京都府八幡市で、また少年の暴走自動車が小学生の列に突っ込む事故があった。
本当か嘘かは知らないが、この道では以前からこの少年の自動車が乱暴な運転をしていることが問題になっており、事故が起きたちょうどその時、警察が200メートル先で交通取締りを行っていたという。少年はこの道に勢い良く入ってきてそれに気づき、あわててUターンしようとしたのではないかとも言われている。
ちょうど、昨年起きた関越自動車道高速バス居眠り運転事故の裁判も行われており、被告の運転手は過失ではなく病気によるものだと主張した。いろいろな意味で虚しいというか、悲しい話である。
かつて交通戦争と呼ばれた時代から比べれば交通事故は減っている。しかしいくら絶対量が減ろうとも、事故にあう人はいるのだし、事故にあった人にとっては統計など何の意味も持たない。怪我をするのも死ぬのも障害が残るのも、その当事者にとっては何かの比較で済まされることではないのだ。
交通事故はなくならない。それはこの社会がクルマ社会だからだ。クルマ社会と言うのは自動車が最優先の社会と言うことである。
おそらく誰も奇異に感じていないのだろうが、日本における道路とはほとんど全てが自動車用道路だ。アスファルト舗装はけっして歩行者が泥道で苦労しないためのものではない。自動車が走りやすいための整備である。交通信号や交通標識もすべて自動車のためのものである。自動車の優位性を示すものでしかない。江戸時代にも馬や大八車などによる交通事故は存在したが、交通標識や交通信号は存在しなかった。なぜなら、道はまず第一に人間が歩くものであったからだ。
田中角栄が「日本列島改造」のために決断した6m道路も、自動車だけの利便性を考えたものであった。そしてそれがスタンダードとなり、日本全国あらゆるところで今も歩行者を苦しめている。
つまり日本の道路はすべて自動車のために存在しているのだ。
日本の産業構造を見ると自動車産業は圧倒的な位置を占める。よく日本は産業立国だと言うが、それは自動車立国と言い換えても良い。この社会からクルマを追い出せと主張しても賛同は全く得られない。
もっとも、ただ自動車が使われている、自動車の数が多いことが、イコールでクルマ社会になるわけではない。自動車という機械は便利で重要な機械であり、それを否定するつもりは毛頭ない。
問題はその使われ方であり、社会的位置づけである。
あくまでもそれが運輸交通手段であり、そうである以上、個人的なものである以上に社会的インフラであることが明確にされる必要がある。クルマが個人の延長ではなく実用機械であることが忘れられていはけない。
まず最優先されるべきなのは人間であることを誰もが理解し、それが社会システムの中で構造化されている社会なら、いくら自動車の数が多くてもそれはクルマ社会ではない。
ぼくが脱クルマをはっきり主張するようになったのは、もう15年位前からだが、その当時は本当に誰一人耳を傾けてくれる人はいなかった。
日本では右翼も左翼も金持ちも貧乏人も、皆が皆、クルマ依存症だった。クルマは豊かさの象徴であり、自由の象徴であり、自分の心身の延長にシームレスにつながる、まさに自分自身であった。クルマはその人の力を強大化し、プライベートを完璧に防衛する存在だったのである。そしてそれは同時に経済においては日本の資本主義を支える支柱であり、思想においては個人主義の正当な(スタンダードであるところの)象徴であった。そしてそれはまたまさに「競争」そのものの象徴でもある。
この15年の間に、まず環境問題の脈略から脱クルマは少しずつ認められ始め、若者世代はついにメンタル面、思想面の呪縛から解放されつつあり、クルマ依存症から脱出し始めた。
ただしこうした若者の変化に対するオトナからの攻撃は激しく、やれ夢や野望を無くしただの、草食系だのと罵詈雑言が浴びせかけられている。もちろん「景気回復」のお題目を唱え続ける限り、自動車産業の衰退は許されず、脱クルマの論理の入り込む余地は無い。
しかし誰もが見ていない、見えない、見たくないクルマ社会の最重要の問題は、これが人権問題だということなのである。
日常生活の場から一方的に安全性が奪われることは、まず第一に人権問題であろう。人権は、経済よりも競争力よりも、利便性や快楽よりも優先されるべきだと思う。
本当か嘘かは知らないが、この道では以前からこの少年の自動車が乱暴な運転をしていることが問題になっており、事故が起きたちょうどその時、警察が200メートル先で交通取締りを行っていたという。少年はこの道に勢い良く入ってきてそれに気づき、あわててUターンしようとしたのではないかとも言われている。
ちょうど、昨年起きた関越自動車道高速バス居眠り運転事故の裁判も行われており、被告の運転手は過失ではなく病気によるものだと主張した。いろいろな意味で虚しいというか、悲しい話である。
かつて交通戦争と呼ばれた時代から比べれば交通事故は減っている。しかしいくら絶対量が減ろうとも、事故にあう人はいるのだし、事故にあった人にとっては統計など何の意味も持たない。怪我をするのも死ぬのも障害が残るのも、その当事者にとっては何かの比較で済まされることではないのだ。
交通事故はなくならない。それはこの社会がクルマ社会だからだ。クルマ社会と言うのは自動車が最優先の社会と言うことである。
おそらく誰も奇異に感じていないのだろうが、日本における道路とはほとんど全てが自動車用道路だ。アスファルト舗装はけっして歩行者が泥道で苦労しないためのものではない。自動車が走りやすいための整備である。交通信号や交通標識もすべて自動車のためのものである。自動車の優位性を示すものでしかない。江戸時代にも馬や大八車などによる交通事故は存在したが、交通標識や交通信号は存在しなかった。なぜなら、道はまず第一に人間が歩くものであったからだ。
田中角栄が「日本列島改造」のために決断した6m道路も、自動車だけの利便性を考えたものであった。そしてそれがスタンダードとなり、日本全国あらゆるところで今も歩行者を苦しめている。
つまり日本の道路はすべて自動車のために存在しているのだ。
日本の産業構造を見ると自動車産業は圧倒的な位置を占める。よく日本は産業立国だと言うが、それは自動車立国と言い換えても良い。この社会からクルマを追い出せと主張しても賛同は全く得られない。
もっとも、ただ自動車が使われている、自動車の数が多いことが、イコールでクルマ社会になるわけではない。自動車という機械は便利で重要な機械であり、それを否定するつもりは毛頭ない。
問題はその使われ方であり、社会的位置づけである。
あくまでもそれが運輸交通手段であり、そうである以上、個人的なものである以上に社会的インフラであることが明確にされる必要がある。クルマが個人の延長ではなく実用機械であることが忘れられていはけない。
まず最優先されるべきなのは人間であることを誰もが理解し、それが社会システムの中で構造化されている社会なら、いくら自動車の数が多くてもそれはクルマ社会ではない。
ぼくが脱クルマをはっきり主張するようになったのは、もう15年位前からだが、その当時は本当に誰一人耳を傾けてくれる人はいなかった。
日本では右翼も左翼も金持ちも貧乏人も、皆が皆、クルマ依存症だった。クルマは豊かさの象徴であり、自由の象徴であり、自分の心身の延長にシームレスにつながる、まさに自分自身であった。クルマはその人の力を強大化し、プライベートを完璧に防衛する存在だったのである。そしてそれは同時に経済においては日本の資本主義を支える支柱であり、思想においては個人主義の正当な(スタンダードであるところの)象徴であった。そしてそれはまたまさに「競争」そのものの象徴でもある。
この15年の間に、まず環境問題の脈略から脱クルマは少しずつ認められ始め、若者世代はついにメンタル面、思想面の呪縛から解放されつつあり、クルマ依存症から脱出し始めた。
ただしこうした若者の変化に対するオトナからの攻撃は激しく、やれ夢や野望を無くしただの、草食系だのと罵詈雑言が浴びせかけられている。もちろん「景気回復」のお題目を唱え続ける限り、自動車産業の衰退は許されず、脱クルマの論理の入り込む余地は無い。
しかし誰もが見ていない、見えない、見たくないクルマ社会の最重要の問題は、これが人権問題だということなのである。
日常生活の場から一方的に安全性が奪われることは、まず第一に人権問題であろう。人権は、経済よりも競争力よりも、利便性や快楽よりも優先されるべきだと思う。