温泉放浪記

温泉と旅行、酒場とグルメのブログです。料理やラーメン、農業、猫、薔薇の記事もよく書いています。

外付けハードディスクのケーブル交換

2018年08月31日 23時58分29秒 | 日記
交換したハードディスクドライブの付属ケーブルが短かかったため、3mのケーブルを買って、テレビ用アンプの下の目立たない場所に移動しました。

すっきりしました。



テレビ録画用外付ハードディスク取り付け

2018年08月30日 00時51分16秒 | 日記
昨日注文していた、ハードディスクが届いたので、早速テレビに取り付けました。

3Tのハードディスクなので、350時間位テレビ録画可能です。20年位前は、VHSテープで2時間しか録画できなかった事を思うと、ずいぶん進歩したものです。

20年位前までは、日本の電化製品はアップルなどからも憧れられる存在でしたが、
今では、下請け状態で、事業を手放したりして壊滅状態になってしまい、隔世の感があります。

テレビ録画用外付けハードディスクの故障

2018年08月28日 23時53分24秒 | 日記
帰宅してみると、テレビ番組の録画が出来無くなっていました。
外付けハードディスクドライブを感知していないアラームです。8年間使っていたので、寿命がきたみたいです。
ハードディスクの場合、高回転しているので、読み取りヘッドが接触してキズがついたりして、故障は突然きてしまいます。
早速アマゾンで注文しました。

車の点検結果

2018年08月27日 21時05分45秒 | 日記
不調だった車の点検の結果、スパークプラグが1本不良で、1気筒分着火していなかった状態でした。念のためスパークプラグを全て交換してもらって元通りです。
消耗部品の交換だけで済んでやれやれです。
昔は、車載工具としてプラグレンチが大抵の車に付いていて、定期的に自分でスパークプラグを交換したりしていましたが、ここ何十年は、車検や1年点検の際に電極が摩耗していたら交換してくれていたので、あまり気にしていませんでした。


手巻き寿司の夕食

2018年08月26日 19時43分02秒 | 料理
夕食に手巻き寿司を作りました。

出汁巻き玉子を作りました。

鯛の刺身

かに缶のマヨネーズと、ポン酢和え

イクラ

鶏肉の龍田揚げ

野菜の味噌汁

ビールに、ロゼのシャンパン

具材を巻きます。

冷酒です。

美味しかったです。

手打ちうどん名玄

2018年08月26日 12時35分38秒 | グルメ
岡山市平井にある、手打ちうどん名玄で昼食です。
40年以上前に営業を開始した、岡山のセルフうどん発祥と言われる店です。

店内は、昭和感を感じる、古臭い年季の入った辛気臭い雰囲気満点です。
客層は、ガテン系、爺さん、太って汗臭そうな髭面の男など、男性1人客が7割位で、店の雰囲気にマッチしていて素敵です。
ごく稀に若い女性が入店すると、場違いな感じなので、舐め回す様な視線を浴びる状況です。
丼の中に茹でうどんが入っているので、自分で茹でざるに入れて、湯の中で温めます。
うどんは太めで、手打ちですが、真っ直ぐでなく多少曲がった麺です。讃岐うどんの麺とは違って柔らか目で、岡山風うどんと言えばいいでしょうか。
天ぷらの種類は多いですが、衣がボテッとした、サクサクでない天ぷらです。
稲荷ずしや、おにぎりもあります。
大衆食堂風の陳列ケースがあって、小鉢や巻き寿司なども選ぶことが出来ます。
海老天と、玉子天、おにぎりを付けても500円位と格安です。
花かつおと、出汁をとったあとの昆布の千切り、天かすは乗せ放題です。

見た目はかなり悪いですが、出汁が濃厚でなかなか美味しかったです。 岡山風うどんを代表する様な味わいです。
出汁の味は、讃岐うどんの有名店に匹敵する味で、昆布と鰹節出汁がしっかり効いていて素晴らしいです。
残念なのは、天ぷらと、おにぎり、稲荷ずしで、コンビニやスーパーの惣菜以下の味です。

車のエンジン不調

2018年08月25日 20時57分52秒 | 日記
3日前から、信号で停まった際にエンジンのアイドリングが低く、ブルブル振動し出しました。
原因はよく分かりませんが、エアフローバルブの汚れが疑わしいので、エアクリーナーの配管を外して、バルブの洗浄をしてみました。
ワコーズのスロットルバルブ洗浄スプレーです。

洗浄後、バッテリーターミナルを外して、車のコンピューターをリセットしてみましたが、まだ、エンジンの吹き上がりが悪い感じです。
仕方ないので、トヨタのディーラーに点検を依頼して、明日持ち込むことにしました。

ローストビーフと水餃子の夕食

2018年08月25日 20時40分14秒 | 料理
ローストビーフを作ります。
牛肉のかたまり肉に、ローストビーフ用のシーズニングパウダーをまぶして、30分位置いておきます。
フライパンにオリーブオイルを入れて、弱火で全面を軽く焼きます。
コンソメスープと、ブランデーを入れて、蓋をして、中火で1分焼いて火を止めます。5分位したら再び焼いて、火を止めます。これを50分位繰り返しして、肉に串を刺して、ピンク色の肉汁位になったら取り出して、薄く切って完成です。

鰹のタタキ

水餃子鍋を作ります。
寄せ鍋つゆを温めて、白菜、しめじ、豆腐、エノキ、鶏肉、水餃子を入れて完成です。

デザートは、岡山名産のシャインマスカットです。種無しのマスカットで、シャキっとした食感で、すごく美味しいです。


すわきラーメンの夕食

2018年08月24日 21時48分05秒 | 料理
夕食にすわきラーメンを作りました。
味はまあまあです。
中学、高校生の頃には、凄く美味しかった記憶があるのですが、今では舌が肥えたのか、体が肥えたのか分かりませんが、普通な感じです。

岡山には、すわきラーメンの店が何店舗かありますが、店によって味のばらつきが大きいのが特徴でしょうか。
味が昔と変わらないのは、竹の皮で包んだげんこつおにぎりで、皮にもち米のおこわのほとんどがへばりついていているところ位です。
スーパーで買った、すわきラーメンパックですが、店で食べる味とどこか違う感じでした。


スモークチキンとクリームシチューの夕食

2018年08月19日 19時31分47秒 | 料理
クリームシチューを作ります。
ルーはやっぱり、昔からのハウスのクリームシチューです。


スモークチキンを作ります。
古くなったフライパンに、桜のチップを入れます。

鶏肉から油が出るので、アルミホイルを被せて、餅焼き網を置きます。
餅焼き網は、100均で買ったもので、フライパンの底から2cm位の高さになるように、ネジを取り付けています。

ハーブパウダーをまぶした、鶏もも肉を乗せて蓋をして40分位燻します。
燻製器を使わなくても、これで桜チップのスモークが出来ます。
焼いた感じは、炭焼きの鶏肉に、燻製のいい香りがついているような出来栄えになります。



バットに取り出して休めます。

ゆで卵も燻します。

鶏もも肉は、オリーブオイルで両面をこんがり焼いて完成です。
付け合わせは、和風カルボナーラです。



美味しかったです。
デザートは、果物のゼリーにしました。
食後のブランデーです。

鉄板焼きの夕食

2018年08月18日 20時41分03秒 | 料理
鯛とホタテの海鮮焼き


ヨセミテ公園のシャンパンにしました。

トマトソースで食べます。

チーズダッカルビを作ります。

チーズを乗せます。

完成です。

焼き肉とソーセージ焼き

シメは、焼きそばです。


デザートは、ピオーネを食べました。

終戦記念日

2018年08月17日 22時57分01秒 | 日記
太平洋戦争前から日本は、中国との戦争、ロシア(当時はソ連)との領土を巡った国境紛争を繰り返していました。
自分の祖父の弟も、23歳で昭和14年に中国北東部の野戦病院で戦病死しています。
当時は、戦死すると靖国神社に英霊として祀られたそうですが、祖父は歳をとっても時々、遺品の軍服を出しては眺めていたそうです。

アメリカなどから、中国との戦争を止めて占領した土地を全て返さなければ、石油の全面禁輸との通告を受け、インドネシアの油田地帯を占領して、戦争を続けるための石油を手に入れるため、邪魔になるイギリス軍のいたシンガポール、アメリカ軍のいたフィリピン、ハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まりました。
石油のために始めた戦争ですが、最期には、空襲で日本中焼け野原になってしまい、無条件降伏をして終戦を迎えることになりました。
明治以降に手に入れた、グアムやサイパンなどの南洋庁のあったパラオ諸島や、中国、台湾、朝鮮半島の植民地も全て失い、
一時は、北海道はソ連(ロシア)、九州はイギリス、四国は中国、本州はアメリカと日本がバラバラにされる案もあったそうです。特に北海道については、ソ連の植民地にされる可能性が高かったそうですが、最終的には、アメリカ軍による統治が数年続くことになりました。
その後、アメリカの一部にされることもなく、再び独立した国家に戻ることが出来ました。
現在でも、4万人近いアメリカ軍が日本に駐留して、中国やロシア、中東に対する最前線基地になっています。また日本が再びアメリカに対する脅威にならないように、見張っておく意味合いもあるので、独立国というものの、アメリカに頭の上がらない、属国みたいな状況でしょうか。
父の実家も岡山空襲の際に、焼夷弾で丸焼けになったので、子供の頃、お盆に父の実家へ親戚が集まると、よく戦争中の話しを聞かされていたことを思い出しました。
終戦前には、岡山市内でも、学校から帰っていると、アメリカ軍の戦闘機が遊び半分に機銃掃射してきて、走って逃げたとか、
自宅が空襲の際には、落ちて来た焼夷弾をバケツの水で消していましたが、屋根を突き破って天井裏で燃え広がって全焼した話
をよくしていました。
いずれは、アメリカ軍に空襲で殺されるか、徴兵されて戦場で殺されるかの将来しかなく、食べ物も無く、戦争反対などと言おうものなら非国民となじられるような、人生の中でどん底の暗い時代だったそうです。

今では、戦争を体験した親戚もほとんど亡くなり、話を聞く機会も無くなってしまいました。