賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

自分との折り合いをつける為に

2025-01-09 05:55:44 | メンタル
身体の調子が悪い場合に、いくらやりたいことがあってもできなかったりする。
自分の身体が健康でメンタルも絶好調であれば、当然、大抵の事はやればできる。
病気がちな人が完全に良い体調でないとできないようなハードな仕事をしようとしても、それは無理と言うものだろう。
そういう場合には自分自身と折り合いをつける必要がある。

うつ病の人は、うつ病になる環境下にずっと身を置いてしまっているケースが多い。
例えば、戦時中の捕虜になった囚人などは、真っ暗闇の独房に入れられる。
そういう環境で精神を健全に保つ事は不可能だ。
したがってそこまで環境が悪いと精神に異常をきたし、気が狂ってしまっていたらしい。
自分自身からそういう環境に入っておいて、うつ病になったと言うような人たちが昨今多いように感じる。

それは肉体そのものについても同じようなことが言えると思う。
寒い地方で、とても寒い環境の中に身を置いて、温かい地方の暮らしの様な薄着で過ごそうとしても、それでは体調を壊してしまうに違いない。
それと同じで今の都市生活と言うのは、非常に心身ともに劣悪な環境になっているような気がしてならない。

そういうところで生活をしておいて、身体の調子が悪くなったと言うのは、結局自分がそういう環境にいることがそもそもの根本問題なのだろうと思う。
健康になりたいと思うなら、生活環境をそこから切り離さなければならないと思う。
にも関わらず、そういった劣悪な暮らしをずっと続けているのが現代人のほとんどだと感じる。

最優先事項が、自分の健康ではなく、別のところに目的があるのであれば、多少の犠牲は知った上でやらなければならない。
大抵の場合は優先順位はお金だろう。
しかし、そういう考え方の順序は、どうも間違っていると思える。
やはり人間生き物は、身体が基礎にある。
目的遂行ためだからと言っても、不健康になり死んでしまったのであれば意味がない。
第二次戦争中の特攻隊と同じだ。
彼らは国のためにみんな死にましょうと死んだ。
そう言うのはおかしいだろ。

まずは、自分の心身を健全に保つところから始める。
その順序が正しいものの考え方だと思う。
しかし、健康でいられるからと言って そういう環境に身を置くと食っていけないと言う。

しかし、本当にそうなのだろうか?
田舎では最低限の生活だから暮らせない?
しかしそこでも生きていこうと思えば、生きていけるのではないだろうか?

南方の島国の田舎の人たちでも、結構普通に暮らしをしている人たちが居ると思うのだが。

つまりは、近代的な生活をしたいからではないのか?
言い換えれば、贅沢をしたいからではないのか?
現代社会においての贅沢は、普通の人の普通の生活だと勘違いしているのではないか?
便利な生活をすることが当たり前だと思っていないか?

そういう疑問を持つ。

大金持ちの生活をテレビやメディアで見ることが多い。
そういうものを見ると、「大金持ちの生活が誰でも普通に 当たり前にできてしまうという勘違い」をするのだ。
そこに身の程知らずな人の誤解があると思う。

肉体的に苦しい思いをする生活はしたくないと言うお金持ち。
そういう人たちの生活の中には健康管理のためと称して、トレーニングジムでの苦しいハードトレーニングを見る。
楽をしたいからハードトレーニングをしているのか?
楽をしたいから苦しむ?

などと、そんな印象を感じる。
穿った考え方かもしれないが、
それも含めて、大きな矛盾を感じるのだが。

この考え方は間違っているのだろうか?

「自分との折り合いをつける」というのは養老孟司先生が言ってた言葉だ。
身の程を知ること。
したい事とできる事の折り合いがつかないとロクな結果にならない。
そのあたりに自分をいい感じにする場所があると思う。

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