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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸奥州街道・盛岡道歩き旅 プロローグ

2022年05月11日 | 江戸・奥州街道歩き旅(盛岡道)仙台ー一関ー盛岡)
5月11日(水)17/25℃ 
奥州街道 盛岡道 歩き旅
プロローグ

<江戸歴史街道歩き旅>  も先月  東北の仙台宿に着き、明後日から奥州街道・盛岡道へ入る。

写真は先月歩いた仙台・伊達家霊室の一部 以下同じ


 奥州街道は江戸日本橋から白河宿(福島県)までが江戸幕府の道中奉行直轄の奥州道中だが、白河宿から以北は街道も仙台藩、南部藩などによって整備され、青森宿または三厩宿を起点地とした。 

 古代には陸奥国(青森、岩手、宮城、福島、秋田の一部を含む)の広大な国であり、ヤマト朝廷が定めた東国、東山道の更に奥の国だった。 
その東北・平泉に奥州藤原氏が都を築いたのは平安時代の後期とか。 栄華を極めた中尊寺・金色堂を見るのも楽しみだ。



 また一関、平泉、前沢、花巻と街道が走る岩手県は古代、この地に住むエミシ(蝦夷)が朝廷と争った地であり、延暦21年(802年)朝廷が勝利した後は12世紀には奥羽の覇者となったのが藤原清衡で、その後三代に渡り栄華を極めた。

 文治5年(1189年)源頼朝に滅ぼされ、これを以て独自の歴史を刻んできたみちのくの独立国は名実ともに日本国の一部になった。 
芭蕉の句を噛み締めたい。



 幕末の慶應4年(1868年)、京都の鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争では奥州街道を官軍が北上、この街道は再び戦の道となった。

 官軍によって賊軍とされた会津藩や南部藩等は、奥羽越列藩同盟を組織して対抗したが降伏した。 その悲劇の墓碑は各地でこれからも見ることになるだろう。



 また花巻には農村改革の為に奔走し、独自の宇宙観を描いた詩人・宮沢賢治の故郷を訪ねる かつて賢治の書物を読み親しんだが、その地を肌で感じてみたい

  今回は仙台から盛岡宿・盛岡城址までを歩くが、次の行程上  出来れば 奥州街道・松前道の一戸宿、二戸・福岡宿まで足を延ばせればと思っている。 

 また調べると、このコロナ禍で廃業、閉鎖中の旅館や民宿が多くあり、山間部や過疎地帯で宿泊場がないとなると野宿もできず、一部街道コースを変更するかもしれず、現地で判断したい。

 今まで歩いてきた時期は殆どが冬場の11月~3月だったが、今回 5月、次いで6月は初めてで梅雨の季節でもあり、気候による体調の対応や変化が気になる。
 
 自分の体が夏場に弱いからだが、担ぐリュックサックをできる限り軽くし、軽装でかつ安全に歩けるように配慮し、先月のように一日30㎞~40㎞と歩くのは控え、距離を短くして完歩を目指したい。

<喜寿の青春賦>  と自由にあるがままに自分らしくと気ままに歩き旅を続けているが、奥州街道・起点地の青森・三厩宿から終着地の江戸期・最北の蝦夷地(北海道)松前藩・松前城跡まではまだ遠い道のりが続くので気を引き締める 




  自分のみならず、まだまだコロナ禍でもあり、人様にご迷惑をお掛けしないように自分なりに万全を尽くして対策をし、安全安心な歩き旅にしたいと思う。


コメント (4)
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