愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

高村光太郎の戦争と反省

2015年01月14日 | 平和の思想
戦意高揚のための戦争協力詩を多く発表した高村光太郎
総ての日本人がそうであったように敗戦の衝撃をどう受け止めたか?
 昭和4年智恵子の健康悪化、昭和9年偉大な父を亡くし、昭和13年には
智恵子を亡くした衝撃と以後の戦争協力詩を発表、昭和20年東京大空襲で
工房、作品焼失。
 戦後は岩手花巻郊外に粗末な小屋を建て、7年間独居自炊の生活を送った。
詩「終戦」では 「われ現人神にあらずで六十年の重荷は消えた」
家長制度が色濃くあった時代、その頂点は天皇であった。

 父は上野公園の西郷隆盛像 皇居前広場の楠公像 作成 高村 光雲 
 智恵子抄 「あどけない話」 智恵子は東京に空が無いといふ、 青空文庫参照
戦後の詩集 典型 東北文庫参照
 多くの人々に悪罵せられ、軽侮せられ、所罰せられ、たはけと言はれつづけて来たもののみである。私はその一切の鞭を自己の背にうけることによつて自己を明らかにしたい念慮に燃えた。私はその一切の憎しみの言葉に感謝した。私の性来が持つ詩的衝動は死に至るまで私を駆つて詩を書かせるであらう。そして最後の審判は仮借なき歳月の明識によつて私の頭上に永遠に下されるであらう。私はただ心を幼くしてその最後の巨大な審判の手に順ふほかない。

高村光太郎と父・光雲より
高村光太郎は、戦時中、詩人の先頭になって戦争協力詩を書き、戦後にそれを詫びるような「暗愚小伝」を書いたと言われている。それは、「暗愚小伝」の中にある「真珠湾の日」という作品を主な根拠に言われてきた。しかし、東京裁判史観の論者がいうようなものであるのか、大変疑問である。私はいくつかの作品を取り上げて、光太郎の大きな問題は、父・光雲との相剋であったことを明らかにしたいと思う。

 終戦
   すつかりきれいにアトリエが焼けて、
   私は奥州花巻に来た。
   そこであのラヂオをきいた。
   私は端座してふるへてゐた。

   日本はつひに赤裸となり、
   人心は落ちて底をついた。
   占領軍に飢餓を救われ、
   わずかに亡滅を免れている。
   そのとき天王はみづから進んで、
   われ現人神(あらひとがみ)にあらずと説かれた。
   日を重ねるにしたがって、
   私の眼から梁(うつばり)が取れ、
   いつのまにか六十年の重荷は消えた、

   再びおぢいさんも父も母も
   遠い涅槃の座にかへり、
   私は大きく息をついた。
   不思議なほどの脱却のあとに
   ただ人たるの愛がある。
   雨過天青の青磁いろが
   廓然とした心ににほひ
   いま悠々たる無一物に
   私は荒涼の美を満喫する。


道程
   僕の前に道はない
   僕の後ろに道は出来る
   ああ、自然よ
   父よ
   僕を一人立ちにさせた広大な父よ
   僕から目を離さないで守る事をせよ
   常に父の気魄を僕に充たせよ
   この遠い道程のため
   この遠い道程のため


わが詩をよみて人死に就けり

爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の太腿がぶらさがつた。
死はいつでもそこにあつた。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になつて私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向つた。
その詩を毎日よみかへすと家郷へ書き送つた
潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。


報告 智恵子に

日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で、
日本の再教育と人はいひます。
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲の中にゐて
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に遂ひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。


元素智恵子
  昭和24年10月 発表 とあるので岩手の小屋住まいでの作?、智恵子抄は昭和22年発刊、智恵子抄その後 昭和25年発刊に編集? 

智恵子はすでに元素にかへつた。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食ゑじきにさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過(あやまち)、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
智恵子はただ嬉々(きき)としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ

 
元素智恵子は奇跡のバースデーカードでの
  私がある限り貴方はあり
    貴方がある限り私はある

  いとし君 わがある限り とはに有り
     君ある限り 我も亦ある
と同じ認識です。どう表現すべきかは不明ですが、
共感共存の存在とします。
自己喪失としての共鳴存在ではありません。

  

麦の唄 c/w 泣いてもいいんだよ / 中島みゆき (Short ver.) [公式]

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