愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

アホケン 阿呆謙助 自己紹介

2023年09月11日 | 自己紹介
阿呆 謙助 アホケン アホで十分です 1951年11月生まれ
ソクラテスの無知の知では無く、親鸞の愚禿(ぐとく) 凡夫、おろかなハゲに習いました。ケンは昔から多くの好き者で有名な名前から付けました
アホは紳士たるを旨として人生を歩んでいましたが、愚禿(親鸞出家時の名称は範宴)は聖人聖道であることを諦めました。官僧(国立の戒壇で授戒をうけた僧侶)として比叡山で修行する中で、人間は生命としての本能があり、食欲や性欲、睡魔、とりわけ女犯とされた性欲に真剣に悩み、抑えることは困難であると自覚して非僧非俗として妻帯、肉食の生活でも救われる世界を主張しました。
年を重ねると好き者の方が気楽で元気です
自己抑制、抑圧よりも自己解放の方が楽しい
若い頃よりそうであった方が楽しかった?
難しい問題です。生活力と性分との塩梅
羽目を外して苦労する人が多いですから
サルトルのように自由恋愛OKの結婚など
想像すらできない時代でした。今も?

私は逝きます 82才が希望する享年です
私は臆病でしたが、今は死を恐れません
信念や信仰ではありません実感です
” きづき ” 気付きです
呪縛からの解放、たんに人類の歴史そのママです
愛すべき多くの人が私の中で伴に生きています*
AS FAR YOU ARE ALIVE,I AM THERE. 略して AS FAR YOU'ARE
わたしが生きているかぎり、あなたはここにいます
あなたが生きているかぎり、わたしはそこにいます
*私の人格の一部です、縄文時代よりも人間的に成長?
 ならば
多くの人をより深く愛することが
私がより長く生きる、唯一の方策です

500年ほど前、親鸞から8代目門主の蓮如のように  
70才代で50才若い5人目の妻をめとり
83才までに7人の子、合計27人の子沢山   wiki情報
甲斐性の無いアホには絶対に不可能ですが
元気は食と運動、気持ちは不屈
せめて私の心を受け継ぐ子沢山でありたい

人生は寒く、心が凍る日々もありますが
暖かい日差し
温かい人との出会いの中でしか
人間として成長しません
皆様にも暖かい温もりと
いい人との出会いがありますように
そして、暖かい温もりのある社会を

 追伸1:
 私が生まれたのは団塊の世代より少し後、朝鮮戦争の真っ只中です。
当然、当時のことは知るよしもありませんが、食料事情もだいぶ良くなったようです、メリケン粉(小麦)の厚いお好み焼き、すいとん(小麦を練った)の味噌汁が記憶に残っています。当時は未だ米穀通帳があった時代です。敗戦前後の都市での食料難はヤミ米のひどい時代で、裁判官が一人、配給のみの食事で餓死したそうです。小5の林間学校ではお米持参で驚いた記憶があります。
 年のいった先生は戦前から学校で教えていました。戦前の皇国・軍国教育のかけらはありませんでしたが、親を含め自信なさげだったように感じます。しかし、親は先生の、先生は親の言う事を聞け、というのが常套句でした。私の先生嫌いは先生にオベッカを使うことで拍車がかかりました。 
 つい最近、永らく苦労をかけた母を亡くした時、
仏教詩人と言われる坂村真民
 花は散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

に出会いました。生きている人とは会話しなければ意思疎通は完成しません。しかし、死者とは私の中で対話が可能です、私の人格の一部として母は存在しています。これが私が実感として死を恐れない ”きづき” です。

 追伸2:
 多くの人をより深く愛すること 理解しにくい表現ですが、西郷隆盛の「児孫のために美田を買わず」という言葉があります。祖先から受け継いだ財産に感謝し、子孫に財を受け渡す封建的な発想を無視する、個人的なエゴではありません。陽明学の知行一致、敬天愛人。今の社会をよくするために何が必要か?それを今、実行実現することが次世代のためである。を "多くの人をより深く愛すること" と理解して下さい。良き文明文化を作り遺産を残すこと、そこに邁進することが人生の楽しさと元気のみなもとです。
 失恋の数だけすばらしい女性に出会える。”スゴイね!” あなたにほめられたくて、賞賛の声と眼差しが欲しくて頑張る。自分より大事にしたい人、未だ出会えない多くの人がいます。世の中半分は女性です、ほめられたい愛情飢餓がヒーローを誕生させます。エゴがエゴで無くなるとは、昇華した? 愛 
 今日、民主主義が多数派が正義とする自由主義によって人権が歪められています。自由主義が差別や偏見で人権を無視する日本。国際的に低迷する自由度を謳歌し、迎合する悲しき社会。
 人間の権利(国連の世界人権宣言)は人権・平等・平和 です。
  自由・公平・ 愛  が人間社会の
   愛 ・公平・自由 が 宗教 の摂理 です 

 追伸3:
 私がより長く生きる、唯一の方策です これも理解しがたい、あいまいな表現です。あの世は無いとするか、あの世を信じるか?の2択問題。後者にかけた方が楽しみが有り、あの世で現世での行いの懲罰があると考えた方がムチャをしない。という考えがあります。しかし、あの世は関係ないとする立場(たとえ、あの世が有ったとしても、多くの優れた先人があの世を良いようにしている確信があります。あなたの信じる宗主も、私も逝ってちゃんとしておきます。安心して下さい。)から言えば、虚構の中で現実を見ない。辛辣に言えば、歴史の中での差別や支配の現実から逃避して虚構の価値判断の中で生きていると言えます。
 近年、司馬史観とヤユされる(自由主義史観は戦後教育は自虐史観として教育改革を押し進めています)司馬遼太郎ですが、小学生だった娘の国語の教科書に氏の遺言とも言える文章がありました。
 ”21世紀に生きる君たちへ"
  私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史のなかにもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。」・・・
 「鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、大切にしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格をもたねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。」
 
興味がある人はweb検索で
 かつて たくましく やさしさありて たのもしい がモテルための要件と理解しました。今はさらに、私達は歴史の中で知識の集積による文明文化を生きている存在であり、これから時代はどうあるべきか?を問い、歴史の潮流の中で新世代を創っていくことが ”たのもしい” 存在です。
 宗教が命の人にとっては、歴史はそこで生きた人の証ではなく、単なる出来事の積み重ねです。あの世を信じる弊害は現実を歴史の中で評価しない価値観に毒されることです。或いは、我が宗教・思想が世界に普及すれば地上天国が実現する、観念的なドグマに陥っています。創造主があると考えても問題はありません。サタンを作り、創造主と同等に対立させる愚はしないで下さい。歴史を見よ、現実を見よ、ただ今に生きる。 
 私が在る限りあなたは有り、あなたが在る限り私は有る
 この過去・現在・未来に渡るラブメッセージが人類史のエポックとして普及することが、アホの役割だと考えています。あの世があるとする宗教が変わらないならば、置き換えるために原始釈迦仏教、生命賛歌の宗教を作る必要があります。第二次大戦後、インドの憲法の父と言われるアンベードカルはカースト制度外の不可触民の出身です。平等の宗教として仏教に数十万の同胞と集団で改宗しました。しかし、日本でも仏教が平等と言っても、社会的に女性差別を温存したママだったように、彼もキリスト社会の抑圧から脱する古いスローガンである自由・平等・博愛を旨とした自由主義社会の失敗があります。
 今は孤立無援のアホが一人で思考を深めている段階ですが、昔と違いSNSの普及ですぐに拡がる可能性があります。歴史を振り返っても協賛する人が拡散させることで一気に拡散しました。あなたがよき理解者であらんことを。自由主義の横暴によって日本は、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義がおかしくなっています。多数派を再結集する必要があります。
 政治的スローガン 憲法を守ろう
 人間社会の原則は  人権・平等・平和
  原理は 自由・公平・ 愛
           愛 ・公平・自由  が宗教の摂理 です

 追伸4:
 ソクラテスは「無知の知」知れば知るほど無知であることを知る。と言いました。真理、真実、正論等、言葉の使用はミソクソです。証明された事実では無く、真理と言えば真理、真実と言えば真実と自動的に理解されるor理解する全知者と理解して下さい。簡単に詐欺師になりorサギに欺されます。

 追伸5:自由主義史観にもとづく新しい歴史教科書が作られています。自虐の反対は自由。そうです、自由という思想では無く、戦前の保守層に迎合する自由です。戦後のフランス5月革命を源流とする性の解放、男女同権、LGBTに一貫して反対する自由。歴史の流れに逆行する自由です。市民革命?歴史教科書でも



自己紹介文を書きましたが入らなかったため 随時更新します
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