里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

菩提寺の新住職継職奉告法要

2024年04月08日 | 暮らし

我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
こちらが通常の本堂。


こちらが会堂。


小生は準総代と言う役割を仰せつかっています。亡父の肩書きをそのまま引き継ぎすでに29年。
昨日、新住職の継職奉告法要なる催しに出席且つ設営スタッフとしてお手伝いに行ってきました。


正確には「第16世住職継職奉告」「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念」併修法要と言うもの。
平たく言えばメインは新住職のお披露目式と言ったところです。
新住職は副住職として30年近くの経験を積み、昨年6月には本山にて新住職の辞令を頂いています。
前住職も健在なのですが、85歳になるのを機に長男の副住職に住職位をお譲りになったものです。
すでに住職としての役目を果たされています。この度改めて賑々しく檀家に周知するものと言えるでしょうか。
そのための準備に何度か世話人会が催されました。
そして行事に必要な経費を檀家の皆さんから懇志として頂戴するのが世話人の大きな役目です。
正直なところこれがなかなかの負担です。幸い我が家周辺には難しい檀家はおりませんが、街場の世話人の中には苦労されている方もいるようです。
我々世話人は8時30分にお寺さんに集合、記念撮影をした後、準備を整えました。
本堂には当寺の親族はじめ県内外の来賓のお寺さんや檀徒総代等々。それぞれに役割があります。


我々一般檀徒も多くは本堂に参列しました。入りきれなかった方々は会堂です。
会堂では本堂の様子が映像に映し出されます。
10時に開式。


前住職の退任挨拶、縁戚に当たる山形県のお寺さんの御法話の後、継職法要の儀式。


さらに記念の雅楽演奏。
雅楽の演奏は12名で遠くは奈良県のお寺さんがおられました。雅楽は聞く機会が少ないのですが、風情があります。
最後に新住職の挨拶があり、12時半に閉式となりました。
参拝した檀家の皆さんには我々スタッフがお齋(弁当)と記念品を配布。
世話人は昼食の後、椅子などの後片付けをし、2時前には散会となりました。
記念品は祝酒とケース付き2連腕輪念珠。



出席しなかった檀家さんには世話人から記念品を配布することになります。
取り敢えずは一つの大きな行事が無事終わりました。

㊗一力遼棋聖3連覇、続いてNHK杯も優勝

2024年03月12日 | 暮らし

囲碁の一力遼棋聖が3月7、8日行われた第48期棋聖戦最終第7局を制して3連覇、続くEテレ3月10日放送の第71回 NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦でも優勝を果たしました。
これはヘボ碁をたしなむ小生としては、記録すべき歴史的慶事と言うべきもの。
本来なら昨日投稿するところでしたが、鎮魂の日なので控え本日となりました。
一力遼棋聖は本県出身であり、10代の頃から若手有望棋士ということで応援してきました。
すでに囲碁界最高位の棋聖を連覇しており、第一人者と言えますが、挑戦者に井山王座を迎え、その地位を堅持できるかどうかの正念場でした。
井山挑戦者は7冠を達成するなど長くトップの座に君臨してきており、一力棋聖もその壁に何度も跳ね返されています。
今回の棋聖戦は第4局が地元仙台で開催されましたが、残念ながら敗戦。最終戦までもつれ込む大激闘となりました。その最終戦も素人目にも大激戦。しかし中盤以降は着実にリードを広げたようです。難戦を制しての勝利ですから喜びもひとしおでしょう。
【第7局2日目】第48期棋聖戦挑戦手合七番勝負【一力遼棋聖-井山裕太王座】

一力棋聖は記者との二刀流でもあります。「二刀流の棋士 一力遼」の著書も出ており、もちろん小生も持っています。
実は一力棋聖は当県地方紙「河北新報」創業家の御曹司で、大学卒業後、同紙記者として活躍していることでも知られます。
何時も興味深々なのは同紙にどのように報道されるかです。棋聖戦の主催は読売新聞社で、河北新報社は地方数社で碁聖戦を共催しています。他社主催の棋戦は小さく報道されるのが普通ですが、何分にも同社記者で社主御曹司ですから他社主催でも大きく報道されるはず。
これが主催紙読売新聞の記事1面。

社会面。

河北新報は急遽コンビニで購入。その1面。


社会面。


さすがに棋譜こそ掲載されていないものの主催紙同等以上の扱いです。
続いてEテレ3月10日(日曜)放送の第71回 NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦では決勝で芝野名人と対決。
戦いに次ぐ戦いで両者早い段階で秒読みに追い込まれる難戦を制し見事優勝。棋聖戦3連覇に花を添えました。
NHK杯は4度目の優勝で早碁には抜群の強さを誇っています。
一力棋聖(3冠)は現在井山王座(2冠)、芝野名人(2冠)とタイトルを分け合っています。二人を続けて退けたことで一力棋聖(3冠)が第一人者としての力を証明したと言えそうです。
将棋界では藤井聡太8冠と言う大スターが誕生し盛り上がっていますが、囲碁界もあやかりたいところでしょう。
今後は国際棋戦での活躍に期待が高まります。かつて常勝を誇った日本も長く中国韓国の後塵を拝している状況が続いているので多くの人が頂点に立つ姿を見せてほしいと願っていると思います。
なお、小生は一力遼棋聖デビュー前から応援している棋士がおります。高尾紳路9段(元名人)です。
小生がgooブログを始めたのは高尾9段のブログを愛読していたからです。その昔は大竹英雄名誉碁聖(元名人)のファンでした。


小正月行事「鳥追い」と「団子刺し」

2024年01月15日 | 暮らし

当地方では1月14日から15日がいわゆる小正月です。
そして、14日夕方に行う正月行事が「鳥追い」。
1月14日までがいわゆる松の内でしめ縄や松飾りを下ろします。
一般的には、それを神社の境内や広場で行われる「どんと祭」で燃やすのが普通です。
一方、「鳥追い」とはその名の通り鳥を追い払う行事のこと。
農村では農作物が害鳥に荒らされないよう「鳥追い」をすることで豊作祈願をするのです。
もともと、我が家では下ろした松飾りを御神木と定めた杉の木にしめ縄で括り付け納めます。
その納めに行く時に、「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で繰り返し叫び、鳥を追い払うのです。
これがその御神木、実は2代目ですが括り付けるのが甚だ困難となりました。


脇のケヤキと大木同士がピタリとくっつきしめ縄が通せなくなってしまいました。まだ痕跡が残っています。
そこで昨年から山の神様に納めることにしました。
我が家では昔から前年の古いお札や飾りものは、大晦日に山の神様に納めるのが習わしです。
ですから、新年の松飾りを納めても何の問題もないと考えました。
これが下ろした松飾り。大した量でもなく納めるのは全て朽ち果て自然に帰るものだけです。


この山の神様に納めるのは今年2年目となります。


本当は納めに行く途中に「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で叫ばなければならないのですが。
さすがにこれは恥ずかしい。小声で唱え豊作祈願、家内安全、世の平穏を念じました。
そして、小正月のもう一つの習わしが「団子刺し」です。
小正月は女の正月とも言われます。「団子刺し」は、小正月らしい華やかさを感じさせる行事です。
「団子刺し」は、通称団子の木に団子を刺して飾り付けます。
これが団子の木。中央にすっと立っている木です。正式名はミズキ(水木)。

ミズキはこけしを作る材料として知られる重要な樹種です。
当県には弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系など著名なこけしの産地があります。
その重要な樹種も当地ではごく普通に団子の木と呼ばれます。
それほどに小正月の「団子刺し」は重要な行事だったと言えるでしょう。
ミズキは枝がなめらかでするっと伸びます。赤みを帯びた美しい肌をしており、枝先は団子が刺しやすい。


「団子刺し」は、昔から続く豊作や家内安全・家内繁栄を祈願する習わしです。
これは助っ人が作ってくれたもの。


ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、縁起物の飾りをぶら下げ、神棚や部屋に飾り付けます。


今はほんの形ばかりですが、昔々は大きなミズキに部屋中一杯団子の花になるほど飾ったものです。
幼少の頃、15日の夜明け前に囲炉裏に大きな鍋を掛け「暁(あかつき)団子」を食べたことを思い出します。
様々な正月行事も次第に姿を消し、昔の風習を知る人間も少なくなりました。


正月祈祷と元旦とろろに二日餅

2024年01月02日 | 暮らし

この度の能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
本県だけで1万人以上の犠牲者を出した東日本大震災の悪夢が蘇ります。
一日も早い普通の日常が戻ることを願うばかりです。
翻って、当地の今年の正月は穏やかです。
昔の正月は色々な習わしがありました。今は大分簡素化し、シンプルになったと思います。
第一の行事と言えば正月祈祷です。宮司からご祈祷を頂きます。
この宮司の神社は数集落の住民が氏子になっており、旧村時代のいわば氏神様といった位置づけです。
かつては我が家の正月祈祷は1月4、5日頃でした。
たまたま近隣に毎月一日に元日祈祷を行うお宅がありました。
そこで、我が家もお願いし正月祈祷を元旦にしてもらうことになったのです。
両親が亡くなった後、勤め人稼業の身としては有り難いことでした。
ご祈祷の前にはこのようにして待ちます。
お燈明、お清めの塩と水、そしてお初穂(ご祈祷料)をテーブルに準備しておきます。


お出でになったのはお昼近くでした。これがご祈祷後です。
正月祭のお札を置いて行かれます。このお札は神棚に奉ります。


食事の習わしもあります。おせち料理とは別物です。
昔から我が家では元旦に餅は食べず、とろろ飯です。
正月にとろろを食べる風習は多く、三日とろろはよく聞きます。
元旦は珍しいようですが、何故なのかは分りません。
神棚や仏壇にとろろ飯をお供えします。
これは形式的なもので、お供え用の皿で少量のご飯の上にとろろを僅か乗せたもの。


餅を食べるのは二日。
昔は、大きな臼で何臼もついたものですが、近年はいくらも食べなくなりました。
少量なので今は助っ人宅で纏めてついて貰うようになりました。
小振りのブロックにして貰い、それを我が家で切っています。


神棚や仏壇にも切り餅を焼いてお供えします。皿に少々乗せお供えするだけです。


かまどの神様にもお供えします。


なぜこのような習わしになったのか不明なのですが、近隣同じかと言えばそうでもありません。
助っ人宅では三が日とも餅を食べるのが習わしと言います。
現代では意味がないとも言える習わしですが、止めるのも意外に心に掛かるものです。
この後、馴染みの農機具店と農業資材店の初売りに顔出しするのが2日の恒例です。

新年の初めは鎮守様への元朝参りから

2024年01月01日 | 暮らし

新しい年を迎えました。明けましておめでとうございます。
当地、暖かい穏やかな元日となりました。
年末から気温が高く、年明け後も気温が高い予報が出ています。
ただ昨夜は少しだけ雨が降りました。雪でなく雨になることが珍しい。
小生、まずは鎮守様への元朝参りからスタートするのが恒例となりました。
初日の出を拝むよう神社の境内に7時過ぎに着くようにしています。
当県の日の出時間は7時前ですが、山から昇るので数分のタイムラグがあります。
もちろん初日の出が見られるのは天候に恵まれればの話しで、綺麗に見える確率は高くありません。
まずは鳥居の前で一礼。
小生が講中の代表を仰せつかっており、大晦日の午後にしめ縄を掛けました。
毎年、気になるのがしめ縄が無事かということです。
紙垂(しで)は小生の手作りしたもので甚だ弱く、三が日もってくれれば良しと思っています。
何度か破れた紙垂を付け替えたことがあります。今は破れても何もしないと決めています。
昨夜の雨でどうなることかと思いましたが、耐えたようです。


集落内の方は大半が元旦にお参りするので、取り敢えずは大丈夫でしょう。
過日掃除した石段も、あまり汚れていないので良かったです。


石段の途中に出羽三山の石碑があります。
大晦日にお幣束(へいそく)と御散供(おさご)を捧げお参りしました。
元旦にも御散供を捧げてお参りします。


これが夕べ作った御散供。米を包んだおひねりです。


大した手間でもないので続けていますが、今、御散供を捧げる方は多分いないでしょう。
他には山の神様、水の神様などにも御散供を捧げます。
止めたところでどうと言うこともありませんが、自身の精神安定のためのようなものです。
拝殿ではお賽銭を捧げ、二礼二拍手一礼でお参りします。


安寧な一年になることが一番ですが、自身のことも幾つか念じました。
こちらが本殿。


好天に恵まれれば、境内からご来光を拝むことが出来ます。
少し雲がありましたが、今年は見ることができたので良かったです。


元旦の午前中には宮司がお出でになり、正月のご祈祷があります。
その後は例年のごとく来客があります。


年越しに神棚と輪通しの飾り付け

2023年12月31日 | 暮らし

暖かい年越しとなりました。
年越しにやらなければならないことは多々あります。
昔は準備から始まって全てを大晦日に行うので大変でした。
父健在の頃には小生と手分けしてやっていましたが、それでも朝から遅くまでかかったものです。
早いもので父が亡くなって29回目の年越しとなります。
今は簡素化もしましたし、準備はできるだけ前日までに終えるようにしています。
まずは神棚の飾り付け。
古い飾り付けを外し、掃除をして新しい飾り付けに変えます。
お札も替えのきかないお札以外は全て取り外します。


これはお幣束(へいそく、御幣)。鯛のきりこもあります。


過日、我が家も氏子になっている神社の宮司がお出でになり、ご祈祷して置いて行かれたもの。
この宮司には鎮守様の宮司をお願いしており、同時に講中の一員にもなって頂いています。
これは神社庁から出されている通称お歳徳神(としとくじん)さん。


これを神棚に飾り付けます。
我が家の神棚では篠竹を使って仕掛けをします。昔からやられてきた習わしに則って飾り付けをします。
神棚中央にはお札を奉ります。
真ん中にお伊勢様のお札とお幣束、右に鎮守様、氏神様のお札、左に崇敬する神様などのお札。


神棚右側に恵比寿様などのお歳徳神さん。ここに鯛のきりこも飾り付けます。


神棚左側に大黒様。両側にはお幣束。


台所にある小さな神棚には五穀豊穣の神様とかまどの神様、そして火伏せのお札を重ねて奉ります。


次は輪通しの飾り付け。
神棚の前は松の枝に輪通しを掛けて奉ります。


玄関。


近隣でも大概のお宅は市販の綺麗なしめ飾りをしており、手作りの輪通しを飾っているのは我が家くらいでしょう。
そして作業場。そのほかトラクター、管理機、車は輪通しのみ。


次は床の間。


掛け軸は天照皇大神の掛軸。
生け花は、庭の紅白の梅と南天のみで生けます。
花器は父が太い孟宗竹の根元で自作したもの。
父が生前生けていたので小生が引き継ぎました。全くの自己流です。
鏡餅は数年前に自前のものから市販の小さなパッケージものに変えました。
古いお札やお飾りは、小さな祠の山の神様に納めるのが習わし。


お幣束と御散供(おさご)を捧げてお参りします。御散供とは米が入っているおひねりのことです。
例年のごとく、ここまででお昼となりました。
午後は、鎮守様の鳥居にしめ縄を掛け、お参りします。
その後、水の神様など数カ所にもお幣束と御散供を捧げてお参りします。
今は日差しもありますが、夕方から雨の予報も出ているので少し心配です。
なお、現在当ブログは主に前日のことを翌朝に記事にしています。
しかし、これだと正月行事は多少の違和感があり、大晦日と元旦くらいは当日の投稿とします。


年越しのための輪通しとしめ縄

2023年12月30日 | 暮らし

年越しのための輪通しとしめ縄を作りました。
昔、年越しの神事は大晦日に早朝から取りかかり飾り付けまでの全てをやるものとされていました。
父が亡くなってからは準備はできるだけ事前にやるようになり、簡素化したものもあります。
まずは若干手間の掛かる輪通し。
輪通しは、しめ縄を簡素化したものとされています。今、近隣で手作りしているお宅はないと思います。
父の作っていたものの真似で、改まって教わったわけではありません。
3本の藁を1回継ぎ足して綯い、このような輪を作ります。



この輪に五葉松、昆布そして干し柿の3種を挟み込みます。


五葉松は御用待つ昆布は喜こんぶだと思いますが、干し柿は分りません。
この時期我が家の重要な1品だったことから豊作祈願の印にしたのかもしれません。
そう言えば、正月に干し柿はかき入れるで商売では縁起が良いとテレビで報じていたのを思い出しました。
五葉松、昆布、干し柿を挟む位置は定めてはいません。
下げる紙を作ります。しめ縄に付ける紙垂(しで)を簡素化したものと思います。
昔は障子紙を切っていましたが、今は普通のA4版用紙を使っています。
1/4に切ります。


このように切り込みを入れます。


これが出来あがり。


これを6つ作ります。


この輪通しを大晦日に主要な所に飾ります。
次にしめ縄。
鎮守の神社の鳥居に付けるものです。これは講中代表をしている小生の役割です。
以前は、自分で綯っていました。
それが、祭典に用いる縄を購入することになったことから、合わせて年越しの縄も同じものに変えました。
縄綯いが下手なので、これは有り難かった。
安い細縄ですが、祭典用の手綯い風左より縄と言うもの。
小正月には取り外すのでそんなに立派なものでなくて良いのです
縄に下げる紙垂(しで)は5枚作ります。
以前はやはり障子紙を切っていましたが、今は普通のA4版用紙を半分に切ったものを用います。
宮司がA4版用紙を使っていると聞いたので、そうしています。これもずっと楽になりました。


これを二つ折りにし、このように切ります。


これを織り込み。


出来上り。


切り込みの幅と深さを調整すると趣が少し異なったものが出来ます。
これを5枚作り、縄に挟み込めばしめ縄の出来上がりです。


このしめ縄を大晦日に神社の鳥居に取り付けます。

年越しを前に鎮守の神社を清掃する

2023年12月27日 | 暮らし
年越しが迫ってきました。
当集落には小さな鎮守の神社があります。
小生が講中の代表を仰せつかっているのです。
年末の恒例行事となった清掃を行いました。黙々と一人作業です。
コロナ禍で祭典を中止したり直会を取りやめたりしていましたが、今年秋の祭典は本来の姿で挙行しました。
秋の祭典の時に世話人と当番者で境内の清掃はしています。しかし、その後の汚れが酷い。
とりわけ参道の石段です。


参道両側に立っている杉の木などから沢山の枯れ葉が落ちるのです。
この時期、強風が吹くことが多く半端な量ではありません。


中段脇の杉の木は腐れが入り何本か伐採しましたが、それでもこの量です。


年末年始に向け放置は出来ません。
この時期早朝の作業というわけにもいかず、日程の調整が煩わしいので一人でやることにしています。
それでも、石段を何度も上り下りしながら作業しなければならないので容易ではありません。
支障ない程度に綺麗になれば良しとします。
参道登り口付近。このくらいになれば問題ないでしょう。


落ち葉の甚だしかった中段も十分綺麗になりました。


もっとも、作業している間にも落ち葉は飛んできます。
この程度で最難関の石段は終りにします。


石段の途中にある出羽三山の石碑の周りも綺麗にしました。


拝殿周りは大きな汚れはなく、箒で掃いた程度で終わりました。


本殿周りも大したことがありませんでした。


数年前、懸案だった境内周囲にあった樅の大木を伐採したので良くなりました。
その前は枯れ枝なども落ち大変でした。屋根に上がって取り除いたこともあります。
拝殿の中も掃除。


少々伸びていた鳥居周辺の雑木も伐採し、片付けました。


伐採作業中にバラのトゲが刺さり痛い目に遭いました。
朝から取りかかり遅いお昼となりました。穏やかな日だったのは幸い。
正月まで若干日がありますが、この後の多少の落ち葉は勘弁願います。
この次は、大晦日に鳥居のしめ縄を取り付けるのが小生の役割です。

鎮守の神社秋の祭典は本来の姿で挙行

2023年10月23日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の秋の祭典を挙行しました。
旗揚げから直会まで全てを本来の姿で行うのは4年ぶりになります。
コロナ禍で春秋3回の祭典は完全に中止に。
昨年秋の祭典は行いましたが、旗揚げや直会は行いませんでした。
今年の春の祭典も同様です。
集落だけの小さな講中ながら、本社から御分霊を受け120年余り。
小生が講中の代表を仰せつかっています。
いわゆる代参講と言って、本来は代表者が本社に参拝し祈祷を受けます。
現在、代参は年1回春だけになりました。
講中については、いずれ機会を見つけ記したいと思っています。
秋は郵便祈祷という制度を使い、小生が手続きをして講中のお札を送って頂きます。
まず、早朝に世話人と当番者が集まり、境内の清掃を行います。


清掃で一番大変なのは石段。
綺麗になりました。


本殿を開帳。拝殿も清掃し、拝殿にはゴザを敷きご祈祷に備えます。
この後は旗揚げ。


これまで密な作業になると言うので自粛していました。
鳥居のしめ縄は縄だけを付け、紙垂(しで)は宮司が用意してきます。


ご祈祷の前にお供え物などを準備します。
米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸をお供えします。


宮司が来られてから正式に配置し直します。
自家製の野菜は今年初めてブロッコリーにしました。甘柿も供えました。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


小生が代表してサカキを奉納。全員で二礼二拍手一礼で拝礼。
本来なら代表するのは代参人です。
慣例では御神酒の回し飲みをするのですが、さすがにそれはなしに。
この後は集会所に移動し直会です。
直会の準備は本来代参人が行うことになっています。今回は小生を含め3人の世話人で行いました。
直会の際に改めて来年春には代参を行う事を申し合わせました。
夕方には当番になっている小生の班が旗降ろしを行い、一連の祭典行事は終了です。


4年ぶりに旧交を温める

2023年09月28日 | 暮らし

昨日、かつての勤め人時代のOB達が集まりました。
あいにくの雨降りでしたが、18名ほどの参加がありました。
少数ながら気心の知れた方々ばかりです。
OB会は県レベルで組織されており、その下に支部があります。
その支部の総会でした。前回開催が2019年ですから実に4年ぶりです。
前回開催時まで小生が3年の任期で支部長を仰せつかっていました。
その後新しい支部長にバトンタッチしました。
ところが翌年からコロナ禍で3年間開催されず、ようやく今回開催の運びになったという訳です。
ここは、宮城県大河原町にある「おおがわら天然温泉いい湯」と言うところ。


市街地からはかなり離れたところにあり、送迎バスが利用できます。
小生が支部長時にも一度ここで催したことがあります。
源泉掛け流しの日帰り温泉で食事もでき、メニューも豊富。
「もちぶた館」が併設されています。


ここでは精肉や加工品、農産物が直売されています。


ここ3年の間には会員で鬼籍に入られた方もおられます。
総会の前に、亡くなられた方に黙祷を捧げ哀悼の意を表しました。
総会では現支部長からもう1年延長して引き受けると申し出があり、有り難くお願いすることになりました。
若干の相談事と情報交換をし、記念撮影。
後は、ゆっくりと懇親会。
そもそもここは祖業が養豚業。現在もメインが養豚業の株式会社です。
直営農場で育てたブランド「もち豚」を使ったメニューが特に美味しい。


4000円の飲み放題コースだそうで、サービスでデザートも付きました。十分にいただき満足です。
近況を報告し合いながら和やかに過ごし、散会となりました。


お盆の習わしも変わる

2023年08月14日 | 暮らし

当地方のお盆はいわゆる月遅れ盆で、8月13日から16日までが一般的です。
記憶も定かでなくなっていますが、昔のお盆は手間隙が掛かっていたことは確かです。
我が家でも、昔は盆棚を作り盆提灯を沢山ぶら下げたものでした。
盆棚は精霊馬等の飾りものはしないものの結構大きな棚を作っていました。仏壇自体が古かったこともあります。
早いもので今年は母の二十三回忌。父はその6年前に亡くなっています。
両親健在のうちにすでに盆棚を作ることはなくなっていたはずです。ただ盆提灯は数個下げていました。
今でも盆提灯は飾り、昨夜は灯りを灯しました。


当地方では、昔から、親戚間で初盆に盆提灯を贈る風習があります。
我が家でも両親が亡くなった際にいくつか頂きました。
時代の変遷とともに住宅事情等も変わり、逆の立場では御提灯代として現金を贈っています。
我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
父の後をそのまま引き継ぐ形で世話人を仰せつかって大分経ちます。
しかし、勤め人稼業と野良仕事の二足のわらじを履き続けた身には深く考える余裕はありませんでした。
仏事のことを多少考えるようになったのは勤め人稼業から解放された後です。
親鸞聖人の名言「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。
浄土真宗は往生即成仏の教えで、故人が霊になるという概念がないのです。
したがって、お盆に先祖の霊が帰ってくるということもないので迎え火は焚きません。
故人が成仏できるようにと行う追善供養と言う形はなく、卒塔婆を立てることもありません。
当集落には共同墓地があり、三つの宗派が混在しています。
浄土真宗の墓地には卒塔婆立てがないので見るとすぐ分かります。
しかるにお盆に盆棚はもちろん提灯を飾ることもないはずなのですが。
地域や親戚でも宗派は様々、宗派を越えて一般的な習わしが自然に出来るのは当然なのかもしれません。
菩提寺のこれまでのご住職は習わしを尊重し、浄土真宗ではどうのと言うようなことは仰らなかったのでしょう。
我が家では昔から迎え火は焚きませんが、盆提灯を灯すのが迎え火の代わりかと思っていました。
しかし、それも勘違いでした。
今は昔のような下げるタイプの盆提灯ではなく立て型の盆提灯を二つ用意します。


また、盆棚は作りませんが、ご飯、お萩、菓子などをお供えします。
墓参りは14日にするのが習わしでしたが、年々拘らないお宅が多くなりました。
我が家も今年は13日にお参りしました。


昔は別に古い墓地があり、そちらにもお参りしました。それを父の一周忌に合わせここに寄せたのです。


古いものでは天明や嘉永年間の墓石が確認できます。
昔は、墓参りの際、沢山の花竹を準備しお参りするのが習わしでした。
これは大変な負担で、そのような環境でもなくなったことから、大分前になくなりました。
また、餅やお菓子などを相互に上げ合うことも習わしの一つでした。
しかし、鳥獣の餌になるので、今は自宅の墓も含め全て片付けることを申し合わせています。
ただ、外部者には分らないと見え、菓子のみならず酒、ビールなどが依然上げられています。
気持ちは分りますが、時代が変われば習わしも変わるものです。


菩提寺で世話人会

2023年07月03日 | 暮らし

我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
世話人会があり、出席しました。
小生が準総代と言う亡父の肩書きをそのまま引き継ぎ、すでに28年の歳月が流れました。
当時、世話人の中では小生が一番の若輩でした。今は中ほどくらいでしょうか。
世話人会は年1回開催される檀徒代表の総会のようなものです。
同様の会は各お寺さんにありますが、会の呼び名は様々あるようです。
ここ3年ほどコロナ禍によって会の設営も以前とは大分違ったものになっていました。
コロナ禍前は、本堂で全員揃いお経を唱和し、その後会堂に移動して協議でした。
今年も、本堂と会堂に分かれマイクを通しての世話人会となりました。
正面が本堂。


こちらが会堂。


こちらは聖徳太子殿。


本堂内。


今年も全員でのお経の唱和はなく、ご住職の読経だけでした。
協議の内容は昨年度と今年度の行事や決算、予算などです。
昨年は地震の被害による改修工事の相談がありましたが、今年は比較的平穏。
今年度から新たに就任したご住職の披露を兼ねた法要の案件がありました。
これが世話人にとってはなかなか大変。
昨年すでに報告があったことで、前住職が85歳と高齢になられたことを機にご長男が継承し、同寺16世住職位となられました。
披露の法要は来春ですが、少々大がかりで、一言で言うと檀家さんに説明しお金集めをしないといけません。
また、協議終了後には檀家さん宛ての年会費徴収用のカップが配布されます。
当寺では維持費と言う名目です。この維持費徴収が世話人の一番の役目。
この世知辛い世の中、喜んでお金を出すような人間はそういません。
且つ世話人は一般檀徒より維持費が高く、準総代、総代とさらに高くなります。
本音は有り難くない役回りですが、これもささやかな地域奉仕と思い続けています。
これは境内にあるザクロの木。


我が家のザクロよりは大分若い。しかし、花は我が家のザクロよりはるかに多く、実も留まっていました。


鎮守の神社春の祭典を挙行するも・・・

2023年05月01日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の春の祭典を挙行しました。
小生が講中の代表を仰せつかっています。
しかしながら、少々想定外のものとなりました。
本来は、春の祭典に合わせ当番に当たっている代参人が本社で祈祷を受け御神符(お札)を頂いてくるのが習わしです。
2019年春に代参して以来、ここ3年間はコロナ禍のため代参を見合わせていました。
また、直会も2019年秋以来控えています。
今年は諸般の状況を鑑み通常通り祭典を挙行しようと考えていたところでした。
ところが、代参人からコロナがまだ収まっていないので代参はしないと申し出があったのです。
世話人で協議した結果、やむなしと判断せざるを得ませんでした。
何と言っても当講中では代参人第一なのです。
結局、昨年秋のようなやり方で執り行うこととなりました。
代参に代わるものとして郵便祈祷という制度があるので、それを利用します。
小生が手続きをして、このような講中お札と講員に配るお札を送って頂きました。


まず当日は早朝に世話人と当番者が集まり、境内を清掃することから始めます。


最も汚れているのが石段。


小雨模様でしたが、これで綺麗になりました。


ご祈祷に備え本殿を開帳。


拝殿も清掃し、ゴザを敷きます。


旗揚げはせず今回もしめ縄だけとなりました。
ご祈祷の前にお供え物などの準備をします。これは小生の役割です。
米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸をお供えします。
自家製の野菜は春キャベツをお供えしました。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


小生が代表して玉串を奉奠。全員合わせて二礼二拍手一礼で拝礼。
この後、御神酒の回し飲みをするのが慣例ながら、これは無理。
代参を中止したので直会も自粛。せめてもと、摘まみを配り御神酒をそれぞれ紙コップに注いで頂きました。
その後、御神符(お札)を各自に配り、散会となりました。
今回は本来の姿でと考えていただけに残念ではあります。
講中や代参については、機会を見て詳しく記さねばと思っているところです。




彼岸の入りに雪

2023年03月19日 | 暮らし

彼岸の入りに雪となりました。
暖かい日が続いていただけに少々の驚きです。前日より日中の気温が10度以上も下がりました。
この程度の雪は珍しいことではありませんが、緊張感はあります。
昨日午後、ピーク時頃の庭。


雪の花となりました。
すぐ傍の竹のしのりが凄い。


この時期特有の重い雪です。
我が家のすぐ前の幹線道路はこんな状況。


水分が非常に多いためベジャベジャのシャーベット状態です。
もっと気温が低ければかなりの積雪になっていたでしょう。
畑の寒玉キャベツ。


今年二度目の雪中甘藍と言ったら大袈裟でしょうか。
春キャベツも雪中です。


当地方、気圧配置が西高東低の厳寒期よりそれが崩れた時が怖い。
特に春雪は重さが半端でなくこれまで何度も苦労させられてきました。
古いハウスが数棟あると気が休まらないものです。
3月末から4月になってからも大雪に見舞われたことがあり、まだまだ油断できません。



小正月行事「団子刺し」

2023年01月15日 | 暮らし

当地方では1月14日から15日がいわゆる小正月。
小正月には団子刺しをするのが習わしです。
小正月は女の正月とも言われますが、団子刺しは、その名にふさわしい華やかな行事と言えるでしょう。
団子刺しは、団子の木に団子を刺して飾り付けます。


これが団子の木。見にくいですが、一番手前の木です。


正式名はミズキ(水木)。当地では誰もが団子の木と言います。
当県にはこけし作りで有名な所が数カ所あり、弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系などその地名の付いたこけし名で呼ばれます。
そのこけしを作る材料として用いられるのがミズキで、重要な樹種なのです。
それを団子の木と言うくらいですから、小正月の団子刺しは大きな行事だったのです。
ミズキは枝がなめらかですんなりと伸びます。


肌は赤みを帯び美しい。枝先は団子が刺しやすい形状で、木全体がバランスのとれた扱いやすい姿をしています。このような樹種はほかに見当たりません。


一昨日、保育園児達が団子刺しを体験する姿がニュースで流れていました。
当地では昔から続く豊作や家内安全・家内繁栄を祈願する風習なのです。
ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、鯛や宝船などの飾り物をぶら下げ、神棚や部屋に飾り付けます。

これは大黒様のようです。


小生が幼少の頃は大きなミズキに沢山の団子を刺し、部屋中一杯になるほど飾ったものでした。
今はほんの形ばかりと言ったところですが、近隣で実際にやるお宅は見かけなくなりました。
実は、我が家も助っ人が我が家の分まで作ってきてくれるので、有り難く御相伴に与っている次第。


ミズキだけは我が家の山に沢山あります。
もっとも、昔、大きな木に団子を数え切れないくらい刺したのから見ればささやかなものです。
昔と言えば、15日の夜明け前に「暁(あかつき)団子」を食べたのを思い出します。
囲炉裏に大きな鍋を掛け、薄い小豆粥の中に団子が入ったようなものでした。未明に起こされた幼少の身には眠いだけ。今となっては朧気にしか憶えていません。小正月の様々な行事も次第に姿を消してきたのが現実です。