賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

車の手洗い

2024-12-15 15:13:32 | 日記
車にワックスをかけた。

近所のスタンドの手洗い洗車コーナーでかけた。

ワックスのキットの中に三種類の液が入っていた。

説明書でどの液を使うか確認。

説明書を3回読んだ。

説明書を3回。

どこにないが書いてあるか?

液の名前が出てくるカ所を見てその下の文章で何をどうするかを読んだ。

液の名前のカ所で塗って拭き取る部分を読んだ。

文章にワックスらしいところがある液を使った。

しっかりかけたいと思い、3回しっかり塗り込んで拭き取った。

家に帰り奥さんにキットの整理を頼んだ。

奥さんがキットの汚れ取りが使用されてるけど、どうしたの?と聞いてきた。

使ってない、と答えた。

奥さんは、でも使用されてるといった。

使った液のボトルを指して、このワックスだけ使った、と言ったら、それは汚れ取りだ、と返した。

え、っと思い、再度 説明書を見たら、確かに書いてあるのは汚れ取りと書いてある。

私は汚れ取りをワックスだと思って車体に練り込んでいた。

説明書を3回も見直して、それでも間違う。

これはいかがなものか?

何が起こった?

なんとなくだけれど、活字を見たが、読んでない?

つまり、せっかちなので、読むことをしない。

見て、すぐにこうだと、決める。

落ち着きがないから、丁寧に理解できていない。

丁寧。

見極めることはどう言うことか?

反芻しないと認識できない性質。

それは感じる。

ある物語を読んでても、すぐに「今、活字をなぞった所に何が書いてあったか?」と元に返して読み直す事が非常に多い。

上の空とも言うのか?

フワッと意識が空を舞う。

そして、また元に戻る。

集中力ともいうのか?

それとも違う気がする。

日常で頻繁に起こるから。

努力しないとできない事というよりも、普段から気が散る。

そう、気が散る子、と、子供の頃からよく言われていた。

姉も言っていた。

AB型の血液型だから?

まぁ、そういう事とも違うと思う。

目線が落ち着かない気がしている。

やはり静止ができない、という友人の言葉が的を得てる気がする。

一つ一つが丁寧にできていない、と言われた。

やはり、一旦停止しかない。

句読点が無いから物事を区切って認識できない、という性質。

そこらへんに問題がありそうだ。

ポイントを把握しないですぐに次に行くから。

見誤ったカ所を指してる。

落ち着きが無い。

そうとも言える。

一つづつができない。

そうとも言える。

慣れるといい加減になる。

そうとも言える。

一旦停止をこころざしてて行動しないといけないな、と以前から感じていた。

それが、やはりできていない。

何かの行動を取るときに、一つが認識できていないまま、次に移る事がほとんど。

そういう癖がついてる。

そこを治すにはどうするか?

深呼吸か?

やはり、重要なのは一旦停止から、だろうな。

今までも、今でもできないから、今まの意識の持ち方では今後もできないだろう。

もっと一つ一つ認識をする方法を取り入れなければならない。

句読点。

停まること。

一度、箸を置くと良い。

過去の慣例では行動を取る時に行動を言葉に落として、いわゆる独り言を言って確定していた。

周囲から「独り言が多い」と言われていた。

若い頃からだ。

かなり多いらしい。

でも、それは自分の行動を丁寧に行うためだった。

しかし、それだけではまだ怪しいらしい。

もっと一歩踏み込んだ対策が必要になっている。

意識から直す行動とは如何なるものか?

リズムを変えるか?

それもアリだな。

しかし、それでは時間が更にかかるが。

致し方無いか。

視点を留めるというのも必要か。

とにかく停まれ!だろうな。
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焦りの行動の出方は様々

2024-12-15 07:17:39 | メンタル
私は焦るとイライラする。
しかし、他人を見ているといろんな焦り方があるな、と思う。
例えば焦るとニコニコし始める人もいる。
焦るとおしゃべりになる人もいる。
逆に黙ってしまう人もいる。
または焦ると慎重になる人もいる。
ずいぶんといろんな焦り方があるものだ、と思う。

しかしながら、焦りと言うのは一種の混乱から発生していると思う。
つまり、今の自分が日常における自分の正常ではないと言うことだろう。
いつもの私ではありませんよと言うことだろう。

そうなると、別人格の人だと思って、接するのが正解ではないかと思う。

さて、それが他人のことではなく、自分のことだったとする。
自分がいつもと違う。
それが焦りの正体だとするならば、当然私は私ではない。
他人の肉体をコントロールするということに他ならない。

したがってより慎重に一つずつ確認をしながらコントロールするべきだろうな。

ところで、私はしょっちゅう焦る。
いつも焦っている。
つまり、日々別人格にコロコロ変わっている。
よく小説やら、漫画やらで、二重人格というのがあって、それが二重ではなく、二十個の人格を持っているのがある。
そういう「ジョークだと捉えられるような」表現を見たり、聞いたりしたことがある。

しかしながら、人格が変わると言う事は十だろうが、二十だろうが、対応の仕方は一つである。
先程述べたように普通じゃないよと言うことだろう。
コロコロ変わるのであれば、さっきの私と今の私は別人格だ。
むしろ別人、他人だ。
そのくらいに考えたほうがいい。

そういう結論は以前から到達していた。
だから私自身は何かをするときに、一体自分が何を考え何をしているんだろうと言うことを確認しながらやらないと支離滅裂になる。
ところが、それを他人が見るとトロイとか遅いとかノロいとか、そんな印象で見ているようだ。
まぁ、結果的にそういうことなのだけれども、理由は先程述べたような理由である。
したがって、行動としては正解なのだ。
けれども、他人はそれを嫌うのだ。

でもって、他人の視線を意識すると、焦りと言う行為が「更に急ぐ」と言う行為につながってくる。
こうなると困ったもので、急ぐと目線が次に飛ぶ感じになる。
或いは触覚が次に飛ぶ、意識が宙に舞う。
そこが困るのだ。
対応しないといけない。
だから、なおのこと、ゆっくりとした動作をしなければならなくなる。
急いではいけない。
でも、急がねばならない。
ここに矛盾が生じる。
矛盾は意識を崩壊させる。
崩壊すると、さらに混乱する。
さて、どうしたものやら、だ。

行き着く先は更なる混乱。
意味わからん。
正体不明。
どうにもこうにも、この世は生きにくい。
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地球環境の保護

2024-12-15 07:06:50 | エッセイ
「地球環境の保護をしましょう」と言う。

しかし、地球環境とは何を意味してる?
どういうのが地球環境を保護するということなのか?
そもそも地球は人間如きが保護しなくてもまだ数億年くらいは存続するだろう。
従って、地球環境というのは今までよりも人類が生き易い環境に変化させたということでしょ。

ところが人類が生き易く作り替えようとしてきた結果が今でしょうが。
それで地球の環境が人間に牙を剥いているのではないですか?
地球は地球が存続し易く変化してるのではないですか?

だったら人間のわがままで地球を変えようという考えの方がおかしいと感じます。
人が勝手に二酸化炭素を増やしてきたのでしょ。
地球はそれに対して、大気のめぐらせ方を変える程度のことはしてるけど、それ以外何もしない。
むしろ人間が勝手に増殖して食料を減らしてる。
そして、住処を変えて住みにくくしてる。

地球環境ではなく、人が人の住みにくい環境に自分でやってしまっただけ。
そういう意味では、増殖し過ぎた人口だと言えるか知れない。
ならば答えは方向性を持つ。

人口減を目指すこと。
なので、戦争をして殺し合いをするのが手っ取り早い。
それと少子化。
子供を産まない。
増殖を止める。

着実にそのための施策が進んでますな。
ならばもう少しで地球環境も良くなるでしょう(笑)

自ずと自然に動く、と言う。
結果はだいたい収まる所に収まるんでしょう。
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