というのが私の職場の言い分です。
私はいいかどうかは顧客が決める事だと思っています。
なので、説明はいいことも悪いこともできるだけ説明します。
でも、
「いいことだけを伝えて悪いことはこちらから敢えて言わなくていい」
と会社は言います。
当社の高級な商品を購入することはお客さんにとってとても良いことなのだ、というのです。
でも高いなぁ、って私は思います。
広い目で見たらそれは、自分勝手ですよね。
「ネットでマスクを10000円で売ることは、今の世の中には需要に応じた商品をタイムリーに販売してることだから高いだけでお客さんは今買えて得をするのです」
ということと似た感じを受けるのです。
でも、転売はダメ、高いマスクを売るのは禁止ってなってますよね。
なぜ?
一般的に高い商品をうまく口車に乗せて購入させるという手法は販売を主とする会社は殆どが導入してますよね。
同じだよなぁ、と感じるのです。
買って後で損をしたと思うのはお客さんの勝手、あるいは勘違いでもあるかのような、そんな印象を受けます。
本心から良いものだと信じてるなら、販売手順や販売手法ではなくて、本質で訴えたら良いと思うのです。
それが、高いかどうかは顧客の勝手で良いと思うのです。
販売員が高いと思うならそれで良いでしょう。
販売員が安いと思ったらそれで良いと思います。
説得できない上司が強制的な印象で欺瞞を押し付けているような気がするのです。
日本語は母音が発音の主言語なので言葉に感情が乗ります。
きっと、相手にも伝わります。
そんな感覚を持つとき
「鬱病は気持ちが弱いからそうなるのだ、もっと気持ちを強く持てば問題はないのだ!」
という上司がいたらどうでしょう。
鬱病の人の前で「まだまだだ、もっと強くなれ!それが今必要なことだ!」と。
結局、体が動かなくなるまで言い続けられる。そして、起きれなくなったら、お越しにやってくるのです。
「俺が起きるのを手伝ってやる!もっと強く気持ちを持てば体も回復する!」と。
そのうち感覚が麻痺してきます。感情が麻痺してきます。そして、毎日が廃人感覚になると笑顔がわからなくなる。
「もっと笑顔だ!笑顔を出せ!」というのです。
引きつった顔で苦々しく思う感覚が体を走ります。
で、そういう生活を続けていたら、生も死も感覚的に理解できなくなります。
組織の殺人者、スナイパーなどはそうの辺りで生きてるのでしょうね。
自分の「死」が現実離れする。
自殺もしない。できない。
そんな感覚を思い起こします。
時間だけがわかるという感覚。
一つだけ楽しみがあるとすれば、誰かを殺すことが何となく快感というような感覚です。
まだ脱しきれていない、感覚。
時々、いろんな場面で様々な感覚が行き来して複雑に交錯する。
歪んだ意識が交錯する。
これは意識障害の一つなのでしょうか。
そういう感覚はありませんか?
と言って仕事に出かけようとしてたので、
「首から下げられるような(自粛ステッカー)を手書きで作ってやろうか」
と言ってやったら
「要らん!!」
そう言い放って出かけました。
このご時世そういうものも必要だろうと思うのですが。
私は今日は仕事はお休みです。。。