慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「五・一五事件」「三上卓」「犬養毅」

2024年03月11日 | 歴史
🌸現役の首相を銃殺した三上卓
 
官邸に押し入り犬養毅を暗殺する
 ☆「五・一五事件」昭和7に発生したクーデター
 *4年後に起きた「二・二六事件」
 *どちらの事件も青年将校らが昭和維新の旗の下に
 *政治家や官僚を襲つた事件
 ☆二・二六事件では1000人以上の兵が動いた
 *五・一五事件に関与したのはほんの30人ほど
 *五・一五事件がなかったら二・二六事件は起こらなかった
 ☆主犯の一人三上卓
 ☆三上は当時27歳の海軍中尉だった
 *右翼団体に影響を受けて国家改造という思想に傾倒していった
 *五・一五事件では首相官邸の襲撃のリーダーとして
 *当時の首相である大養毅に銃を向け殺害している
 ☆軍法会議では禁固15年の判決に止まったうえ
 *実際には4年ほどで仮出所した
 *首相を殺害するという大罪を犯した彼が
 ☆4年あまりで仮出所できた理由
 *一般公開になった軍法会議にあった
 *三上はそこで多くの傍聴人の同情を集めた

話し合いに応じず「問答無用」で殺す
 ☆三上は軍法会議で述べた
 *覚悟のうえで行ったことで罰せられることに異論はない
 *今の支配階級は皇国を危うくするの言葉に人々が共鳴した
 *黒岩がいなければ三上は大養に言いくるめられていただろう
 ☆三上は詩的センスがあった
 *軍歌のひとつ「昭和維新の歌」の作詞を手掛けている
 *そのセンスがなかったら三上の運命は違ったものになっていた

三上の行動は、のちのクーデターに影響を与えた
 ☆殺害されたのは犬養一人だった
 *世界恐慌の直撃を受けて困窮していた世相や
 *雄弁な三上の陳述によって
 *五・一五事件の犯人グループで
 *死刑になった者は一人もいなかった
 ☆寛大すぎる処置がのちに二・二六事件を起こす
 *青年将校らに、誤解を与えてしまった
 *二・二六事件に加わった反乱将校たち
 *五・一五事件の前例があり
 *自分たちに対する量刑もそれほど重くはならないと信じていた
 ☆二・二六事件ののちに開かれた軍法会議は非公開になった
 *事件の首謀者は全員死刑判決を言い渡された
 *そう考えると、昭和の動乱の引き金を引いた元凶は三上卓だった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の黒幕』



「五・一五事件」「三上卓」「犬養毅」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「美徳ゲーム」「推し活」「... | トップ | 「識宇率」「家族形態の変遷... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事