120歳からミイラになる
それを高額のお金を使って維持すると言うことが可能かどうか
そういうことがあっていいのかどうか
そう考えてみた
仮に、人間の寿命がいくら健康であっても、50歳以上は生きられないと言う構造だったとすると
それ以上長生きする努力や工夫を最先端の科学で挑戦して、何千億、何兆円と言う金額でやったとして可能であったとしたら
それをやって幸せなのかどうか
逆に、人間の寿命が500年あるとして、それを1000年に伸ばそうとして同じ挑戦を繰り返す
そしてその金額は、何兆円もかかるとして、果たしてそれが幸せなことなのかどうか
程度の差こそ、あれ今の日本の長寿化は幸せなのかどうか
確かに残された者が、死んでいく者に対しての名残惜しさや敬愛する心理はわかる
しかし、それで苦しみながらミイラ化と言えるような状態になって、当人が本当に幸せなのかどうか
がん治療と言うのは、非常に苦しいらしい
死をも絶する苦しみもあるかもしれない
それでも死なせないと言うのが、本当にその人のことを思ってやっていると言えるか
それは、ただの自己満足ではないか
改めてそう考えてみることも大事なのではないだろうか
親が愛おしい、死なせたくない、と言う気持ちがわからないではない
しかし、それが自己満足になってしまっているのであれば、本末転倒だろう
自分の気持ちを自分の感情をぐっと堪えて、別れの言葉を発するのもある意味、思いやりと言えそうな気がする
こういう考え方をすると、非難する人も多いと思うけれども、一旦素直に受け止めてみてほしいと感じるのである
ここの記事に賛同する
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『欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか』
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