マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

案外、誤解してるかも・・・

2008-07-03 12:13:58 | 教会の風景
昨日の祈祷会で学んだところです。
考えさせられる内容です。


「イエス・キリストの受難」 ジョン・パイパー著



イエス・キリストが十字架で死んだのは・・・

32課
「私たちが自分のためにではなく、キリストのために生きる者となるため」



引用となる聖書箇所 コリントⅡ 5:15

「キリストがすべての人のために死なれたのは、
生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」


昨日も著書の本文から、3つのポイントを挙げて学びました。
罪の本質とは?
キリストの死は崇められるためだったのか?
キリストのために生きるとは?


どれも大切な視点ですが、ここでは特にを取り上げたいと思います。
今回のメインのポイントです。
「キリストのために生きる」ということについて。

私たちは・・・
「キリストのために生きる」ということは教会の活動や運営に貢献することだ
と考えます。
確かに、それは完全な間違いではありません。
そのような要素もあります。

しかし、それは「キリストのために生きる」ことの中心ではありません
神様は私たちの助けがなくても、ご自分ですべてのことを行うことのできる方です。

「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」(使徒17:25)


むしろ、「キリストのために生きる」とは・・・
「・・・私たちがキリストを限りなく価値ある方として見、味わう・・・」ことを意味します。(p133 l15)

そこから生まれる喜びや感謝が、行動に反映されていくということです。
行動(形)から入ると、本末転倒です。

私たちの関心を主イエスを見ることに集中させたいものです。
そうする時、私たちの心は満たされ、本当の幸いな人生を経験することになります。


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