この正月少し前に知り合いからいただいていた「平井憲夫さんの講演」の記録を読みました。
平井憲夫氏は、20年間にわたり原発の新設や定期検査の配管工事の現場監督を勉めてきた人です。
1988年退社後、1990年「原発被爆労働者救済センター」を設立し、代表者として原発工事で被爆する労働者の救済にあったる。北陸電力志賀原発、東北電力女川原発、福島第2原発3号機など運転差し止め訴訟の原告や証人として活動されてきた人である。自身も被爆により体をむしばまれ1997年正月明けに亡くなられている。
自分で建設に関わりながら、それを訴訟するというのだから矛盾しているともいえるが、それだけに、現場の実際の様子がわかって、私は今までとは違った観点でも事実を知ることができて、戦慄を覚えた。
『1995年1月17日阪神大震災が起きて、国民の中から「原発も地震で壊れたりしないか」と不安の声が上がった.それに対し国や電力会社は、耐震設計を考えて固い地盤の上に建設されているから大丈夫、安全だと強調。しかし新幹線の線路や高速道路が横倒しになるとは、国民の誰1人として考えても見なかった。世間一般に原発や新幹線、高速道路などは官庁検査で、厳しい検査を受けていると思っわれている。』
平井氏は神戸に行ってみて、原発との共通点の多さに驚き考えさせられたと言います。
『新幹線の橋脚ぶのコンクリートの中には、型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は一見溶接してあるように見えても、溶接は溶け込み不良で溶接部が全部外れてしまていた』という。
なぜ、検査で見抜けなかったのか。検査の時ではおそい。なぜ防ぐことができなかったのか。
そう言えば、津波の防波堤も、壊れたものがほとんど。それは、中が土であったり、いしころであったりでかたまっていなくて、ただ周りがコンクリートの張りぼて状だったと言うことが、壊れたあとで解ったのと同じだ。
平井氏によると、あまりにも机上の設計ばかりに重点を置きすぎ、現場の施工、管理を怠ったからだ(これが直接の原因ではなくても)。
このあと原発の施工、管理について語られていく。
『日本の原発の設計は優秀で2重3重に多量防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと停まるように設計されている。しかし、これは設計までの段階だ。
原発にしても新幹線にしろ高速道路にしろ、設計は最高のの技量を持った職人が施工することが絶対条件で設計されている。(あたりまえだよね)でも、現場は作業車から検査官に至るもでほとんどが総素人なのが現実だというのです。だから、いつ大事故が起きても(起こしても)不思議ではない状態なのだ』と。
仮に自分の家を建てるとき、1級建築士によって設計してもらったとしても、それを作る大工や左官の腕が悪かったら雨漏りはするし、建具はあわなくなる。できあがるまで放っておくのではなくて、途中の様子をしっかり監督していないと、見た目はよくても後から問題続出するのと同じである。(自分の家を造るときも、業者任せでなくちょくちょく自分でも見に来て、解らないことや、おかしいと思うことは言わないといけないんだね。特に基礎の時。覆い隠される前)
その素人ぶりがわかっておそろしいのだ まじっすか!?
『一昔前(1970年代80年代前半のことだと思われる)には監督が若い人だとしても、現場に棒心と呼ばれる職人の経験を積んだ職人が班長として必ずいた。
職人は、自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていたし、事故の恐ろしさもよく知っていた。ところが現場に職人がいなくなった。』
そういえば家建てるのも簡単になって、熟練の技術なんていらないようになっているよね。それはそれで、2ばい4で早く建てられるという良さがあるのかも知れないけど。この前も、今は優れた精密器械もできているのに、昔の人のこの技術にはかなわなくて、修復が難しいと鶴仙峡の無限庵の見学で管理者が話していたなあ。
『素人を経験不問という形で募集している。
素人の人は何が不正工事やら、手抜きかも、全く知らないで作業している。
たとえば東京電力の福島原発で、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、一歩間違えば世界を巻き込むような大事故になったところだった。本人は針金を落としたことは知っていたがそれが、どれだけの大事故につながるかの認識は全くなかった。そういう意味では、老朽化した原発も危ないけれど、新しい原発も素人が作るのだから危ないのは同じ。』
『現場に職人がいなくなってから素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるよになった。(どこも同じだねえ。なんでもだけど、マニュアルにしていいところと悪いところがあるだろうにねえ。)マニュアル化というのは図面を見て造るのではなく、工場でsる程度作ってきたものを、番号を見てくみたてるだけ。つまり、積み木をしているのだ。そうすると自分が今何をしているのか、どれほど重要なことをしているのかが,全く解らないまま造っていることになる』
だから、事故や故障が頻繁に起こるようになった原因の一つだ。
頻繁に起こるとと平井氏は語るのだが、私たち否、私は事故があったのは少しは知っているが、それほどの大事故であったというようにとらえているものが少ないのは、なぜなのかと疑問に思った。原発を知らないということ、知らなくさせられていたということ、・・・・。読み進めるとさらなる恐ろしさと、自分の愚かさが解ってきた。