車にワックスをかけた。
近所のスタンドの手洗い洗車コーナーでかけた。
ワックスのキットの中に三種類の液が入っていた。
説明書でどの液を使うか確認。
説明書を3回読んだ。
説明書を3回。
どこにないが書いてあるか?
液の名前が出てくるカ所を見てその下の文章で何をどうするかを読んだ。
液の名前のカ所で塗って拭き取る部分を読んだ。
文章にワックスらしいところがある液を使った。
しっかりかけたいと思い、3回しっかり塗り込んで拭き取った。
家に帰り奥さんにキットの整理を頼んだ。
奥さんがキットの汚れ取りが使用されてるけど、どうしたの?と聞いてきた。
使ってない、と答えた。
奥さんは、でも使用されてるといった。
使った液のボトルを指して、このワックスだけ使った、と言ったら、それは汚れ取りだ、と返した。
え、っと思い、再度 説明書を見たら、確かに書いてあるのは汚れ取りと書いてある。
私は汚れ取りをワックスだと思って車体に練り込んでいた。
説明書を3回も見直して、それでも間違う。
これはいかがなものか?
何が起こった?
なんとなくだけれど、活字を見たが、読んでない?
つまり、せっかちなので、読むことをしない。
見て、すぐにこうだと、決める。
落ち着きがないから、丁寧に理解できていない。
丁寧。
見極めることはどう言うことか?
反芻しないと認識できない性質。
それは感じる。
ある物語を読んでても、すぐに「今、活字をなぞった所に何が書いてあったか?」と元に返して読み直す事が非常に多い。
上の空とも言うのか?
フワッと意識が空を舞う。
そして、また元に戻る。
集中力ともいうのか?
それとも違う気がする。
日常で頻繁に起こるから。
努力しないとできない事というよりも、普段から気が散る。
そう、気が散る子、と、子供の頃からよく言われていた。
姉も言っていた。
AB型の血液型だから?
まぁ、そういう事とも違うと思う。
目線が落ち着かない気がしている。
やはり静止ができない、という友人の言葉が的を得てる気がする。
一つ一つが丁寧にできていない、と言われた。
やはり、一旦停止しかない。
句読点が無いから物事を区切って認識できない、という性質。
そこらへんに問題がありそうだ。
ポイントを把握しないですぐに次に行くから。
見誤ったカ所を指してる。
落ち着きが無い。
そうとも言える。
一つづつができない。
そうとも言える。
慣れるといい加減になる。
そうとも言える。
一旦停止をこころざしてて行動しないといけないな、と以前から感じていた。
それが、やはりできていない。
何かの行動を取るときに、一つが認識できていないまま、次に移る事がほとんど。
そういう癖がついてる。
そこを治すにはどうするか?
深呼吸か?
やはり、重要なのは一旦停止から、だろうな。
今までも、今でもできないから、今まの意識の持ち方では今後もできないだろう。
もっと一つ一つ認識をする方法を取り入れなければならない。
句読点。
停まること。
一度、箸を置くと良い。
過去の慣例では行動を取る時に行動を言葉に落として、いわゆる独り言を言って確定していた。
周囲から「独り言が多い」と言われていた。
若い頃からだ。
かなり多いらしい。
でも、それは自分の行動を丁寧に行うためだった。
しかし、それだけではまだ怪しいらしい。
もっと一歩踏み込んだ対策が必要になっている。
意識から直す行動とは如何なるものか?
リズムを変えるか?
それもアリだな。
しかし、それでは時間が更にかかるが。
致し方無いか。
視点を留めるというのも必要か。
とにかく停まれ!だろうな。