中央本部の溝口です。本日はブログ当番が回ってきたので、まとまりのない散文を垂れ流したいと思います。
連日の猛暑と、ぼさぼさのロン毛で、とうとう不快指数がピークに達し、反動で、先週末ばっさり散髪をしましたが、機を同じくして週末には涼しめの風が吹き始め、さらには手の甲の乾燥が、秋の到来を告げています。
夏の甲子園も佳境を迎え、ベスト8の試合が1日で4試合、土曜日に行われたため、絶好の観戦日和となりました。
打った瞬間に響き渡る金属バットの音、野外で演奏されるブラス・バンド、熱闘甲子園で紹介される人間ドラマはこの時期のビールの最高の御供であります。
昨日は、甲子園の試合はありませんでしたが、「君の膵臓をたべたい」が地上波初登場ということで、晩酌の御供とさせていただきました。
青春もの特有のさわやかな感動、それでいてちょっと切ないような感動をいただいたところですが、こういう青春ものを観ると、自分には二度と青春が訪れないことへの喪失感みたいなのをしみじみ実感させられるので、手前勝手に三十路の心中は複雑である。
我が人生の師と仰ぐアナトール・フランス先生は確か、自分が神さまだったら、人生の最後に青春が来るように人を創る的なことを書いてましたが、この見解には、激しく右に倣えである。
楽しみは最後に取っておかないと。
過ぎ去った青春への喪失感を抱きながら、今後余生を全うしなければならないかと思うと、村上春樹先生ばりに「やれやれ」と言いたくもなる。
「君の膵臓をたべたい」は一昔前に少し話題になっていたことだけは記憶していたが、よくよく調べてみると原作は小説だったようである。
中学高校のときから、なんとなく古典文学に傾倒してきた身ですが、大学生のときに読んだ村上春樹の「ノルウェーの森」で、永沢さんっていう、尖りまくった登場人物のポリシーに後押しされて、自分も「時の洗礼」を受けていないもの、すなわち今流行っているだけのライトな本は読まない習慣が身に沁みついている。
最近「ハーバードの人生が変わる東洋哲学」という本を読み、生きていく上で、「自分はこういう人間だ」といった固定観念に縛られず、これまでの自分を覆すような行動をあえて起こしてみることで、新しい可能性を発見できる(こう書くとチープな自己啓発本みたいですが、これはひとえに僕の要約が下手なせいです。)みたいなことが書かれてあって、それを実践してみようかと思っていたところで、「君の膵臓をたべたい」小説版も読んでみようかと、少し気になっている。たぶん読まないけど。
駄文この上ない駄文は以上になります。終盤はもはや独り言。