愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

人間社会学 原論 (3)生きる目的とは、自分とは?言葉は第2の遺伝子DNA

2019年12月28日 | 人間社会学 原論 (3)生きる目的とは
人間社会学 原論
3、生きる目的とは、自分とは?言葉は第2の遺伝子DNA 
更新2019/12/28

 一人の人間、一つの生命の存在、自分とは?生きる目的とは?存在と認識の統合
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
他者と自己との関係で表せます。
 それは、人間が生物として、そして、文明文化を受け継ぎ発展させて来たホモサピエンスの歴史、人間社会の一人の人間の生死、世代交代という命の連鎖があります、そして、文化の継承発展の歴史的な事実です。生物的な祖先、父母のDNAを受け継いでいます。そして、人格や人間性を形成する先人の文明文化を言葉として受け継ぎ、未来に発展させ伝える存在です。言葉は単に意思疎通の手段では無く、思考し意識する手段として言葉があります。言葉は第2のDNAと言えます。
 これは人間の存在と認識を統合するものであり、アインシュタインが宇宙の法則 エネルギーと質量を統合する法則 エネルギーは質量×光速の二乗に等しい E = mc2 としましたが、それに相応する世界観です。 天在我有 我在你有 你在我有 

 私が在る限りあなたは在り、あなたが在る限り私は在る
As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
これは観念論でが、認識論であり生物史に基づく存在論であがゆえに唯物論とも言えます。
 注:私はこれを読む貴方自身です。私であって私でない人間として一体です。
 As long as I am, you are exist. As long as you are, I am exist.
 人生の共通解です。私は何者かのアイデンティティーです。その前提として、生きる目的は命のバトンを受け渡すことです。生きること、命をつなぐことです。
 愛する人が逝くときの覚悟であり、或いは、自分が逝くときの覚悟です。今何をなすべきか、そして未来への希望です。
 
 生命の絆。愛とは私とあなたとの一体化、人格の合体の喜びです。私は多くの人を知れば知るほど恋い焦がれる愛すべき多くの他者がいます。しかしおよそ叶わないのが現実です。あなたに認められる、スゴイ!の賞賛を得たくて努力し成長する人間の姿があります。
Even if the love is happy ends or broken heart.
You must get self confidence and a pride by it. You have a fact you loved the lover.
You can complete bigger personality. It's your deep and intense mind for lover.
You can live stronger and more kindly. It's your good life to get love and protect lover.
You change yourself to be more charm and greatest.
 人は時代の子として育てられ、自らの選択の中で学び成長します。

 私は祈りを捧げない、難行苦行に意味はなかったとした釈迦の弟子たるを自認します。釈迦の弟子ならば仏教徒?限りなく無神論に近い絶対者の意思を信じない汎神論者です。 共産主義者ではありませんが、政治的にはシンパシーを持っていますが、原始共産制の社会を金科玉条とする共産主義の無分別を肯定しません。原体験として少年期から思春期の中で家族や社会の支配を受ける常識、掟と自我の対立、生きるためにどう肯定するか服従するかの選択、自由と隷属の葛藤と対立がありました。原始共産制の社会は弱肉強食の動物界から少し進んだ人間社会にすぎません。
 1975年からのカンボジアのクメール・ルージュの悲劇は単に原始共産制を目指した虐殺だけで無く、ベトナムの侵攻にによって終結するというベトナム戦争後の冷戦下での国際政治の問題でもありました。国家間の対立は理念と利益等が複雑に絡(から)んだ国際問題です。
 社会の権威常識と未成年の間には支配と服従、掟との対立があります。無分別にそのまま受け入れる人々もいます。順送りに従う、或いは、反逆。それはどんな時代にあっても総ての人に共通する問題です。無批判に掟を受け入れる誤りは差別を継承し、そして、対立は人権意識の確立とともに対立は弱くなる筈です。例、子どもの権利条約
 WHO(世界保健機関)は憲章で、健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、單に疾病又は病弱の存在しないことではない。最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一である。ならば、平和とは人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに生きる万人の有する基本的人権です。
何故、敵対するか?相手に対する不信不安が恐怖と差別意識を煽ります。

 アインシュタインは「すべての組織された宗教に反対」する汎神論、宗教人とは、死も生も恐れず、盲目的な信仰を持たず、自分の良心だけを信じる。
昨年76才で亡くなったブラックホールのホーキング博士は23才でALSを発症し50年の間死を見つめながら科学者として無神論を唱えました。科学法則が宇宙を支配しており、そこには神の存在する余地はない。偶然が重なって宇宙が誕生し、生命や人間も誕生した。
 2千5百年前に釈迦が興した原始仏教は宗教とは縁遠いものでした。盲信的な原始的宗教の輪廻転生の呪縛を解脱によって解放しました。自灯明、法灯明という中庸を旨とした修行による悟りです。彼の偉大さは難行苦行を納めても得るものはなく、死後を語らず、自らを偶像とすることを否定し、弟子には自らをより所とし法をより所として自省し覚悟することを薦めました。そして彼は祈る行為をしなかった。
 しかし、後世の弟子達は方便を認め、現実と宗教に迎合しながら、不合理な常識を是として死の恐怖をあの世の存在と祈りによる救済、末世末法で変化が拡大しました。
 汎神論と無神論。それは釈迦の天上天下唯我独尊 中国語では上天下地唯我独尊 出典は唐の玄奘三蔵の大唐西域記ですが、かなり盛っていますが、生誕すぐに歩き出して話したと伝承されています。玄奘がインドの仏典からの訳か意訳かは不明、解釈は様々ですが、スマップの世界に一つだけの花の世界と理解するのが妥当と考えます。釈迦は命ある物は平等に尊い。絶対の自己肯定です。それは他者肯定につながります。釈迦が弟子に自灯明、法灯明に従う教えからも当然です。
 偏狭な宗教者が唯物論者を物質的な欲望を満たす刹那主義、利己主義とみなす考えを持つ人がいます。資本主義の中で自由主義、個人主義が刹那的利己的な社会を増長させている現実に目を向けません。観念は言葉を自由にあやつり、現実から乖離しても空想を言葉で構築できます。科学には心が無いとして、科学を無視し、否定することと同じです。科学の知見を合理化しえない教義は錬金術と同じ幻想です。未だに進化論を教えない州政府を抱えるUSAが世界をリードする大国である筈がありません。思想信条の自由があります。個人の信念は尊厳として認められるべきです。しかし、次世代に嘘を教える権利はありません。自由主義の危機、破綻です。
 煩悩成就 久遠実成 山川草木悉皆成仏 生死一如 をどう理解するかは人それぞれですが、現在の仏教の概略として理解します。38億年前に生命が誕生した時よりの生命史の大原則、人生の生きる目的は「生きること命をつなぐこと」です。無性生殖から有性生殖へ、世代交代によってとわ(永久)に命をつないできました。それが生きる目的?とガッカリされるかも知れません、しかし、人を愛すること、幸福な人生、人間性を高める、等を人生の目的とした場合、それは社会規範となって私達を縛ります。人を愛し幸福な生活はよりよく生きる手段です、人間性を高めるのも手段です。目的としてはなりません。なぜならば人間の尊厳は愛や幸福、人格によって計るものでは無いからです。命あるものはすべて尊い、それが人権です。
 そして「世界平和のための戦争」のように本末転倒な言葉を否定できません、論理が逆転していても言葉が存在します。少しでも違和感を感じれば反対を貫くべきだったと戦後述懐した吉本隆明。感覚感情が感知する違和感、そこから逃げるべき必然性がありました。

「念ずれば花ひらく」で有名な仏教詩人の坂村真民は「わたしは墓のなかにはいない」
わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
だからわたしに会いたいなら わたしの詩集をひらいておくれ
わたしは墓を建てるつもりで 詩集を残しておくから
どうか幾冊かの本を わたしと思うてくれ ・・・

 宗教は祈りが必須条件です。意思ある絶対者との一体化でもって完成する人格、懇願であり、又は許しを請います。安心して下さい。たとえ来世が待っていたとしても、あなたが祈る教祖が来世を良くしています。そして、多くの先に逝った親愛なる人々が良くしています。
 祈れば願いは叶うのでしょうか?宝くじは確実に当る人がいますが、当否は確率によってランダムに決まります。そして多くの人の願いは叶いません。それは武運長久の祈願やお百度参りの祈りが砕けた多くの涙と同じです。神仏など無い、過酷な戦場で地獄を見た兵士や家族の実感です。
 宝くじ当選の祈りは不確実な未来への願望ですが、誓いは宝くじが当たるまで買い続ける意思ですが、一万年たった後でも不明、大多数は夢を買うのが現実です。それよりも、エンゼルスの大谷選手の3×3マンダラチャートの方が有効です。お金は有れば有るだけ苦労のネタが増えます。

 イチローの言葉に、当たり前だと思っている常識を取り払うことで飛躍できる。があります。私達の生活がどれだけ慣習に依っているか、それに問題が無ければ変化する必要が無いからです。変えるためには新たなカタチを構築するエネルギーが必要になります。又、形式と習慣の無いところには、どういう表現も行為も存在しないとも言います。
 常識は時代、文化そのものです。言葉は意思伝達の手段として始まり、人の思考の手段として動物から人間へと革命を起こしました。共同社会の中で習得形成され文明文化を構築するものです。言葉-常識-言魂 常識が問われるのはそこに問題があり、不都合が発生するからです。言葉は時代に応じて変化します。 
 生物的には遺伝子DNAが人を規定しますが、人間としての知性、文明文化は言語によって後天的に学び体験を重ねることで人間として成長します。言語は第2の遺伝子DNAと言えます。動物から人間への飛躍は言葉の発展、進化でした。両者の大きな違いは遺伝子は体内の各細胞の中にあって必要に応じて活性化しますが、言葉の第2の遺伝子は社会の共同体にあって各人が多種多様な価値観を包括しながら発展します。
 一人の人間は言葉の学習と経験によって人格を形成します。何を受け継ぎ発展させるかは個々の問題です。人類の歴史はおよそ500百年前迄で遡ります。旧石器時代は200年前、新石器時代は農耕が始まった時からで1万数千年前、メソポタミア文明、古代エジプト文明が5千年前。日本での文字は古墳時代から飛鳥時代に漢字として流入しました。 仲間の声、合図から生まれた発展した言葉から森羅万象を表現し、今日では自然言語以外に楽譜や科学用語として数式やコンピューターの形式言語など飛躍的に発展しました。
 言葉は言葉によって学習できますが、抽象的な観念の理解は五感と言われる感覚、体感そして感情、情緒として喜怒哀楽愛憎、恐、共感の経験により実感します。言葉には意味がある、人は言葉で考える。意味の無い音でも感情、情緒を人に伝えることが可能です。合理的か不合理かを問わない、言葉はそれ自体が存在します。しかし不要な言葉は死語となります。胎児が脊椎動物の進化の過程をたどりエラや尻尾がアポトーシスによって消滅するが如、言葉にも成長に応じて獲得し、死語になるものもあり得ます。
 文明文化を遡れば多くの新しい発見発明がエポックを起こしました。言葉、火、文字、農耕、印刷・・・天動説、進化論、19西紀以降の累乗的な科学の発展(相対性理論、ビックバーン、IT、DNA解析等)によって価値観の構成に変化をもたらします。
 価値観に強いインパクトを与える感覚は恐怖です。生死に直結する恐怖と伴に思考や言葉、脅迫による恐怖があります。飢え渇きが恐怖である様に想像力は全てを恐怖と不安に陥れます。
現代日本の悲劇はアベ自民や維新が現状を正すためには戦前への懐古であり、自由主義社会での、自己責任と個人の自由の差別意識にあります。引きこもり100万人のいのちに対する侮蔑があります。
 宗教や思想、言葉の相違からの対立、差別が憎悪となって幸福と平和な生活を享受出来ないことです。世界のありふれた対立、戦争が人々の命を奪い平和な生活を破壊します。平和は基本的人権の前提となる人権です。
平和のために戦争する懲りない現状。世界に充満する対立、不寛容と不自制、そこには偏狭な偏見と無知、差別が充満しています。そして戦争をネタに商売する人がいます。寛容と融和によって平和を構築出来ない主要な原因は戦争を生きるためと正当化し、偏見と差別を温存さる常識です。
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人間社会学 原論(2)自由と愛 Liberty and Loving

2019年12月28日 | 人間社会学原論(2)自由と愛 Liberty and Loving
 2 自由と愛 Liberty and Loving
2019/12/28更新


 自由主義社会と自己責任が日本だけで無く、世界を席巻しています。そこでは”自由と愛”は別次元のモノであり、自由に対する憧れ、愛への憧れであって、時には対立する概念として二者選択するようなイメージが覆っています。
自由と愛はもとより対立する概念ではありません。夫婦や親子など対人関係で愛という言葉での束縛を受ける、そして束縛からの自由という構図があります。しかし、束縛という時点で対等な人間関係ではありません。支配と被支配です、個人の尊厳を認め合う関係ではありません。
 左手は愛、右手は個人の自由を謳歌して世界を占有しようとする新自由主義は”自由と自己責任”です。そこには自己愛しかありません。天を冒涜する二枚舌です。
 自由は個人の生きる権利、命をつなぐ権利です。一人一人の命を保証する普遍的人権です。他人の生きる権利を奪う自由ではありません。Liberty and Loving 愛は人に生きる力を与える原動力、生きる証です。 
 自由と愛をWebで検索すればキリスト教関連のサイトが圧倒的にヒットします。専売のイメージがあります。ここでの愛は神により与えらた愛 Freedomです。しかし、西洋(ヨーロッパ)の古代、中世、近世、近代、現代の歴史に於いてキリスト教が担った役割はどうであったでしょうか?中世の暗黒時代、「それでも地球は動く」とつぶやいたとされる宗教裁判、自由の女神に代表されるフランスの市民革命。
 教会の”自由と愛”、パウロが書いたガラテヤの信徒への手紙「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」
 しかし、虐げられる民と共に怒った人間イエスの「神の国に最も近い人」ならばメキシコを北上する難民、移民キャラバンの先頭に立ち、モーセが海を割ったように国境の鉄柵を溶解するかも知れません。
キリスト教会と人間イエスの違い、教会は神至上です。人と人の人間関係の以前に神を対峙させます。罪人よ 神はあなたがたが自由を得るために召し出された、・・・愛によって互いに仕えなさい。と言って神、教会の権威を人々の上に建てます。人間イエスならば互いに仕えあいながら他者と共に生きることを選択します。イエスは行動に自由と愛は同じ事として実践します。

自由が生きる権利ならば35億年の生命の歴史が自由の起源とも言えます。
生命は生きること、命をつなぐことを命題として自由の概念が確立しました。弱肉強食の生物界の中、同族同士でも争い生き残ってきた人間です。弱肉強食の世界は人類生存の危機となり、自由平等の権利が現代になって普遍的人権となりました。自由-人権は自分の思うがままに生きる権利では無く、他人の人権も守らねばならない二律背反の権利です。欲求を満たせばどちらかが斃れる彼我があります。釈迦は人生は四苦八苦、生老病死の他、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五陰盛苦は悟りと中道で解決できるとして、自灯明 法灯明 法に則り自分で解決すべし。自由が当然の人にあっては自他の自由は出家遁世や”閉じこもり”によって完遂されます。サルトルが「人間は自由という刑に処せられている」から(人間は自由であるように呪われている)はより文化的な香りがしますが、自由が持つ二律背反です。”自由と愛”が並列に記載されるのは”自由”の束縛を解除させるには”愛”が必要であり、”愛”の束縛を解除させるためには”自由”が必要だと言えます。

自由が35億年の生命の歴史が自由の起源ならば愛は知性が発達した数百万年の文明文化発展の歴史であり、人の生きる原動力が愛とも言えます。しかし、子の出産、授乳等は雌雄の分化、有性生殖の起源である20億年前まで遡った力です。
”私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある”
 この言葉を初めて使ったのは愛する人への究極の告白として生まれました。3次元が今の生きる世界ならば、時間を超えた世界で訴える愛の告白です。愛は生きる力、フォースです。人の力を最大限に発現させる力です。一人の人間の能力は弱く小さいけれど、過去の人であれ、現在の人であっても、個人が他と同化すれば能力は倍加することが可能です。他者との同一化が愛と言えます。そこには知性の発達が前提になります。
 高倉 健は 一番大事な自分より、大事に思える人がいる。人を想うことは誰にも止められない。あなたに褒められたくて。
 又、文化の継承は学習、真似がありますが、感化もあります。芸術しかり、かつて技術の継承は何年も同じ場を共有して、師匠の一挙一動を見ることで会得するものでした。広義に考えれば愛は生活そのものに有ると言えます。しかし、歴史は私利私欲で動いてきたという見方もあります。プラス思考マイナス思考によって世界の見方は一変するのと同じです。
 ”私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある”思い巡らせば、私は親や子供だけで無く、ピタゴラスや敬愛する人々は私が生きている限り私の中に在ります。私の存在は先人に負っています。同様に私の存在は次世代へ影響を必然的に与えることが可能です。このように考えれば、私の命はあと十数年かも知れませんが、死の恐怖はありません、私が逝ったあとに愛する人たちが生を謳歌してくれる信念があります。直接出会った人であれ、過去の人であっても記憶の中でその人が私を輝かせているからです。

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人間社会学 原論 Principles of Human Sociology

2019年12月28日 | 人間社会学原論(1)序説
人間社会学 原論 Principles of Human Sociology

 偶像から普遍的人権へ   -人間再興-
2019/12/28更新

 平成30年12月 3日
中井 天笑   


 1、 序

 リベラルアーツ Lberal Artsという言葉があります。教養・人間を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法としています。
 人はなぜ勉強しなければならないか? 文明を創ってきた先人の遺産・リベラルアーツを学ぶ為です。人はDNA遺伝子によって生物的に永続性を確保していますが、現代文明を創り上げてきた人類の人文自然科学は知的知識・思考方法がDNAとして現代人を人間たらしめる根本です。脳科学の発展は心の問題にもメスを入れてきました。一人の人間の心の働きと他者・社会との関わりを科学する人間社会学を提唱します。 
 自由と愛が人の最大の心の働きですが、英語では Liberty and Loving(能動的)  Freedom and Love(受動的)な表現が可能です。前者が本稿が目指すものですが、自由と愛を検索するとキリスト教関係のWebが出てきます。人間社会学は自由と愛
 Liberty and Loveが基本テーマです。

 人と人、人と社会の関係を論じるに時、大きな欠陥を内包しています。人間社会は一人の人間、個人の問題と人々が集まった集団社会の問題があります。
 福沢諭吉は学問のすすめ の冒頭で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
と欧米の平等主義を紹介しましたが、人は個人では無く、集団として、或いは共同体意識の抽象化した人として天と対峙させました。
 一般に抽象的な表現として、天は言た、人はこうであるから自分はこうすると自己を正当化してきました。社会の一員、人としての正当化です。個人ではありません。ここに抑圧と差別を温存させる要因が有ります。近代になって発明された概念、人権は天とは関係なしに人間社会の中で個人を確立するというコペルニクス的転回の意義がありました。
 人権は人間社会のルール、守るべき掟です。日本の憲法には
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 人権の各項目の記載がありますが、日本国憲法は国民に対し基本的人権は幾多の試練があっても永久に守り保持すべしと信託しています。
 基本的人権の確立は歴史的、思想史的に偉大な成果です。評価しないのは不都合な人への配慮しか有りません。教義に反するとして進化論を学校で教えないことと同じです。或いは、人は欲求のままに生きる権利があると誤解している人です。

 人は一個の人間として生きる権利がある。人権から普遍的人権の確立です。これは生物の生存目的 :生きること命をつなぐこと: 人間の生きる目的に合致します。
人権には思想信条の自由、信教の自由があります。しかし、他人の人権を侵害する自由は有りません。人は保守的です。習慣と様式を文化として、行動と思考の様式として継承発展させて来ました。社会の変化に応じて、思考と行動の様式は変化せざるを得ません。
 私は天の意思を信じない汎神論者です。残念ながら、自然科学の知見に対応しない教義を改めようと努力しない多くの教団の指導者がいます。その教義は歴史的な文化遺産です。

人は人と何をもってつながるのか? 文明の発達の中で、自然への畏怖や死の恐れ、祟りに絶対物を見いだし、自分探しの中で神という人に似た絶対者を見出しました。知性が芽生え、混沌としたカオスの中から現代の文明まで脈々と築いて来たのは先人です。知性の科学的思考は科学を累乗的に発達させた社会を実現してきました。そして、自分を育んだ祖父母、社会の人々があって初めて今の私が存在します。又、今 私が愛し私を慈しむ人々があっての私です。連綿と続いてきた世代交代の過程の中、今 に私があります。そして、未来も在り続けます。 もって 私が有る限りあなたはあり、貴方があるかぎり私はある 

 かつて 和辻哲郎氏は大正7年 偶像再興 で偶像は破壊されねばならない。しかし、偶像は再興されなければいけない。予は道義を説く。愛を説く。として昭和の戦争の時代、戦後を通じて、和辻倫理学を興しましたが、社会(国)と人との関係です。一人の人間としての個人を考慮していません。個人を人として抽象化したものであり、生命としての人間の営みによる根源的な個人に対ずる-抑圧と差別-が無視されているのは明らかです。
 恋愛で一人の人間を選択することは究極の差別です。人間の生物として営みが-抑圧と差別-を発生させる原因の一つです。個人の普遍的人権の確立と他者との合一感による自己確立が互いにできれば対等な他者との人間関係が築けます。

 人権は個人の自由を守るシェルターの役割を持ちます、しかし一方で他人の人権を守らねばならない制約であり、ジレンマ、二律背反になります。
 人は欲求のままに生きる権利があると誤解している人がいると書きました。その人は言葉を自分を疑うことを知らない。自我のあくなき拡大、法律の範囲内であれば何でも許されると信じています。そして、他人には道徳や倫理を押しつけます。自分がそれを行っていないからこそ、秩序が必要であると確信しています。
 一方で、自由の二律背反は論理的な人ほど、人格形成の途中で、自己肯定が確立出来ない等、様々な社会問題の発生原因があります。道徳や倫理を押しつけも人格形成に支障が発生します。

 自己確立を達成する概念としては愛があります。”自由と愛”甘美なイメージですが、人が生まれ成長の過程で獲得する必要があります。 偶像による”自由と愛”が”抑圧と差別”と同義語であってはなりません。
 愛とは何ぞや? 動物から人間として進化させてきた歴史、生きる元気、気力、希望を与える力であり、より人を成長させる原動力です。自由が人を守る盾ならば愛は人を動的に躍動させる矛です。言葉だけで無く、体験として実感する必要があります。自由と愛が自己矛盾しない人間形成が重要です。

 自由-普遍的人権-生きる目的  -生きること命をつなぐこと
 愛 -人間形成 -文明発展の歴史
         -人生の意義  -私が有る限りあなたはあり、貴方があるかぎり私はある
という構図が可能です。
 自由と愛という概念を対立ではなく、人間の生命として歴史、社会の歴史、生命の存在そのものが自由と愛と言えます。胎児が5億年の進化の歴史を再現するように人は誕生後は文化の歴史を学習して、現代の人間に成長します。
 再度
自由とは 一人の人間が生きること命をつなぐこと を保証する普遍的人権です。
愛 とは 文明文化発展の歴史であり、人生の意義を見出す力です。
 自由と愛は天から与えられたモノではなく、人々が何世代に渡って獲得してきたモノです。

三木清は人生論2、幸福について「幸福とは人格である」としました。同様に、愛とは人格である。また、美とは人格である。と言えます。
 美人美男子は顔?顔は表情を現します。化粧でなりたい自分を表現して下さい。顔を造形するのは人格です。人格を磨くことでなりたい自分になります。

宅島 徳光 大正10年ー昭和20年4月9日 24才没 手記
八重子 【軍歌】 戦友 渥美 清



奇跡のバースデーカードより要約

 あなたは私の生きる目的、力、希望、
あなたの喜びが私の幸せ、私は幸福である
   
   夕映えに 君が瞳の 輝きて
   我が青春の いのち沸き立つ

   瞳を閉じれば貴方に会える
   鮮烈な映像が脳裏に表れる
   熱い想いが眠れる感覚を復活し
   深く想えば、貴方の声が聞こえる
   貴方の鼓動、吐息 温もりを感じる
   歓喜に共鳴 共動した二人の細胞
   遠く離れても共振する覚醒

   天空では比翼の鳥となり
   大海では竜宮に遊ぶ
   鳳凰となりて時空をも旅する

   私が在る限り貴方は在り
   貴方が在る限り私は在る   

 たとえ 恋が失恋に終わっても、あなたは人を恋する能力があります。 人は選ばれるために頑張ります。そして人間として成長します。 人はより強く優しい人になります。そして、より魅力的で偉大になった自分を発見します。


 恋は究極の選別です。次世代に命をつなぐための人間性を問う選択という差別です。社会には多くの人がいます。その人が1番、十番、百番かも知れませんが、人間として何処まで夢中になれるか誠意があるかが問われます。人間形成は優越感と劣等感の狭間で自己肯定を獲得して人は成熟します。恋は性欲の人間的な発露、大脳新皮質を含めた衝動です。しかし、性の衝動は人間性を問わない大脳旧皮質の衝動としてあり、自意識の目覚めた男性の多くが日々苦労した衝動は女性蔑視や宗教家を産み、或いは、性や金銭等の自己欲望を達成が人生の目的と化するいびつな人格形成となります。性愛は人と人を結び付ける強力な力です。親鸞を救った救世観音と救世地蔵として対等に交歓を持つのが理想です。経験を重ね、少しでも相手を思いやれば、相手の喜びが自己の喜びに変化し人間として成長します。

 人間性が最後の勝利者です。 と結んだ与謝野晶子 人間礼拝 大正10年も御一読下さい。


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