トレーニングをする。
短時間で効果的というもの。
でも楽しくない。
だからちょっとして三日坊主で終わる。
でも、遊びの中、同様のトレーニング的な、ちょっとした効果のもをする。
本当にちょっとだけ。
あまり意味がないくらいのことだ。
遊びだからね。
そうすると面白いからずっとやってる。
面白いからなかなか飽きない。
結果として長続きする。
仕事も同じ気がする。
現代式の仕事は効率重視だ。
さっさと必要事項のみを淡々とこなさないと捗らない。
捗ることが重要だ。
短時間が重要だ。
一瞬ならいいけどそうではない。
だからキツいだけの感覚が続く。
精神的に何かの対応をしないと壊れそうになる。
嫌になる。
嫌なことをするのが仕事だと感じる。
結果、壊れる。
日本式は長時間で効率が悪いと言うけれど、ダラダラと自分なりに工夫しながら余暇活動並みに続けられる。
ダラダラするから長い時間を掛ける。
従って効率的ではない。
でも面白みがあるからずっと続けていられる。
寝ないでやってるバカもいる。
でもやはり面白いからそれでも壊れない。
仕事の本質は生き甲斐にあると思う。
やってて良かった、と思えないと仕事をする意味がない気がする。
つまりは仕事は他人のためにしてはいけない気がする。
他人のためというと誤解を招くが、まずは社会的に意義がないとそもそも仕事は存在しない。
その中で自分のやりたいことでないといけない気がする。
やりたい方法でやることが重要な気がする。
ソコには当然バラツキはある。
でも、それを機械部品の様に単純に固めるのはダメな気がする。
もし、それができる仕事なら、それは機械を使えばいい。
人がする仕事は生き甲斐を含んだものがいい。
ある程度は自由の中に置いとくと良い。
そう思う。
トレーニングと同じだと思う。
痩せる筋トレ。
短時間でできるものはリバウンドする。
でも、長~い時間で知らず知らずのうちに痩せてた様なものはそのまんま。
元々痩せる体質だったと勘違いこそさせてしまう。
生活そのものの中に入り込むからだろう。
それは時間がかかる。
とてつもなくかかるだろう。
でも、生き方そのものに宿るから飽きないし、継続する。
放っておいても良いものとなる。
仕事もそうでありたい。
日常の暮らし、そのものが仕事なら一切の苦労はない。
いや?
苦労は別物に宿るかな(笑)
日常は良い。
適度な日常が良い。
ソコにはお金はあんまり関係ない様にも思うがなぁ。
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