実は「物価は高くない」のではないかという疑問を持った。
人は日々いろいろなものを作っている。
ものは一つ一つは大変な労力で作られる。
汗水垂らして作った高い価値のあるモノだ。
現代人は、その価値を無視して安く買おうとする。
安さを求めることは、それなりであるべく人の価値を軽んじてる。
それはまさに作った人を軽んじてることと同じだ。
人が作ったモノは全て高い価値のあるものだという感謝の感覚を忘れてる。
現在の日本人は、そういう生きていくためのすべてのものに対するリスペクトが消えた。
そういう心に変化している。
人は貴重な今という時間を生きている。
自分も他人も同じく。
今という時間は大事な時間である。
その貴重な時間を仕事と言う行動や作業やものを作ると言う価値のある作業に従事している。
それを些細な事だと思えるのだろうか。
だから、安くものを買おうとするのだろうか。
安いものがいいと思っている。
高いものが日常ではないと思っている。
日常の人々の労力から生まれたものが安くて当然だと思っている。
現代の日本人たちは、安いものに慣れすぎた?
であるならば、それはむしろ人の価値を作ると言う行動を無視しているのではないか?
一つ一つの商品やサービス提供品などは大変な労力の上に成り立っている。
安い賃金で働いた結果の作品だろう。
過去、十数年間、それがたまたま安く手に入っている稀有な時代があった。
それは、たまたまそういう環境があっただけだ。
本来の作品は一つ一つそんな安いものではないのだろう。
作者の時間は安い時間か?
そもそも自分の時間は貴重ではないのか?
その貴重な時間を大変な思いをして、商品やサービス品を生み出している。
労働によって作品という価値を作り出している。
それが安くて良いと思えるものなのかどうか。
楽をして、高い価値を得ようとしている人が増えた。
一部のお金持ちなど。
或いはたまたま当たった仕事で財を得た人など。
が、それは本来あるべき価値では無いように感じる。
あったとしても、そこには大変な価値の違いがある。
自分にとって、その作品が必要なものであるならば、それに見合う対価を支払ってしかるべきだろう。
一部の金持ちは、時代と環境がたまたま運が良かっただけで楽をしていただけた。
本来の価値と言うものは、一つ一つが非常に重くて高い。
作品一つ一つが価値あるもの。
そういう人に連動する高価な価値がデフォルトだと思わないと、人間の価値を安いと勘違いする。
それはつまりは、かえって自分も大事にしてないことだと言える。
現代人は必要のないものを求めすぎているから、余計に勘違いしている。
本当に必要であるものは、それなりの高い価値を支払っても良いはずなのに。
貧乏であれば、貧乏であるほど必要でないものを押し付けられて買わされている。
そこがオカシイ。
そういう矛盾に気づくことの方が価値があるように思う。
そこには安い賃金で重労働を耐えながら働いている自分に対するリスペクトも存在する。
自分と同じような環境の人に対してのリスペクトも存在する。
ものを買うと言う行為が、非常に大事な仕事の一つとなる。
お金持ちが簡単に高いものを買うと言う行為は、価値のない安いものだと見えてくる。
物価が高いと言うけれども、それは必要なものを必要なだけ買ったら良いのだと言う正しい視点を教えてくれていることに気づいて欲しい。
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