慶喜

心意気
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「東條英機」「東條の性格」「日本国敗戦」

2024年03月13日 | 歴史
🌸太平洋戦争を始めた東條英機

東條英機開戦時の首相として罪を問われる
 ☆極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が行われた
 *「A級戦犯」として逮捕された28人
 *世界11力国の代表によって罪を裁かれた
 *裁判の結果、7人に絞首刑
 *残りの者には、終身刑や有期刑が言い渡された
 ☆極刑に処せられた東條英機
 *彼の独断で開戦が決められたわけではない
 *誰が首相でも同じ決断を下したともいわれている
 ☆彼だけに戦争責任を押しつけることはできない
 *対米英開戦での最高責任者の座にあったことは事実だ

ギリギリの交渉の末の開戦
 ☆東條は、メモ魔といわれるほど凡帳面な性格
 *些細なことでもメモをとらなければ気が済まない
 *キレ者で「カミソリ東條」と呼ばれて恐れられていた
 ☆東條がが首相になったのは、アメリカとの外交交渉を続けるか
 *開戦に踏み切るかというギリギリの決断を迫られる時期だった
 ☆この時期に東條英機が首相に選ばれた理由
 *軍部を自重させるには
 *軍人出身の彼こそがふさわしいのではと、期待されたから
 ☆一度狂い出した時代の歯車は誰にも止められなかった
 *アメリカとの交渉を続けながら平行して開戦準備も行い
 ☆交渉決裂したらすぐに開戦するという方針が決められた
 *日米間の交渉は両者一歩も譲らないまま決裂
 *東條は開戦にふみきった

東條英機の生真面目さがあだになる
 ☆日本が勝利を続けた開戦当初
 *東條は欧米列強からアジア諸国が独立することを奨励
 *大東亜共栄圏の構想を掲げた.
 ☆″アジアの共存共栄″とは名ばかり
 *実質上は資源の確保をしたい日本の占領続治だった

 ☆ミッドウェー海戦の敗北から、日本の戦況は悪くなる
 *東條への批判も高まり、東條内閣は崩壊した
 ☆戦中、アメリカと和平交渉に入る機会は何度もあった
 *勝利を収めている段階で交渉に臨むこともできた
 ☆「戦うからには勝たなければならない」を信条とした東條
 *あくまで戦いを続行した
 *彼の厳格な性格が時流に災いした結果
 *大平洋戦争という悲劇は起こってしまった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』



「東條英機」「東條の性格」「日本国敗戦」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

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