ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

東武熊谷線、大泉町内未成区間を行く(前編)

2011-09-06 16:30:32 | 鉄道
先日の予告通り、戦時中に東武小泉線西小泉と省線(現JR)熊谷駅を結ぶべく建設された東武熊谷線。
(全線開通することなく、妻沼~熊谷のみ走ったので地元では妻沼線の方が通りが良いようです)
西小泉から熊谷に向かってその遺構、廃線跡がどのようになっているか巡って見ます。

まずは大泉町内、利根川の川砂利を運搬する貨物専用線として利用された区間の前編です。

【地図A地点】
東武小泉線の終着駅、西小泉駅前の様子です。

駅前を通る国道354号線の歩道橋から撮影。
現在、島式ホームに発着線2本の終着駅。
右側の1本は駅舎に遮られてますが、左側1本のホームは延長を意図したレイアウトです。
そして、現在は未使用ですが対面式ホームの跡があります。
スペース的には中線を含め2本程度レールが敷けるスペースが確保されていたようです。
国道を渡り、レールが伸びていた南側を見ると…

公園になっています。ちなみに、国道をまたぐ歩道橋から見た、西小泉駅前の風景。

南米系の労働者が多く居住するエリアで、写真右の商店はブラジル・ペルー・ボリビアの食料品を多数扱っています。

国道沿いの商店街は空洞化が進み、ブラジル人相手の中古車屋、教会(礼拝所)、タトゥーショップなどが多いです。
あまり書くと人種差別の問題もありますが、
残念ながら人口当たりの犯罪率は群馬県ワーストで、やはり駅周辺の治安はイマイチと言われています。

【地図B地点】
さて駅前の公園から、戦争中は中島飛行機の工場だった三洋電機東京製作所の敷地に沿って真っすぐ南下。

線路跡の緑道は彫刻の小道として整備されています。
残念ながら、究極までモータリゼーションが進んだ群馬県においては、ちょっとそこまでは全て自動車。
駅前の公園もそうですが、人影が少ないのが残念。

道路を渡ったところで右カーブ。西方向に向きを変えます。緑道はどこまでも続きます。

【地図C地点】
このあたりは、緑道とセットで町民体育館などが整備されています。
左カーブし、再び南に向きをかえます。

この緩やかなカーブこそ、かつてレールが引かれていた名残。
廃線跡マニアは、このような緩やかなカーブや、カーブ沿った不自然な家屋の並びなどに萌えるのです。

こうしてみると、大泉町内は完全に公園や緑道として活用され、線路だった名残はこの緩やかなカーブだけとい言った趣。
【後半に続く】