私は焦るとイライラする。
しかし、他人を見ているといろんな焦り方があるな、と思う。
例えば焦るとニコニコし始める人もいる。
焦るとおしゃべりになる人もいる。
逆に黙ってしまう人もいる。
または焦ると慎重になる人もいる。
ずいぶんといろんな焦り方があるものだ、と思う。
しかしながら、焦りと言うのは一種の混乱から発生していると思う。
つまり、今の自分が日常における自分の正常ではないと言うことだろう。
いつもの私ではありませんよと言うことだろう。
そうなると、別人格の人だと思って、接するのが正解ではないかと思う。
さて、それが他人のことではなく、自分のことだったとする。
自分がいつもと違う。
それが焦りの正体だとするならば、当然私は私ではない。
他人の肉体をコントロールするということに他ならない。
したがってより慎重に一つずつ確認をしながらコントロールするべきだろうな。
ところで、私はしょっちゅう焦る。
いつも焦っている。
つまり、日々別人格にコロコロ変わっている。
よく小説やら、漫画やらで、二重人格というのがあって、それが二重ではなく、二十個の人格を持っているのがある。
そういう「ジョークだと捉えられるような」表現を見たり、聞いたりしたことがある。
しかしながら、人格が変わると言う事は十だろうが、二十だろうが、対応の仕方は一つである。
先程述べたように普通じゃないよと言うことだろう。
コロコロ変わるのであれば、さっきの私と今の私は別人格だ。
むしろ別人、他人だ。
そのくらいに考えたほうがいい。
そういう結論は以前から到達していた。
だから私自身は何かをするときに、一体自分が何を考え何をしているんだろうと言うことを確認しながらやらないと支離滅裂になる。
ところが、それを他人が見るとトロイとか遅いとかノロいとか、そんな印象で見ているようだ。
まぁ、結果的にそういうことなのだけれども、理由は先程述べたような理由である。
したがって、行動としては正解なのだ。
けれども、他人はそれを嫌うのだ。
でもって、他人の視線を意識すると、焦りと言う行為が「更に急ぐ」と言う行為につながってくる。
こうなると困ったもので、急ぐと目線が次に飛ぶ感じになる。
或いは触覚が次に飛ぶ、意識が宙に舞う。
そこが困るのだ。
対応しないといけない。
だから、なおのこと、ゆっくりとした動作をしなければならなくなる。
急いではいけない。
でも、急がねばならない。
ここに矛盾が生じる。
矛盾は意識を崩壊させる。
崩壊すると、さらに混乱する。
さて、どうしたものやら、だ。
行き着く先は更なる混乱。
意味わからん。
正体不明。
どうにもこうにも、この世は生きにくい。
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