徳川幕府の旗本、知久氏の陣屋跡です。
説明板に拠れば、
知久大和守頼氏の子則直が慶長6年(1601年)阿島三千石の旗本としてここに陣屋を築いた、
とあります。
明治時代を迎え陣屋は廃止となり、ほぼすべてが取り壊されたため残っている建物は、住居用に残さた茶室(現曙月庵)のみです。
また、遺構としては道路沿いに「切込接乱積のすだれ仕上げ」という美しい石垣を見ることが出来ます。(非常に手間とお金が必要な石垣のようです。)
他に遺構等はなく現在陣屋跡地には幼稚園、特養ホーム、公民館等が建てられていました。
冠木門を入った所が駐車場です。
石垣上に陣屋跡碑、解説板等が建てられています。
「切込接乱積のすだれ仕上げ」の石垣。
陣屋跡地内部西側。
特養ホームに沿って砂利道を進むと曙月庵表入り口。
塀は低いので中は見えるのですが、木立が邪魔して建物はほとんど見えません。
東側まで進むとようやく建物が見えました。
裏口方向から。
南側段丘上から、陣屋跡を俯瞰す。
地理院地図で場所を確認。
阿島陣屋はココ。