どこかで学んだのが、女性と男性の認識できる感覚の差です。
そこには色の識別の細かさがあります。
女性は男性に比べて色の細かい差がわかるらしいのです。
同じ色でも相当細かい違いがわかるということです。
そういう意味では理解できることがあります。
子供の頃(今でもですが)私は赤色という言葉をピンクでもみかん色でも一緒に考え使ってました。
みかんを見て、みかんは赤い色だ、と。
でも、それはみかん色だと。
まぁ、「確かに厳密に言えばちょっと違う」と思って、そう言いますと、「全然違う」と帰ってくる。
同類なら同じ。
そういう認識です。
まぁ、世間様の言い方ですと、「大雑把」
でも、そんなことを言ってる暇はない、という意識の方が大きかったと思います。
ごちゃごちゃ言ってるよりも前進したい。
そんな印象、感覚、思い、が強いのであります。
少しくらい違っても大差ない。
でも、昨今の時代の移り変わりで、細かい違いが大きくクローズアップされてる時代を感じてます。
あぁ、時代は変化してる。
私の感覚では生きられないんだなぁ。
生死感というものがあって、生きると死ぬの選択肢は二つだけ。
生きたら死ぬ。
でも、そこで生き方とか死に方とか言い出すと、もうそれは二つではなくなりますな。
どう生きるか。
まぁ、生きてる間の事でしょ。
死に方は如何なんでしょうな。
選択肢はおそらく無い気がします。
でも、そこも違うんでしょうな。
考え過ぎ、って言葉があります。
実は私も時々言われます。
でも、その内容も違うんでしょうな。
私の考え過ぎとあなたの考え過ぎの内容や意味が違う?
何だか意味わからない。
いずれにせよ、私にとってはあまり関係ない。
白色は200色あるって言葉を聞きます。
うちの奥様がフローリングの色を選んでる。
白い色なのですが、似たような色なのですが、あっちがイイとかこっちがイイとか。
意味わかんない。
私に「どっちが良い?」と聞きます。
私の答えられる言葉はほぼ無いですな。
「白は一色!」
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