週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0071 -’19. 早朝に清水寺へ(その一)

2019年07月08日 21時56分59秒 | 国内旅行
午前六時から参拝可能なのでその直後に到着です。
京都に於いても大変人気のある仏閣ですから、大変混みあいますが観光客は殆どいないのでお寺の本来の姿の中で参拝することができました。

西暦778年開創の音羽山清水寺です。
清水寺の境内案内図は次の通りですが、HP上のはこちらです。

スクリーンショットの画像です。


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清水寺のHPから引用させて頂きます。
          清水寺の物語を紐解く
             清水寺の歴史
音羽山清水寺の開創は778年。現代から遡ること約1200年前です。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並びます。創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、篤い信仰によって何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。


最初にアップすべきは仁王門ですが、こちらの写っているのは西門です。
西門越しの三重塔が見えます。
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ここより左手の道を上の上るタクシーもありましたが、我が家はここで止めてくれました。

案内図の3番の鐘楼と14番の社務所の間にある馬駐の施設です。
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阿吽の呼吸の口を開いている阿形象と口を結んだ吽形象の仁王門です。

ウキペディアから引用させて頂きます。
仁王像
日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのをしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。

仁王門です。
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仁王門を潜り京都市内を一望して。
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西門の下の龍です。
私の写真には写っていませんが、その手前には一対の狛犬が写っています。(清水寺のHPの説明画像にです。)
狛犬は神仏統合の時代の名残なのか寺院でも祀られていると思い込んでいたが、自分の誤りだった。
ウキペディアによると神社だけでは無く以前より仏閣でも祀られていたようである。
引用です。
狛犬(こまいぬ)とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。
飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している

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本堂に向かい左側に鐘楼があります。
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西門の左手の階段を上り順路に従い参拝です。
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振り返り仁王門を眺めて一枚。
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木立に隠れていますが、右手の朱色の建物は三重塔です。
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随求堂です。HPからの引用です。
5. 随求堂
1718年の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。また、縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。ここでは胎内めぐりを体験できます

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朱色がまばゆい三重塔です。
導線は避雷針で受けた雷の地上にアースして火災から守っているのがと思います。
4. 三重塔
高さ約31メートル。国内最大級の三重塔で、京都の街からよく望見できることから古くから清水寺のシンボル的な存在です。創建は847年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。(重要文化財)

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経堂(講堂)です。
6. 経堂
寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理されました。平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えました。それ以降は記録から消え、現在その一切経は伝来していません。堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。毎年2月15日の涅槃会は、ここで行われます。(重要文化財)

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経堂と似た建物ですが、こちらは轟門に近い開山堂(田村堂)です。
建物の周りの廊下には手摺がありますので違いが判るかと。
それと、開山堂は本堂と同じ檜皮葺ですが、経堂は瓦葺きです。
見た目の大きな違いの目安になるかと思います。
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後ろを振り返り、右側手前から開山堂そして経堂、その先に三重塔が見えます。
黄色い旗の下がった所が拝観料を購入するが所です。
勿論、午前6時から開門していますが殆ど人が居りません。
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開山堂こと田村堂ですが、屋根はご覧の通り立派な檜皮葺です。
檜皮葺で浜離宮の建物も同じ檜の皮で葺かれたものと思い出したので開いてみたら違っていた。
浜離宮のはこけら葺だった。
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轟門(中門)でし。
回廊と清水の舞台を通り本堂に向かいます。
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朝倉堂です。
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清水寺でも一番有名な清水の舞台ですが、維持管理の為の工事が取り行われていて風情的には少し残念ですが、後世に残すためには大切な事です。
実際は清水寺の全体的な国宝の本堂の檜皮屋根葺き替え工事が行われていました。

清水寺のHPからの引用です。
平素より格別なるご信心、ご支援を賜り誠に有難うございます。
2017年2月より、平成大修理の集大成として、本堂の檜皮屋根の葺き替え工事に入っており、ご参拝の皆様にはご迷惑をおかけしております。
今回の工事は約50年ぶりに実施するもので、その目的は、清水寺が大衆の心の拠り所として、自身の誠の思いや志に立ち返り、感謝と自他の無事を願う「現在進行形の仏教寺院」として一層の責務を果たしていく為であります。そして同時に、これまで先人たちの尽力により護持されてきた「歴史的文化遺産」を、後世に継承していく為でもあります。
何卒ご理解、ご協力を賜りますよう改めて心よりお願い申し上げます。
なお、ご本尊の十一面千手観世音菩薩は、本堂にて、これまでと変わりなくお参りしていただけます。
合掌

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清水の舞台から見える子安塔です。
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清水の舞台から音羽の滝を撮影です。
長蛇の列も無く、未だ誰もおりません。
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清水寺のHPから引用です。
京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけます。そして、この瀧のほとりで草庵をむすび修行をする老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったのです。行叡居士は賢心に観音力を込めたという霊木を授け「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻し、この観音霊地を守ってくれ」と言い残して姿を消したといいます。賢心は「行叡居士は観音の化身だ」と悟り、以後、音羽山の草庵と観音霊地を守りました。賢心が見つけた清泉は、その後「音羽の瀧」と呼ばれ、現在も清らかな水が湧き続けています

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国宝の本堂に上がりご本尊前まで行きました。
京都の清水寺で読経できるなどそれも「十一面千手観世音菩薩」様の前です。
思ってもいませんでしたし、家内のほかに誰もいなかったので般若心経をあげることができました。
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コメント (2)
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