「友罪」 2018年 日本

監督 瀬々敬久
出演 生田斗真 永山瑛太 佐藤浩市
夏帆 山本美月 富田靖子
西田尚美 村上淳 坂井真紀
古舘寛治 渡辺真起子 光石研
ストーリー
元雑誌記者の益田純一(生田斗真)は、編集方針を巡って編集者と暴力沙汰を起こしてしまい、書き手として廃業して日雇い生活を繰り返す中、社員寮のある町工場に職を得るようになった。
同時期に鈴木(瑛太)という同世代の男性とともに試用期間に入った益田は、慣れない仕事に悪戦苦闘。
一方、鈴木は多くの技能・資格を持っていて不愛想だが即戦力ともいえる人材だった。
益田は学生時代に友人がいじめを受け自死したことに、罪の意識を感じていた。
ギリギリまで友人の側にいた益田だったが、最後の最後でいじめる側に回ってしまい、その直後に友人は自ら命を絶っていたのだ。
一方の鈴木は、仕事からの帰り道に男(忍成修吾)から追いかけられている美代子(夏帆)と出会った。
彼女はかつて男に騙され、アダルトビデオに半ば強引に出演させらた過去があり、そことから逃れるために人目を避けるように暮らしていた。
ある日、作業中に益田は事故を起こし、指を切断する重傷を負う。
しかし、鈴木の冷静な対応と駆け付けた中年タクシー運転手の山内(佐藤浩市)のおかげで何とか指は元に戻ったのだが、この山内という運転手は過去に息子が交通事故を起こし、二つの家族の子供の命を奪ったという過去をもっていた。
他人の家族を壊してしまったので、山内は自分たち家族も解散させるべきとして一家離散していた。
入院中の益田を見舞いに来た元恋人で記者の清美(山本美月)は、最近、近辺で起きた猟奇的な事件が、かつて世間を賑わした少年Aによる殺人と重なる部分が多いと話す。
医療少年院の更生官の白石(富田靖子)は、その事件の話を聞いて胸騒ぎを覚えた。
彼女は少年Aこと、青柳健太郎(瑛太)を担当していたからである。
寸評
突きつけられるテーマは、「罪」あるいは「贖罪」とはどういうことなのかということだ。
罪を犯した人間は許されないのかという重たい問いが投げかけられている。
僕は、瑛太が演じた鈴木=青柳には1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗をダブルらせてしまうのだが、特にその事件における闇の部分を描いているわけではない。
全編を重苦しい雰囲気が支配する映画だが、手持ちカメラの映像を多用しながら、益田や鈴木たちの心理を繊細に切り取っていてリアル感を出している。
登場人物のそれぞれが過去に起こした罪、あるいは罪の意識に苦しんでいる。
主人公の益田や鈴木は勿論だが、タクシー運転手の山内や、AV女優だった美代子も同様である。
佐藤浩市のタクシー運転手・山内のとる贖罪行動が極端すぎて、僕は益田と鈴木に的を絞っても良かったのではと感じてしまった。
山内の息子は無免許運転で三人の子供を殺してしまっている。
マスコミの取材が殺到し、近所迷惑、妻のノイローゼなどが、被害者の家庭を壊してしまったと言う罪の意識に重なり、彼は自分たちの家庭を崩壊させて妻とは別居し、息子も別居させている。
年数も経って、息子は罪の意識を感じながら真面目に働いているが、山内は結婚したいと言う息子を許せない。
家庭を壊したのにお前が家庭を持ってどうするんだと説教する。
それでいながら、家族だからいつかは再生できると思っているアンバランスな心の持ち主だ。
事件、事故を起こした親の気持ちや、その後に受ける社会的圧力、ひいては親が取らざるを得ない行動などを感じさせ、そのような子供を持たなかった私は幸せだったと思ってしまう。
仕事にのめり込んでしまって、母親として娘の気持ちに寄り添えなかった富田靖子の白石にも、僕は同じような感情を投影してしまう。
益田と鈴木が公園で本音をぶつけ合うシーンで、鈴木は「犯した罪を思えば死んで償うしかないと思うのだが、それでも生きたい」と吐露する。
暴力団員のような根っからの悪人でない限り、その気持ちは罪を犯した人間が抱く普通の感情ではないかと思う。
「生」と「死」について考えさせられる場面だが、それはその後の白石と娘の対面シーンに引き継がれている。
そして最後に友達が殺人罪を犯したとしても、そのまま友達でいられるかという問いが投げかけられる。
ヒーロー、ヒロインには突如多くの友人が登場し、罪人からは人々が去っていくのは世の常だ。
重くて暗い映画だが、ラストではやや希望の明かりが灯される。
それでもそれはかすかな希望に過ぎないものだ。
人は罪を感じながら苦難の人生を送ることもあるだろうが、それでもきっと寄り添う人がいてくれるだろうという慰めを感じ取らせる。
それを感じたからこそ、鈴木も美代子も一人前を向いて歩き始めたのだろう。
結婚相手のお腹に子供が出来た息子の結婚を山内は認めたようでもある。
自ら命を絶つことは困難なことである以上、どんな形であれ人は生きていかねばならないのだ。
どんなに苦しくても家庭を維持していかねばならないのだとも思う。

監督 瀬々敬久
出演 生田斗真 永山瑛太 佐藤浩市
夏帆 山本美月 富田靖子
西田尚美 村上淳 坂井真紀
古舘寛治 渡辺真起子 光石研
ストーリー
元雑誌記者の益田純一(生田斗真)は、編集方針を巡って編集者と暴力沙汰を起こしてしまい、書き手として廃業して日雇い生活を繰り返す中、社員寮のある町工場に職を得るようになった。
同時期に鈴木(瑛太)という同世代の男性とともに試用期間に入った益田は、慣れない仕事に悪戦苦闘。
一方、鈴木は多くの技能・資格を持っていて不愛想だが即戦力ともいえる人材だった。
益田は学生時代に友人がいじめを受け自死したことに、罪の意識を感じていた。
ギリギリまで友人の側にいた益田だったが、最後の最後でいじめる側に回ってしまい、その直後に友人は自ら命を絶っていたのだ。
一方の鈴木は、仕事からの帰り道に男(忍成修吾)から追いかけられている美代子(夏帆)と出会った。
彼女はかつて男に騙され、アダルトビデオに半ば強引に出演させらた過去があり、そことから逃れるために人目を避けるように暮らしていた。
ある日、作業中に益田は事故を起こし、指を切断する重傷を負う。
しかし、鈴木の冷静な対応と駆け付けた中年タクシー運転手の山内(佐藤浩市)のおかげで何とか指は元に戻ったのだが、この山内という運転手は過去に息子が交通事故を起こし、二つの家族の子供の命を奪ったという過去をもっていた。
他人の家族を壊してしまったので、山内は自分たち家族も解散させるべきとして一家離散していた。
入院中の益田を見舞いに来た元恋人で記者の清美(山本美月)は、最近、近辺で起きた猟奇的な事件が、かつて世間を賑わした少年Aによる殺人と重なる部分が多いと話す。
医療少年院の更生官の白石(富田靖子)は、その事件の話を聞いて胸騒ぎを覚えた。
彼女は少年Aこと、青柳健太郎(瑛太)を担当していたからである。
寸評
突きつけられるテーマは、「罪」あるいは「贖罪」とはどういうことなのかということだ。
罪を犯した人間は許されないのかという重たい問いが投げかけられている。
僕は、瑛太が演じた鈴木=青柳には1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗をダブルらせてしまうのだが、特にその事件における闇の部分を描いているわけではない。
全編を重苦しい雰囲気が支配する映画だが、手持ちカメラの映像を多用しながら、益田や鈴木たちの心理を繊細に切り取っていてリアル感を出している。
登場人物のそれぞれが過去に起こした罪、あるいは罪の意識に苦しんでいる。
主人公の益田や鈴木は勿論だが、タクシー運転手の山内や、AV女優だった美代子も同様である。
佐藤浩市のタクシー運転手・山内のとる贖罪行動が極端すぎて、僕は益田と鈴木に的を絞っても良かったのではと感じてしまった。
山内の息子は無免許運転で三人の子供を殺してしまっている。
マスコミの取材が殺到し、近所迷惑、妻のノイローゼなどが、被害者の家庭を壊してしまったと言う罪の意識に重なり、彼は自分たちの家庭を崩壊させて妻とは別居し、息子も別居させている。
年数も経って、息子は罪の意識を感じながら真面目に働いているが、山内は結婚したいと言う息子を許せない。
家庭を壊したのにお前が家庭を持ってどうするんだと説教する。
それでいながら、家族だからいつかは再生できると思っているアンバランスな心の持ち主だ。
事件、事故を起こした親の気持ちや、その後に受ける社会的圧力、ひいては親が取らざるを得ない行動などを感じさせ、そのような子供を持たなかった私は幸せだったと思ってしまう。
仕事にのめり込んでしまって、母親として娘の気持ちに寄り添えなかった富田靖子の白石にも、僕は同じような感情を投影してしまう。
益田と鈴木が公園で本音をぶつけ合うシーンで、鈴木は「犯した罪を思えば死んで償うしかないと思うのだが、それでも生きたい」と吐露する。
暴力団員のような根っからの悪人でない限り、その気持ちは罪を犯した人間が抱く普通の感情ではないかと思う。
「生」と「死」について考えさせられる場面だが、それはその後の白石と娘の対面シーンに引き継がれている。
そして最後に友達が殺人罪を犯したとしても、そのまま友達でいられるかという問いが投げかけられる。
ヒーロー、ヒロインには突如多くの友人が登場し、罪人からは人々が去っていくのは世の常だ。
重くて暗い映画だが、ラストではやや希望の明かりが灯される。
それでもそれはかすかな希望に過ぎないものだ。
人は罪を感じながら苦難の人生を送ることもあるだろうが、それでもきっと寄り添う人がいてくれるだろうという慰めを感じ取らせる。
それを感じたからこそ、鈴木も美代子も一人前を向いて歩き始めたのだろう。
結婚相手のお腹に子供が出来た息子の結婚を山内は認めたようでもある。
自ら命を絶つことは困難なことである以上、どんな形であれ人は生きていかねばならないのだ。
どんなに苦しくても家庭を維持していかねばならないのだとも思う。