先日 志賀島に行きました。
糸島半島と志賀島は嫁さんの好きな場所です。
福岡東区のアイランドシティを抜けて海ノ中道を通過して両脇を海に挟まれた道を通っていきます。
志賀島の北側の浜辺にちょくちょく行くのですがその日は結婚写真のロケーション撮影をしている人が居ました。
暖かい日でしたがワリと風が強い中でウェディングドレスとタキシード姿が微笑ましく感じました。
志賀島と言えば漢委奴国王印が出土した場所です。
十数回は行ったのに金印公園には上ったことがありませんでした。
どうやら金印公園は最近綺麗に整備された様子で桜の木を綺麗に植えてありました。
公園に上ると博多湾を挟んで対面に能古島が見えます。
更にその向こうには糸島半島が見えます。
金印公園から数百メートル行くと蒙古塚があります。
この島は古い歴史を持つ島だったんだなぁ、と最近になって理解しました。
ただ海の綺麗なだけの島ではなかったんですね。
よく行く浜辺は下馬ヶ浜海水浴場と言って3~400メートル程度の砂浜です。
わりと波は荒い感じを受けます。
海を眺めていると思います。
太古には蒙古がここで屯していて、日本海をまたいで日本と大陸が戦った戦場だったんだなぁ、と思うとなかなか感慨深いです。
それとは別に唐津にある鏡山にも登りました。
春先には桜がとても綺麗に咲いてて綺麗な池もあり標高250mmの鏡山公園から見下ろす唐津湾もなかなか見ごたえがあります。
鏡山には作用姫神社があります。
ここも古くは松浦作用姫が朝鮮半島の新羅へ出征する大伴狭手彦を見送った場所と云われています。
昨今大陸とのお付き合いに於いて色々と面倒な事が起こってますが、昔はこの地で様々な戦いや人間模様が繰り広げられたんだなぁ、などと感じつつ博多湾沿いを車で走りました。
ところで
私は十年ほど前まで、大伴旅人の住んでいた坂本神社の1キロほどの場所に居を構えていました。
太宰府政庁跡は息子や娘の遊び場でした。
菅原道真が毎日通っていた道沿いに住んでいたので、きっとなんか××に捕り憑かれているかもしれません。
令和になってちょっとだけ賑やかな印象を感つつ 千年前の大変な時代にここらへんに住んでなくて良かったような、そんな思いがしてます。
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