賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

人生は借り物

2024-12-01 16:07:06 | メンタル
身体も借り物
身体は食べ物で入れ替わってる

心は身体の附属物
全てが借り物

地球に借りてる
自分という循環形態

明日は変化する
その後消滅

肉体は物質に変わり、また別の何かに借り出される

時間の中での一形態
私はこの借り物の一時的な形態でしかない

洋服の模様などとなんら変わりはない
ただ物質を使ってるというだけ

形容詞ならある一つの模様

人生は一つのわたしという形容詞
今という時間、借りてる形容詞

だから喜怒哀楽がある

そういうこと

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エルサレムは神が与えてくれた土地?

2024-12-01 06:24:06 | エッセイ
彼らは本気で神様を信じている
ユダヤ教徒は、それこそが、真実だと信じきっている
そうなると、ダーウィンの進化論などは、吹き飛んでしまう
議論などできない
結論は信じきってしまうこと
日本人にできるだろうか

日本人は自然を信じている
おそらく、肉体の全てにそういうものが宿っているのだと思う
根本的に脳の作り、ニューロンのプログラムが違うのかもしれない
そのように感じてしまう

育ち方で意識のプログラムが変化する
成長過程で何兆個ものニューロンが消えていく
必要な細胞のみを残して消える
消えた先に残った細胞が繋がり生活に必要な組織構造になる
そうして出来上がったのが人間の思考をカタチ作る

従ってこの島国の平和な環境下で作られた構造だけが生きている
平和な文化をカタチ作ったのは日本語のみで生きられる単一の文化だった
それが良いのかどうかはわからないが、日本国土には一神教が必要のない文化だったと言えるだろう
従って多神教であるところの「よろずの神」が出来上がったように思う

だいたいが多くの人間がお互いに攻撃し合うところに宗教ができる
多くの人種といった方がイイかもしれない
何故なら相容れない「人の根っこ」、「生活における基礎」が戦い合うからだろう

嘗て日本にもキリシタンはいた
しかし、日本人の場合は、ただ単にいわゆる「宗教」として生活の中に気持ちが入り込んでいたのではないかな、と感じる
したがって、日常生活の大事なものとしての位置づけがそこにあった
だからもし仮にそれがイエスキリストでなくても、同じような気持ちになっていたかもしれない
そもそも日本においての宗教は神や仏が一緒になってても構わないレベルの存在だった
基礎が自然とともにあったからだろう
ただ、「自然の中の人間」が悪さをするから宗教を必要とする人が少数いただけに感じる

生活信条と言うものだ
自分の核と言うものである
例えば、父や母を一番重要な位置づけにすることもできる
恋人を命より大事なものだと位置づけることもできる
あるいはそれは人によっては子供であったりする

イスラエルの国々の人たちは、それが確定的にエルサレムにある神様なのだろう
自分だけでなく、他人も世界中のすべてのものがそこにないといけないと言う位置づけなのだろう

他人をも含めて断定してしまう、決めつけてしまう結構「傲慢な気持ち」だと思う
自分の固定意識が世界全てをも支配するのだ
おそらくそこまで行くと、自分の信念は、他人をも凌駕する
だからそのために人殺しもあり得るのかもしれない

戦争は人種間の「文化の戦い」な気がする
そもそもの生き方を譲る気は一切ないようだ
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