5年前の耳の手術の時は、手術の時間は今回の倍以上かかったにもかかわらず、術後の痛みも少なくて体の痛みも少なくて、、1週間で退院だったから何にも考えなかったけれど、今回は、いろんな事を考えたねえ~。
年寄りは病院へ遊びに来ているかのように言って、笑い話にしたり、医療費がかかりすぎると言って馬鹿にしたり邪魔にしたりしている。
腹が立つ。 だれが病気になりたいものか。
だれでも大なり小なり自然と体がそうなっていくのだよ。
母のことを思い出す。
ある日のこと、店で野菜を運んだり並べたり動き回っていた。突然ドバーン音がした、音の先を見ると、母が店の前の道路の真ん中に倒れていた。何事が起こったか信じられなかった。当の母が一番その気持ちが強かっただろう。
開け放たれた店の戸のわずか1cm二も満たないレールに躓いたのだ。ちゃんと足は上げたつもりだったけど・・・不思議そうにしながらも、仕事を再開した。その後何かおかしさを感じたのだろうか、医者で見てもらってきた。子どもの時に強く背中を打ったそのときの骨が、長年の年月をかけてずれてきたのだと言われたそうだ。それからガードルをはめ牽引してもらっていた。確かまだ40代だったと思う。しかし、いたいいたいと騒ぐでもなく、ガードルをはめると痛みが和らぐと、仕事を普通にこなしていた。本当は陰で苦痛に耐えていたのだろう。本当に我慢強い人だった。
60代になってからだろうか、手が震るい始めたのを覚えている。それでもこれまで通り、娘の家のことを心配して、いいというのに心配して手伝いに来てくれた。字が震るうのでうまくかけないと言いながら、手紙を書いていた。次第に震えが大きくなって、食べ物を食べるのにもよくこぼして困っていた。それでも、70代に入って仕事を辞めてからは、早朝にラジオ体操に出かけ、カラオケを楽しみ二サークルへ出かけていた。薬もいっぱい飲んでいた。民間療法でいいということは、色々試し健康に気をつけていた。朝の5時半にでラジオ体操にかけたその途中で母は交通事故にあいなくなった。家族の誰にも看取られることなく・・・・・。
がまんにがまんをしながらも、少しでも自分のことは自分でし、元気に過ごしたいから、医者に通っていたのじゃあないか。不安になるから薬ももらう。(もし、多すぎるならだめと病院側が言えばよい。(今はそういうことはないかな))
病院に行って顔見知りになれば、同じような立場だからこそ話もなごむのだろう。他につながるところがあり、元気だったら、そんなところで集まらない。
それなのに年配の先輩を邪魔者のように扱うなんて姥捨て山の制度のあった江戸時代と同じじゃあない。泣けてくるよ。GNPがどうのこうの、先進国だなんていっていても、年を重ねた人を邪魔者にする国って本質、江戸時代と同じじゃあないか。
母のことを思い出し尊敬と涙がこみ上げてくる。
老人医療で金がかかり、若者に借金を残すことになると言う。だが、金持ちは自分の金でやれるから何の不安も感じていないのかも知れないが、誰もが年を重ねていく.だからこそ。少しでも早く元気で楽しく過ごすことができる医療体制や福祉体制は国の柱憲法がいう主人公を守る大事なことではないか。若者達のためにこそ、今体制をとること(これって、働かせ肩、雇用の問題にも、いろんな事に関係するよね)重要ではないか。限りある金は何にこそ使うか。
社会保険の一体改革、改革?何が改革なものですか。江戸時代タイムスリップの精神じゃないかと思えてしまう。