ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

話し方

2011-02-26 | 自己啓発日記

私が住んでいる土地の人は独特な話し方をする。

聞いていない返事をする。

例えば「砂糖はありますか?」と聞くと「塩ならあるけどね」と応えるような風だ。

誰も塩の話なんてしていない。

だけど「ありません」と言いにくいんだ。

ダメなことをダメだと言いにくい。嫌なことを断るのが苦手。

それは相手を気遣っているつもりからかもしれない。

 

私は嫌いな人は嫌いですと表に出てしまう。人を嫌いになるまでには相当我慢しているけれど、リミッターを超えたときの私は自分でもコントロールできないほどになる。

で、関わらなくする。

立ち直れないほど言い返すのがわかっているからだ。

母によく言われる。「お前は言えないことをあっさりと言ってしまう。みんなそんな風に生きがなれば楽だろうけど大体は我慢しているんだ」

 

ただ頼って来た人には別格で、突っぱねられない。

その人がどんな気持ちで自分の時間を削って私のところまでたどり着いたのか思うと突っぱねられない。

結局ずけずけと強気な口ぶりで言ってしまうわりには余計なことを背負っていることがよくある。

 

気の弱い人はよく私の口を借りて自分の意志を伝えて欲しいと頼んでくる。

 

断るから美徳ではないけど引き受け過ぎるのも無責任だ。

 

最近そんなことを思う。

 

私は自分が悪者になればいいと思うこともよくある。

 

最近、ある女性が実のお母さんに「私のことはかまうな」と言われて悩んでいて、お母さんは病気で彼女は心配でたまらないと言った。

お母さんという人は私に「人を病人扱いにして。どうせ誰だって死ぬのだから。」と言った。

私はその人に「どうせ死ぬのだと思うならなおさら看病させてあげたって良いじゃないですか。死んで悲しいのは彼女ですよ。ああしていれば良かったと後悔するから悲しみは大きくなるんです。お墓に入ったって親なんです。子供の人生に悔いを残させるようなことを自分からしたいのですか。思いやりで突き放しているつもりでしょうが、もしも娘さんが病気なら看病させて欲しくないですか?」と言った。

自分が末期癌だと知っているそのお母さんは、そばにいればこそ悲しいだろうと思っていたと言った。

 

私は癌だと診断されたことがあった。

 

だからわかる。誰にも心配かけずにとか「立つ鳥跡を濁さず」みたいなことを。

 

だけど息子がそうだったらどうしよう。

「お母さん凄く楽しかった」と生きて欲しい。

キラキラと生きて欲しい。

 

私は自分が癌だと診断されたとき、どんな気持ちだったか話しながらその人に「私の方が先に逝ってしまうかもしれない。明日意気なり車にはねられたりして。ただ寿命を知ったとたんに人はたくさんのことを考えてしまいますね。」というと「あなたお母さんに自分の病気のことを話さなかったの?」と聞かれ母にだけは最後まで言わなかったことをいうと「親不孝者ね」と言った。

その後に「本当に強い人ね」とまた言った。

 

今ではもう元気になって好き勝手に生きている私だけど、母はそのときのことをまだ不満に思っている。

自分だけが知らなかったことを。

あれから私はまたチャンスをもらえているんだという気持ちになったから、それまで以上にものをはっきり言うようになった。

でも思いやりが前提で言い分を言うようにしようとも思っている。

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いりこもち

2011-02-24 | 雑談
いこもっじゃっど
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ありがとうね~

2011-02-24 | 私の愛する仲間たち

昨日、ニュージーランドのオークランドに住んでいる友達が 普通にメールしてきたので「あれ?あなたって全然地震の影響受けないの?仕事とか大丈夫?」と返事を書くと、北部でずいぶん離れているし無事だと言うことだった。

それより宮崎が噴火したニュースを見て私を心配していた。

そうか、新燃岳はニュージーランドでも放送されたのか。

うちからどれほど近いのか彼女は知っている。

「こっちは夏だから8時くらいになってやっと夕方なの。そっちは梅が咲く頃よね」と言っていた。

梅が咲いている頃なのに、梅が目にとまらないほど灰が目立つ。

 

彼女はアロマセラピストでずいぶん昔からいろんなことをしている。

私より5歳くらい年上で、子供を育てながらいろいろ教えてくれる。

あこがれの女性だ。

 

私はそのうち彼女ところで修行したいと本気で思っている。

私自身はアロマセラピーに興味を持ったのはまだ20代の前半頃で、その当時は今のように教えてくれるような環境がなかった。

それでもお香とアロマポットを気に入って、よく使っていた。

親友が同じ趣味を持ってくれて、二人でそんなお店がしたいねと話をしたこともあったけど、彼女が福岡へ行って、それは夢でとどまっている。

私はニュージーランドの彼女からずっといろいろ教えてもらった。

子供がお腹にできた頃から特に勉強し始めた。

珈琲が大好きだったけど、それに変わるものを探していたことが発端でそれまで以上にのめり込んだ。

 

そのうち私は産後の肥立ちが良くない上に子供が敏感肌だったことでその研究は進みまくった。

 

とうとう喘息持ちであることもわかったことでそれは漢方薬にまで進んだ。

 

小児喘息用の漢方薬と、アロマセラピーのお風呂やお茶とリフレクソロジーを組み合わせて息子は喘息の発作をほとんど出さなくなった。

 

その頃ニュージーランドで大きな企業にタイアップされてオーナーになった彼女からいろいろ教えてもらった。

 

私は小さい頃の病気の後遺症が残って、循環器系の症状を出しやすい。

先々週、彼女がそれに良いハーブティーを送ってくれた。

まだ飲んでないけどついでに手作り化粧水のレシピもくれたので、材料だけは家に揃っていたから作ることにした。

 

昨日、神棚に向かって相談事をした。あまりしないのに相談事をした。

 

夢を見た

 

「近くても良いから旅をしなさい。新しい発見と力をもらえます」

 

とペラペラしゃべる赤ちゃんの姿をしていた。

 

 

ということで早速プランを立てた。

多すぎて1日では回れないと思った。

でも暖かくなったし、良い場所ばっかりだし、絶対良いことがあるような気がする。

なんかいろいろいつもありがとう。

コメント (2)
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Tさん

2011-02-23 | 私の愛する仲間たち

昼休みに昔から知り合いの友人から電話が来た。

彼女は私より一回りほど年上で、昔は凄い切れ者で近寄りがたいような女性だった。

去年久しぶりに再会して、同一人物だとわからないほど穏やかな人になっていた。

私を見て「ねえちょっと抱きしめさせて」と行ったかと思うと涙を目にためて笑いながら抱きついてきた。

彼女は心臓の施術をして生還した後だった。

私は彼女とたまに電話で話すようになった。

 

彼女は独特な雰囲気を持っていて、てっきり何か得体の知れないものでもやっているんじゃないかとか疑いたくなったくらい目に見えないものを信じる人になっていた。

今日の電話ですっかり謎が解けた。

 

彼女は倫理研究所で勉強をしている人だった。

私も離婚した後しばらくお世話になったことがあるので、それがどういう風にまともな団体なのかは知っていた。

戦後から今まで、子供を育てると言うこと、家庭をもつということ、嫁という立場や妻の立場など現実の生活を上手に生きるために前向きで「倫理観」ということを大事にしている人たちがたくさんいる。

彼女がとてもまっすぐで、誰にでも感謝して、他人事のない観音様のようでいる意味がなんとなくわかった。

もちろんそこに行くからいいというわけではない。受け止める受け皿を彼女が元々持っていたことが重要だ。

彼女が「ご先祖や両親や旦那をないがしろにするような自分のことしか考えない女性がたくさんいて、そういう人は結局すべてから孤立してその人が生み出すすべてのことがらにパワーをもらえない。もちろん子供を産んだとしても力になってもらえない。そう言う法則があるの。鏡なの。自分は良くてもまわりに来るの。それでもわがままに生きていける人は、誰のことも愛していないの。自分だけが好きなのよ」

そう言った。

 

そう言えば私がどうしてお墓参りをするのか。どうして母を食事に誘うのか。一つ一つ思うとそこには必ず息子が出てくる。「私のことはいいから、息子を頼みます」という気持ちがある。

私のためじゃない。守るものがあるからまわりのことも守ろうとする。

彼女が電話着るときに「あなたに電話する前よりずっと元気なっちゃった。話できて良かったありがとう」と言われた。

実のお母さんが大きな病気で、自分を受け止められずに悩んでいたようで、倫理研究所へ助けを求めたと言った。

私も離婚した頃、あそこの人が「ねえあなた、旦那さんは変わらないの。相手はぜったいにかわらないのよ。それなのに、変わらないものだと思わずに腹を立てていたんでしょ。あなたが変わる方がずっと手っ取り早かったのに。あなたは自分が変わろうと思いもしないのにどうして相手のことばかり悪く思うの」

目から鱗だった。

そうだ。私も悪かったんだ。私があんな夫にしてしまったのかもしれない。

そう思った。

あれからの後からもう4年は行っていない。

でも心の中にあの言葉はずっと残っている。

相手は変わらないって覚えている。

自分を変えてまで貫くか、新しく仕切り直すかなんだと思っている。

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釣れんかったけどさ

2011-02-23 | 釣り

息子は大はしゃぎ。 結果オーライや

 

 

こいつもお腹いっぱいになって喜んだ。

 

やっぱり結果オーライや

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