週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#135 -’22. こちらはど~こ~だ?

2022年05月31日 23時24分50秒 | その他

ここには、5月26日に自分一人のみで来ました。20220531232450

この日お邪魔したのはここのみです。

ヒントと言えば画像がヒントで、答えは最後に。

1  葛西臨海公園の葛西臨海水族館です。温室に見える入口を入る前に建物の外に海と一体になる感じでプールがありましたので撮影しに行きました。ヨットの帆の如く、見える風景は海を強く感じさせる水族館と一体感を醸し出す風景でした。

2  スマホで写真撮影していたのは自分だけでした。他の方は入り口から中に入っているようで、外で海を眺める人は皆無です。そんな時に噴水から水が吹き上がると言うより、水煙が出て煙幕を張る様でした。

3  見えていた東京湾を遮り幻想的な雰囲気を作り出していきます。

4   子供の頃読んだ海賊船が難破して、何年も漂い帆が朽ち果てた姿を思い出す幻想的な姿でした。ボーダー柄の水夫は既に骸骨です。そんな想像を張り巡らせながら一人見ていました。

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6  この風景を撮影したのは横浜で日本丸に乗船する前です。東京湾も江戸川から谷津あたりまでは特に遠浅で、潮が退くと遠くまで砂地が見えていました。子供心に覚えているのは数キロはあったかも。今残るのは水鳥用の三番瀬だけのようです。

7  超有名な建物や景色が遠くに写り込んでいます。子供達の夢の国のディズニーランド&ディズニーシーです。

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11  こちらを見ると分かったかも。

12  答えは、葛西臨海公園の葛西臨海水族館です。次のスレッドで此方のドームから入園します。

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#134 -’22. 永青文庫に行ってきました。

2022年05月31日 22時29分00秒 | 日常の出来事(日記)

今回の訪問はの文京区にある永青文庫です。

ネコ好きな家内です。

ぐるっとパスでなくても行ったかもね。

文京区立細川庭園の隣に在りますが文京区立ではありません。

公益財団法人 永青文庫 でした。

館内での展示物の撮影は禁止でしたので何もありません。

文庫で頂いたパンフレットと外観などを撮影させて頂いた物をアップします。

 

 

以下は頂いたパンフレットから引用させて頂きました。

 

 

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#133 -’22. 文京区立肥後細川庭園を訪問

2022年05月31日 14時03分49秒 | 都内の公園&近郊の公園

前回の文京区立細川庭園・松聲閣つづきです。本来のぐるっとパスで有料施設の永青文庫を見学することですから、庭園を堪能したと言うより肥後菖蒲を愛でて最短距離で文庫に向かったかんじです。

細川庭園のHPから引用させて頂きます。詳細はHPを拝見してください。

肥後細川庭園は、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸(現在の目白台運動公園敷地)となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月に「肥後細川庭園」に名称変更しました。

1 HPから拝借した園内マップです。我が家が歩いた道は最短の中門から緑の立線が振られている道を歩いて永青文庫にむかいました。後日、再訪問してのんびりと園内を歩いてみようと思っています。

2  中門から池泉回遊式庭園に向かいます。庭師の方が独特な三本足の制定用梯子で作業をしていました。

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4  肥後花菖蒲は約30種500株あるとの事でしたが、ご覧の所しか拝見しませんでした。今年は花付きが良いそうです。

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10  サツキやツツジが過ぎ去り、紫陽花に移り始めました。

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16  二ヶ所滝があるようですが、下の滝です。

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20  台地に上がって来た途中にあるテーブルの中央には。途中から変更された細川家の九曜紋です。家紋にも歴史ありです。気になる人は・・・。

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22  細川庭園があること辺りは目白台・関口として川と台地の織りなす地形です。頂いたパンフレットからの引用です。

🔵 その昔、景勝地であった「椿やま」

このあたりは、南北朝のころから椿が自生する景勝地だといわれています。江戸時代に描かれた「名所江戸百景」の中でもこの近辺の風景は、遠く富士の霊峰をのぞみ、近くは神田上水を越えて広々と続く早稲田一帯を見晴らす地、「せき口上水端はせを庵椿やま」として紹介されています。明治時代の政治家山縣有朋が、現在のホテル椿山荘東京にあたる土地を購入し、庭園、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名しました。初夏の夜には蛍が美しく庭園をともします。学生時代に和敬塾に入寮していた村上春樹が、短編小説「蛍」でこの蛍を描いています。また、この作品が原型となり「ノルウェイの森」が誕生しました。

昨日お邪魔した、江東区の芭蕉記念館は関口芭蕉庵の後に庵を構えて所だそうです。

23  令和4年度初夏展、仙崖さんのZenZen禅画に向かいました。

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