「ヒットラーの暗殺」という映画を見た。
ヒットラーは選挙によって選ばれた。
ヒットラーが大統領になった初めのうちはドイツ国内に共産主義者や自由主義者もいた。
ナチ党は大きくなるために勧誘や映画会を開いて
ドイツが素晴らしい ヒットラーの政策が素晴らしいという映画宣伝をしていた。
それまでの戦争の後遺症で不況下にあっただけに、
電気が明るくなったとか汽車が走った何々ができたという事に多くの国民が惹きつけられナチが浸透していった。
それと比例する様に、次第に取り締まりが増え 反対するものは拷問を受けたり強制労働に送りこまれた。
ユダヤ人が晒し者にされ、迫害を受けた。ユダヤ人と付き合っているという理由だけで晒し者にもなった。
その場を見ても誰も助けはしない。さしづめ、
自分の事ではないから、ユダヤ人の事だから自分には関係ない。
共産主義者の事だからまだいいや。
ナチに協力すれば、経済的に潤うから。、、、
等々と自分への影響を怖れて避ける。黙って見ているうちに独裁政治が出来上がり戦争へと駆り立てられていった。
そういう背景が、暗殺を計画した実行者がナチゲシュタポに捕まり、拷問を受ける様子とともに描かれていくのだ。
映画を見ていて、拷問の凄まじさに目を覆い身震いしながら、何だかそっくりだ、なんとよく似た状況だこと! と感じた。
そう感じませんか?
今日本でも、ヘイトスピーチに見られるような憎悪に満ちた言葉で、在日の人に対する攻撃や、
朝鮮学校へ通う子供たちに対して言葉の暴力はもとより石を投げるなどの嫌がらせがあると聞く。
また、自民党がNHKを呼びつけるとか、高市氏の発言のように報道に対して締め付けが見られると思う。
ここ何年か、政治的中立という言葉のもとに、
自分の考えを言わない関わらないと自主規制をしているのを感じる。
こんな状況は戦争へと作られて行ったときとそっくりなのではないかしら?
そう感じられてなりませんでした。
アベノミクスで経済が上向きになる、デフレ脱却、経済を活性化させる、威勢の良い言葉に期待してきた。
だが、確かに一部金持ち 大企業は利益を得た。景気の良い高価な品が買われているという報道もあった。
だから、経済効果に期待して安倍政権を支持してきた人も多い。
その一方で、小選挙区制という 選挙制度によって多数を占めた力ををもって
安全保障関連法や集団的自衛権、秘密保護法と戦争に関する法体制着々と進めている。
そればかりか、今は堂々と改憲を前面に打ち出してきた。
まず手始めに憲法に加えようとしている聞こえの良い緊急事態条項は、
ヒットラーが権力を集中するためにまず初めに行った改憲だった。
こんな流れを見てみると、
ヒットラーの独裁政治を生み出し、戦争へと突き進んで行ったその姿と、良く似ていると怖ろしさを感じた。
暮らしていくために経済は大事。
でもそれだけを切り離して考えたり、目をつぶってしまってはいけない。
いろいろなことに関心をもち、考え、声を出していけるようになっていかなくては・・・・・。自分に言い聞かせた。
ヒットラーの暗殺を計画したのは、町の元時計職人。見て見ぬ振りをしていた彼が、ひとり暗殺を計画した。
何とかしたくって行動したのは認めるが、暗殺という手段は、認められない。
ナチに対して怒りを感じたその人が、ナチヒットラーと同じレベルに落ちてしまう。
ヒットラーを産み出した責任は、ヒットラーだけにあるわけではない。
そのことが明らかにならなければ、又同じ事が繰り返されていくだけだからだ。