
自分自身、役に立たない能力の人だ。むしろなんの能力もないレベル。だから仕事をするにしてもあまり難しい事はできない。難しいことをしてはいけないと感じるのだ。でも生きなくてはいけない。残念ながら今生きてるから。死ぬわけにはいかないから仕事をしている。自分に何ができるか。それを改めて考える。
老化に伴い動作が遅くなっている。もともと動作は遅い。その上整合性が取れた動作がなかなかできない。周囲の人からよく気違いと言われる。でも自分では正しいと思ってやっていること。
だから、やればやるほど周囲に迷惑をかけている。それでも賃金をもらうためには仕事をしなければならない。そうしないと生きていけないから。だからなるべく周囲に迷惑をかけない範囲での仕事をしたいと思っている。ところがそんな都合の良い簡単な仕事は頭の良い人が取ってしまう。結果として、自分には複雑で困難でハードな仕事が回ってくる。その上責任も伴うような仕事になっている。そこで感じるのは世の中の縮図だ。簡単な事は頭の良い人がやり、やり難しいことを頭の悪い人が押し付けられる。それが今の世の中の縮図だろうと感じる。しかしもうすでにそういう事はしようがないと諦めざるを得ない。どう頑張っても頭の悪い自分にはその構造を変えることができない。だから難しいことをより簡単にやろうとする。時間をかけてやろうとする。自分でもできるようにやろうとする。でもって、それが周囲に迷惑をかけるらしい。どこまでいっても矛盾は残る。矛盾が残るけれども、世の中がそういう構造をしている以上はそうならざるを得ない。私ではどうしようもないことなのだから。もしそれに反論がある方がいれば、そこをあなたにどうにかしてもらいたい。そう感じる。
インターネットは悪い便利だ。
便利だが悪影響がデカイ。
デカすぎる、と感じる。
人に限らず、生物は進化をする。
進化をするために便利になっていってるように思う。
しかし、便利になって環境が悪化することも多い。
便利には、良い便利と悪い便利がある。
エジソンを含めて、いろんな発明者は世の中を便利にしようと思って、いろんな発明をした。
多少便利になったものもあるけれども、逆に副作用として非常に不便になったものもある。
とっさに思いつくのは、核開発だろう。
原子力発電、原子力潜水艦、原子の解明が強大なエネルギーを生み出した事は、便利な方向に向いてて基本的にはいいと思う。
一方で、強大なエネルギーが発生することから、原子爆弾が開発された。
そこについては非常に不便になったと言えるだろう。
蒸気機関から始まり化石燃料エネルギーを使った車が発明された。
車によって人々の移動スピードが非常に速くなったし移動距離も伸びた。
大変便利だ。
しかし、それもまた、交通事故と言う非常に多くの人を殺害する武器となっている。
これもまた見方によっては大変扱いにくい発明品とも言える。
電気の発明はどうだろうか。
家の中が明るくなった。
夜になってもいろいろな作業ができるようになったから。
大変便利だ。
ところが、それによって、人の本来の生活環境が崩れてきた。
人間の一日の活動時間に狂いが生じると、自律神経もそれによって狂ってくる。
本来、強制的に働かなくてもよかった夜という時間をさらにもっと働けと言われるようになってきた。
生活が変わると、人の肉体の状況も大きく変化する。
本当にそれで幸せなのか。
そもそも幸せとは何を求めて幸せと言っているのか。
そういうことを考えさせられる。
便利なもので不便という副作用を持たないものはややもすると存在しないのではないか。
生命体と言うのは、進化をし続けることによって、自らの進化を妨げるように向かっているのではないか。
そうとすら思える。
昨今は世界情勢が非常に大きく変わってきている。
とても危険な状況に陥ってきている。
便利が行き着くところまで行き着くと、それは崩壊、終焉、人の世の消滅を迎える序章なのかもしれない。