おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

四十七人の刺客

2020-06-27 10:48:05 | 映画
「四十七人の刺客」 1994年 日本


監督 市川崑
出演 高倉健 中井貴一 宮沢りえ
   岩城滉一 宇崎竜童 松村達雄
   井川比佐志 山本學 神山繁
   黒木瞳 清水美沙 横山道代
   古手川祐子 西村晃 石橋蓮司
   橋爪淳 五代目尾上菊之助
   中村敦夫 板東英二 小林稔侍
   石坂浩二 浅丘ルリ子 森繁久彌

ストーリー
播州赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助(高倉健)と上杉藩江戸家老・色部又四郎(中井貴一)の戦いは、元禄14年3月14日江戸城柳の間にて赤穂城主浅野内匠頭(橋爪淳)が勅使饗応役高家・吉良上野介(西村晃)に対し刃傷に及んだ事件から始まった。
内匠頭は即刻切腹、赤穂藩は取り潰し、吉良はお咎めなしという、当時の喧嘩両成敗を無視した一方的な裁断は、家名と権勢を守ろうとする色部と時の宰相柳沢吉保(石坂浩二)の策略だった。
赤穂藩は騒然となり、篭城か開城かで揺れるが、大石は既に吉良を討ちその家を潰して、上杉、柳沢の面目を叩き潰す志を抱き、早速反撃を開始した。
事件発生後直ぐに不破数右衛門(岩城滉一)に命じ塩相場を操作し膨大な討ち入り資金を作った大石は、その資金をばらまき江戸市中に吉良賄賂説を流布させ、庶民の反吉良感情を煽り、また赤穂浪士討ち入りの噂を流して吉良邸付近の諸大名を震え上がらせ、討ち入りに困難な江戸城御府内にある吉良邸を外に移転させるなどの情報戦を駆使する。
思わぬ大石の攻勢にたじろいだ色部も、吉良を隠居させる一方、仕官斡旋を武器に赤穂浪人の切り崩しを図り、討ち入りに備えて迷路や落とし穴などを完備した要塞と呼ぶべき吉良屋敷を建てさせるなど反撃を開始。
京都・鞍馬で入念な準備に忙殺される大石はその傍ら、一文字屋の娘・かる(宮沢りえ)との恋を知る。
追い詰められた上杉家は最後の策として吉良を米沢に隠居させようとする。
その惜別の会が開かれた12月14日、運命の日。
雪も降り止み誰もが寝静まった子の刻、大石以下47名が集まり、要塞化した吉良邸にいよいよ突入した。
迷路を越え、上杉勢百数十名との壮絶なる死闘の末、遂に大石は吉良を捕らえる。
追い詰められた吉良は大石に、浅野の刃傷の本当の理由を知りたくはないか、と助命を請うのだが・・・。


寸評
赤穂浪士の討ち入りを新たな視線で描いているので、見慣れてきた忠臣蔵ではあるが楽しめる。
赤穂藩の紛糾の様子や城受け取りの場面は割愛されていて、先ずは情報戦として、浅野家による吉良悪しの噂が流される経緯が描かれる。
赤穂の浪士が討ち入りをかけてきて巻き添えを食うのは迷惑だから、吉良邸を移転させてほしいと周囲の大名屋敷から嘆願が出され、吉良邸が江戸城から離れた本所松坂に移転させられたのは史実の様である。
ここでは周囲の屋敷が移転していて、その費用が莫大なものだから、いっそ吉良邸を移転させようと言うことになっている。
どちらにしても、赤穂浪士が討ち入りをかけるという噂は当時の江戸市中に流布されていたことは想像できる。
また後年演じられた仮名手本忠臣蔵で描かれたように、当時から吉良を悪役とする噂は有ったのかもしれない。
それが浅野家によって流されたのか、あるいは江戸庶民の期待が高じたものかはわからないが、ここでは大石が金を使ってニセの情報をばらまいたことになっていて面白い。
あっても不思議ではない話である。

大石はとても艶福化で、ふうという娘はどうやら外で作った子供の様である。
妻のりく(浅丘ルリ子 )はそれを我が子同然に育てていて、大石もそれに感謝し、りくにいたわりの気遣いを見せるが、それでいながらきよ(黒木瞳)という女性がいたり、 一文字屋(佐藤B作)の娘かるに手を出している。
英雄色を好むといったところか。
この一文字屋は近衛家に毛筆を提供しているのだが、近衛家は大石の母方とも縁続きらしいので、この話もまんざら作り話ともいえないし、藩士の一人を近衛家に仕官させるエピソードも描かれている。
もっとも大石は当初、近衛家を通じて浅野大学を当主とする浅野家再興を画策していたはずなのだが、そちらの画策話は割愛されている。
大石は残された資金の使途を克明に残していて、そちらの金品の支出もかなりあったらしいことが判明している。

色部又四郎は吉良邸の改築を願い出ているが、吉良邸は新築なので最初からの仕様になっていたと思う。
残っている図面などから推測すると、周囲には在番の武士たちが寝泊まりする長屋が屋敷の周囲にあって、それが土塀の役割も担い、ある種砦のようなものになっていたことも事実のようだ。
その事実を踏まえて、吉良邸を要塞化していて、とても生活する屋敷とは思えぬ仕掛けを張り巡らせていている事で、討ち入り場面を面白く見せている。
史実によれば150名対47名の闘いでありながら、赤穂浪士側には死者が出ていない。
その理由の一つとして、鎖帷子を着込むことは卑怯とされていた当時の仇討ちの掟を無視したことにあるらしい。
大石にとっては単なる仇討ではなく、これはもはや戦争なのだとの意識もあったのかもしれない。
そして多くが詰めていた長屋から出られなくするために、かすがいを打ち付けて閉じ込めたこともあったようだ。
そんな場面はないが、それにかわる手立てが色々描かれていて、乱闘場面は楽しめるものとなっている。
裏切り者呼ばわりされていた瀬尾孫左衛門(石倉三郎)が48番目の義士として泉岳寺に墓が設けられたのは明治になってからのことと聞く。
赤穂浪士の新しい描き方として 、すこし間延びするところはあるが一応面白く出来上がっていると思う。