賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

長生きの弊害

2024-10-22 05:27:47 | エッセイ
現在は、長寿の時代だ
平均寿命は男性81.41歳、女性が87.45歳らしい
でもって健康寿命は男性72.68歳、女性が75.38歳となっている
これは2019年のデータである

例えばおよそ90歳まで生きるのであれば、すべての人が90歳まで健康なわけではない
平均すると、2 ~3年位は寝たきりになっているのではないかと言う気がする
今後、100歳まで寿命が伸びたとする
そうすると、大雑把に考えて、10年近く、寝たきりの長生きの人が増えることになるのではないかと思う
そうなると、今までなかった。その伸びた時間の間、介護をする人なり、機械なり、行政機関が必要になる
生産性を生まない消費するだけの作業のためにである

自分は50歳前後でバセドウ病を患っている
その時に、筋肉がげっそり落ちた

そもそも老人は筋肉を落とさないように、タンパク質をしっかり食べることが健康な体を保つと言われている
健康でない不健康な体になり、死んでしまうわけだ
健康な体であれば、自ら生活を営み、いろんな行動や運動ができる
ところが、不健康になると、体がどんどん蝕まれていく
寿命を長らえる方法として、現代医学で蝕んでいく人の体を、薬品や手術によって、あるいは機械によって心臓の動きを止めないで、たとえ意識がなくなっても生きていると言う体制に持っていくことが可能になっている
正しく心臓だけ動かして作業しているようなものだ
そういう行為をするために、多額の医療関係費が必要になっていく
その医療費によって医者と言う職業がどんどん必要になり、お金の投入を促進される
医者の職業にも裕福はあるらしい
高度な治療を行う医療には多額のお金が回るようになる
そこには、いわゆる高度な医療と言う新しくて最先端な機械なり、薬品を投入し、多くの企業や資産家が関わることができる世界がある
つまり、医療という名前の業界である
医療産業と言っても良い
お金の流れとしては、軍事産業に似ている気がする
人は死にたくないと言う欲望を持っている
死にたくないから、医療と言う境界を使って死なないと言う技術を促進する
そして殺されないために、軍事産業と言う技術を使って、他国の他人を殺せるようにする
死なせないためには、その患者がいくら悶絶をするような苦痛を受けたとしても、死なせないようにすることも可能なのかもしれない
恐ろしい虐待である
虐待は軍事産業のお手のものである
情報と言う産業も見た部分があり人が精神的苦痛で首を吊って死にがったとしても、印象操作で死ぬまで激しい精神苦痛を合わせることができる
現代の産業が進歩すれば、進歩するほど、人は不幸になっていくような印象を受ける
医療業界もその中心中核を担っているような気がする
私はバセドウ病を患っていたので、肉体的な老化は、本来の健常者の75歳位の肉体なのではないかと思う
現在66歳だけれども、すでに5年以上の肉体的老化を受けているような気がする
従って意識がある間は体中に痺れがあり、どこか苦痛に似た感覚が常に付きまとっている
今はまだ体が外観上は普通に動いているが、結構ぎくしゃくした。痛みなりしびれを感じながら日常生活をよろよろとやっている。
あまり体全体に力を入れることができなくなりつつある
なので、あと10年もすれば、自分の体を自由に動かせなくなると感じている
今の男性の寿命は、およそ81歳だ
72歳で平均的寿命で肉体が壊れてしまうのであれば、あと約6年位で自分の体はくたびれてしまう
なぜなら、66歳に中年を先取りして経過させると、現在の自分は71歳程度だと生体年齢が示している
既に不健康な身体になっている
少なくとも、あと10年経たなくても、寝たきり老人のような肉体になるのであろうか

寝たきりになるのであれば、それからの管理的な費用が必要になる
ところが、それだけの費用は、持ち合わせは無い
そもそも現在の制度で年金と言うものは全く意味をなしていない
不健康で苦痛な人間がゾンビのようになりながら、管理されるだけの作業に、若者から搾取した労働対価を費やすと言うことに他ならない
全く無意味な行為に思える
その無意味な時間を2 ~3年で終わらせられれば、本人も苦痛で困る時間も2 ~3年だろうが、100歳まで寿命が伸びたと言う時代になると、その困った時間がさらに10年伸びることになる
人を不幸に陥れる、あるいは苦痛にお仕入れるそのための長寿を目指すと言うのは、意味がないことと言うよりも、劣悪な社会を呼び込むことに他ならない
人の世をより良くするために、努力をすると言うことなら理解はできるが、人の世の中を劣悪な世の中にするために頑張って努力を続けると言うのは本末転倒でしかない
現代人は盲目になっていて、生きるための本当の教育と言う事、あるいは本当の学びと言うことを辞めてしまった
一度、ここで終止符を打つべきではないかとすら思える

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