おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

八日目の蝉

2020-06-20 10:30:28 | 映画
「八日目の蝉」 2011年 日本


監督 成島出
出演 井上真央 永作博美 小池栄子
   森口瑤子 田中哲司 市川実和子
   平田満 劇団ひとり 余貴美子
   田中泯 風吹ジュン 渡邉このみ

ストーリー
生まれてすぐに誘拐され、犯人の野々宮希和子によって4歳になるまで育てられた秋山恵理菜。
両親のもとには戻ったものの、もはや普通の家庭を築くことは出来なくなっていた。
やがて21歳となった彼女は誰にも心を許せず、両親とわだかまりを抱いたまま大学生になったが、ある日、妻子ある男の子供を身ごもってしまう。。
恵理菜は幼い頃一緒にいた女友達に励まされ、自分の過去と向き合うために、かつて母と慕った人との逃亡生活を辿る──。
会社の上司との不倫で妊娠し、中絶手術の後遺症で二度と子供を産めない体となったOL、野々宮希和子は母となることが叶わない絶望の中にいる。
相手の男はいずれ妻と別れると言いながら、その妻はいつの間にか子供を産んでいた。
自らにケリをつけるべく、「赤ちゃんを一目見たい、見たらけじめがつけられる…」と夫婦の留守宅に忍び込んだ希和子。
ふと我に返ると、赤ん坊を抱えたまま家から飛び出していた。
赤ん坊を薫と名づけた希和子は、そのまま逃亡生活の中で薫を育てていくことに。
刹那的な逃亡を繰り返し、絶望と幸福感の中で疑似親子となった二人。
一時身を寄せた奇妙な集団生活施設“エンジェルホーム”にも危険が迫り、追いつめられた末に流れ着いた小豆島で束の間の安寧を手に入れた希和子と薫だったが…。


寸評
女優陣の演技がみんな凄い。
母性を見事に表現した永作博美、狂気を感じさせた実母役の森口瑤子、相変わらず存在感のある小池栄子などだが、僕が驚いたのは井上真央だ。
テレビなどの印象では単なるカワイ子ちゃん俳優だと思っていたが、あにはからんや奥行きの深い演技を見せて、この子はすごい性格俳優だったんだと、思いを新たにさせられた。
どの女優も女の性とか女ゆえの執念とか、女としての生き物としての情念が怖いくらい滲み出していた。
子供たちは赤ちゃんを含めて皆よくて、子供には勝てないなという表情を見せていた。
エンジェルホームのマロンちゃんの別れの表情にもらい泣きしてしまった。
薫(渡邉このみ)はその表情といい、台詞回しといい、この映画を支える重要な役割を十分すぎるくらい果たしていたと思う。
セミは地上に出て7日で死んでしまうと言われている。
8日目まで生きたセミは、仲間が全て死んでしまって、淋しさのあまり残った自分を不幸だと思うのか、あるいは仲間のセミが見れなかった物を見ることができた幸せを感じるのだろうか。
もちろん映画はポジティブでなければならないから後者の方で、写真館のエピソードを絡めながら最後に希和子と実の母親秋山恵津子の呪縛から解き放たれ、ウソ偽りのない心情を吐き出すのは感動的だった。

オープニングはいきなり誘拐事件の裁判シーンで、それも被害者である恵理菜の実母と、加害者である希和子の証言を顔のアップだけで見せる印象的な導入部となっていて、それからは現在の恵理菜の行動とかつての希和子の逃亡生活が描かれるのだが、これが上手い構成で切り替わっていく。
特に恵理菜が希和子と同じように不倫相手の子供を宿していることが物語を膨らませ、さらに同じような心の傷を持つジャーナリストの安藤千草を絡ませて、現在部分のドラマ性を盛り上げている。
逃亡生活の最初は「エンゼルホーム」という怪しげな団体の施設での奇妙な共同生活だが、何と言っても秀逸なのは小豆島でのシーンだ。
この映画では、誘拐犯である希和子の子供への愛を存分に描き、実の母親を不安定で怒りっぽい人物に描いているが、その愛情表現が最も現れているのが小豆島の生活場面だ。
希和子と薫との触れあい、薫と島の子供たちとの触れあいを描きながら、うどん作りや村歌舞伎などを織り込み、段々畑の虫追いの儀式へと導いていく。
夏の夕暮れに、段々畑の中を竹に灯した松明を持って沢山の人が歩いていく美しいシーンだ。
地方の風景を美しく情緒的に描いて、自分が一番幸せだった時代を懐古し、恵理菜に「この島に戻りたかった・・・」と思わせる心の故郷の象徴的シーンとなっている。

観る者は、実の母親にはあまり共感できずに、むしろ誘拐犯に感情移入するように作られている。
誘拐犯とずっと一緒に暮らした方がよかったのではないかと思わせる作りになっている。
これは実母にとっては酷な描き方で、糾弾されるべきはやはり誘拐犯であり、その原因を作った男であるはずなので、その視点からの作品も見てみたい題材だと思った。
いづれにしても、見終わって感じたのは「狂おしいほどの母性!」だった。