ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

白骨

2012年04月07日 21時01分05秒 | おくやみ
 今年の「やすらぎコンサート」でも、オープニングセレモニー
として「白骨の御文」を読経させていただきました。

>南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、この世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。
一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、
おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげ
きかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて
夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

>南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
合掌




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