超長期自民党政権の求心力の低下と民主党政権の成立がもたらした最大の成果は、地方自治体の首長の力が大きくなったことかもしれない。
たぶん当初は宮崎県あたりから知事のパフォーマンスが注目されはじめ、名古屋や愛知、東北被災地各県、大阪、そしてもちろん沖縄など、各地の知事や市長らが公然と中央政府を批判し対立するようになった。これを地方の時代の到来だと言うのはちょっとはばかられるけれど、建前上は中央と地方は対等なのだから当然のことであり、悪い傾向ではない。ただしそれが本当の地方政治の活性化によるものならば、である。
明らかに沖縄や原発再稼動に慎重な知事などは、地元の世論の力に押されているところがあって、その意味では住民の声を聞いた(聞かざるを得なかった)結果なのだろうが、中にはただ単に知事や市長が自分をアピールするためだけの無内容な反抗パフォーマンスに思えるケースもある。
現在、川勝平太静岡県知事は全国学力テストで小学校の国語の成績が全国最下位だったことに対し、下位100校の校長の氏名を公表すると息巻いている。もちろんこれは事実上禁じられている個別学校名の公表と同義であり、とうてい常識的に許されることではない。当然、教育委員会は強く抵抗している。
テレビのニュースで見る限り、川勝氏はたいへん高圧的で、何をどうしたいのか丁寧に説明しているようにも見えない。ぼくは個人的には高圧的な権力者が大嫌いなので、川勝氏の顔を見るだけで虫唾が走ってしまう。
そもそも川勝知事は成績最下位の責任は学校の先生にあると言い切っているが、県内の公立校の問題なのだから最終的な責任は各市長や知事にある。そのことは自覚しているのだろうか。
教職員組合によれば、静岡県の児童ひとり当たりの教育予算は全国最下位なのだそうで、そういう意味から言っても、むしろ行政=知事の責任を問うことの方が先なのである。
川勝氏は果たして子供のことを子供の身になって考えているだろうか。どう見てもそうではない。国なのか教育委員会なのか教員組合なのか知らないが、誰かに対する対抗、闘争としてやっているのではないのか。もしくは国の方針など自分なら簡単にひっくり返せるという力を誇示して「強い知事」を有権者にアピールしたいだけなのか。
だいたい校長に全責任を押し付けたら子供の学力は上がるのだろうか。それより自分の決断で教育予算を上積みする方が意味があるのではないのか。冷静に考えれば誰にでもわかる。
地方の時代というのは総理大臣より知事の方が偉いとか、そんなことを言うのではない。
それは地域住民の意見がまっとうに行政に届くことであり、地域間格差を許さない国全体の形がしっかり出来ていることを言うのである。その上ではじめて地方は自由に自分の意志でユニークな自治をしていくことができるのだから。
当たり前のことだが、地方自治を政治家の独裁権力誇示の場にしてはならないのである。
たぶん当初は宮崎県あたりから知事のパフォーマンスが注目されはじめ、名古屋や愛知、東北被災地各県、大阪、そしてもちろん沖縄など、各地の知事や市長らが公然と中央政府を批判し対立するようになった。これを地方の時代の到来だと言うのはちょっとはばかられるけれど、建前上は中央と地方は対等なのだから当然のことであり、悪い傾向ではない。ただしそれが本当の地方政治の活性化によるものならば、である。
明らかに沖縄や原発再稼動に慎重な知事などは、地元の世論の力に押されているところがあって、その意味では住民の声を聞いた(聞かざるを得なかった)結果なのだろうが、中にはただ単に知事や市長が自分をアピールするためだけの無内容な反抗パフォーマンスに思えるケースもある。
現在、川勝平太静岡県知事は全国学力テストで小学校の国語の成績が全国最下位だったことに対し、下位100校の校長の氏名を公表すると息巻いている。もちろんこれは事実上禁じられている個別学校名の公表と同義であり、とうてい常識的に許されることではない。当然、教育委員会は強く抵抗している。
テレビのニュースで見る限り、川勝氏はたいへん高圧的で、何をどうしたいのか丁寧に説明しているようにも見えない。ぼくは個人的には高圧的な権力者が大嫌いなので、川勝氏の顔を見るだけで虫唾が走ってしまう。
そもそも川勝知事は成績最下位の責任は学校の先生にあると言い切っているが、県内の公立校の問題なのだから最終的な責任は各市長や知事にある。そのことは自覚しているのだろうか。
教職員組合によれば、静岡県の児童ひとり当たりの教育予算は全国最下位なのだそうで、そういう意味から言っても、むしろ行政=知事の責任を問うことの方が先なのである。
川勝氏は果たして子供のことを子供の身になって考えているだろうか。どう見てもそうではない。国なのか教育委員会なのか教員組合なのか知らないが、誰かに対する対抗、闘争としてやっているのではないのか。もしくは国の方針など自分なら簡単にひっくり返せるという力を誇示して「強い知事」を有権者にアピールしたいだけなのか。
だいたい校長に全責任を押し付けたら子供の学力は上がるのだろうか。それより自分の決断で教育予算を上積みする方が意味があるのではないのか。冷静に考えれば誰にでもわかる。
地方の時代というのは総理大臣より知事の方が偉いとか、そんなことを言うのではない。
それは地域住民の意見がまっとうに行政に届くことであり、地域間格差を許さない国全体の形がしっかり出来ていることを言うのである。その上ではじめて地方は自由に自分の意志でユニークな自治をしていくことができるのだから。
当たり前のことだが、地方自治を政治家の独裁権力誇示の場にしてはならないのである。