週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 情報格差

2015年12月27日 22時17分21秒 | たわごと(少し硬派に振って)
パリでのテロ事件。
エジプトでのロシア機の爆破事件。
どれをとっても痛ましく、悲しい出来事である。
その悲しみは、その事件の被害にあった人の多さで計れるものでは無い。
しかし、被害者の多さから言えばアメリカの9.11は多数に亘った。
それも宣戦布告する事無しに、戦闘員即ち兵士でもない一般人に銃口が向けられているのである。
それがテロであると言ってしまえばその通りであるが。
戦争であっても、無差別爆撃によって戦士でない罪もない民間人が犠牲になりだした第二次世界大戦(スペイン内戦を含む)。

幾多の紛争でも戦争でも非戦闘員が巻き添えを食って被害に会う事が多くなった近代戦。
民間人である非戦闘員が犠牲になれば成る程、加害者である国の軍隊への憎悪が増してくる。
一般人がテロの被害になると犯罪に会った悲劇の人々として世界から哀悼の意が示される。

情報の氾濫する現代社会において自分達が見ている社会、世界は実像でしょうか?との問いかけです。

テロを肯定している訳ではありません。

世界で紛争などにより人命が失われている現在、正しい情報を私たちは持っているのでしょうか。
それは自分は正しい情報を持って正しい判断をしているとの錯誤の中に有るのではないのでしょうか?
国家が国民を操る積りで情報を操作しても必ず漏れる現代社会ですから、私たちは正しい情報を得ているとの錯覚に陥っていないでしょうか?との自責の念です。

ベルリンの壁が崩壊したのが1989年ですから、既に30年弱経とうとしています。
誰でも知っているこの壁と同じ壁がパレスティナには造られているのです。

シリアでの内戦の現実もトルコ等中東でのクルド人の扱いなど、メディアの対象に成らない情報は私達の耳や目には入ってこないのです。
それでも世界中に生活している人たちが存在しているのです。

パリでのテロもその他の国のテロもニュースバリーが有るか無いかのスクリーンが掛かり選別されているのです。

その情報の格差が益々増大してきていると感じるのは自分だけでしょうか。

ニュースは嘘をついてはいません。
でも、そのニュースにニュースバリューと言う基準が付いて回るのです。
価値の無いと思われるものは私達の所迄伝わってこないのです。
それが情報格差なのです。

世界の主要国がニュースの発信源でなければ、ニュースとしての価値が無いのです。
如何にその国民が独裁者によってしりたげられようが、人権を踏みにじられようがです。
生命を賭して紛争地域に入り正しい情報を流せたとしてもその情報は亜流なのです。
大国や超大国のメディアの力には勝てないのです。
好むと好まざるに拘らず、私たちはスクリーニングされたニュースを見聞きしているのです。

ニュースが溢れ何でも手に入ると思っているなら、それは錯覚であり錯誤です。
手に入れる目が有り気持ちが無ければ入らない世界になってきているのが現実です。

後日加筆構成します。
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§ ギリシャの悲劇はつづく

2015年12月27日 21時45分24秒 | たわごと(少し硬派に振って)
過去のギリシャ悲劇の話ではありません。
が間に入った現在進行形のギリシャの悲劇です。
細かいですが、ギリシャ悲劇とギリシャの悲劇で、が入るだけでも大きく異なります。

偏屈者の穿った見方のギリシャの側面からのスレッドです。
1981年EUに加盟した事にその日、悲劇が始まりだした。
イギリスのようにEUに加盟しても、ユーロを採用して居ない国もあるから、正確には2002年ユーロを採用した事にギリシャの悲劇は端を発しているのです。
一般的には、財政状況を虚偽の申し立てでユーロを採用したと言われている。
勿論、ユーロを採用するためには厳然たる基準(マーストリヒト条約など)が定められている。
その基準を満たしていないから嘘の申し立てをした事は事実。

話は飛んで2015年の9月のギリシャです。
20日に投票された総選挙の結果、チプラス氏が引きいる与党・急進左派連合が勝利した。
チプラス氏が首相を続投することになりそうだ。

ここまでは今年の9月に書き終えて、ぷつっと筆が進まなくなってしまった。
年を越してしまうので理論が纏まらないが、12月27日に書き始める事にした。


何がギリシャの悲劇なのかとのことである。
通貨のユーロを採用していることに伴う悲劇なのである。
一般的には強い通貨のユーロを採用しているからこそ財政状況に見合わない破たん国家なのに持ち堪えていると言われている。
それこそがギリシャにとって悲劇なのである。
ユーロでなくドラクマなら財政破綻(デフォルト)して借金の一部分を債権放棄してもらい、通貨を切り下げて経済規模を適正化する事が出来る道がある。
でも、現在のギリシャにとっては強い通貨のユーロである。
国情に合っていない通貨の為にギリシャ経済が浮上する事は決してないのである。
ドラクマで通過を切り下げてその経済規模に見合った通貨価値で国家再生ができないのである。

この事がギリシャの悲劇が今尚続いているのである。
ユーロを支えるドイツ。
ドイツにとってはギシリャ&スペイン&イタリアなど財政状況の良くない国を足して平均した状態での通貨の強である。
ドイツの国情を反映していない安い通貨価値で得しているのである。

その事がギリシャの悲劇の終焉を迎えない事につながるのである。

ユーロ圏内から分離している英国のポンドを国情に合わせて高くなってきている。
ドイツのマルクなら英国ポンド以上でもおかしくないのである。

声を大にしてもう一度同じことを述べる。
ギリシャの国情に合った通貨では無い、ユーロではギリシャの危機は解消しないのである。
理想で通貨をユーロに統一し、理想で国境を開放(シェンゲン協定)した壮大な構想が崩れ去るのであろうか。

後日、加筆構成するかも。






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