドキュメンタリー風です)

実は2008年7月に関空からアラスカへの直行便が出て再訪しました。新旧の写真見比べて下さい)

その時作ったアルバムの表紙

日付変更線通過証

これが乗った水上飛行機と機長さん

広大な低層湿原とユーコン川

マッキンリーから流下する氷河

氷河には小さな池もみえる

天候が怪しくなる

氷の世界だ

ファイアーウイード、実は北海道にもあるヤナギランの一種 知らなかったね。

1回目に飛ばれた方はマッキンリーを1周できた幸運者で この写真はお裾分けで頂く

アラスカ大地震記念公園 この時ジジはまだ飛行中

2008年7月の写真

この時は見えたマッキンリーの全容

遊覧飛行では天候悪く今度も見えず

機内から見た氷河

アンカレッジ市内風景

地震公園から見たアンカレッジ市内

 

 

 

 

 

 

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