「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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鎮魂の日 阪神淡路大震災から28年

2023年01月17日 10時25分20秒 | 日常のこと&写真
「鎮魂の日」
 阪神淡路大震災から今年で28年迎える。その時、私は兵庫県姫路市に単身赴任していおり、その日、妻がたまたま私に会いに来ていた。
 午前5時46分、ドーンという地鳴りと同時に眠りこけていた私の身体が突き上げられて宙に浮いた。家が激しく揺さぶられ、「家が崩れる」と叫んだかと思うと、妻の手を取り寝ぼけ眼で娘の名を呼んでいた。いるはずがない、娘は大阪の住まいにいるのに。
 頭を布団で覆いながら妻をかばった。随分長い時間揺れていたように感じた。そして咄嗟に娘に電話を掛けた。幸い回線が混乱する直前だったので娘と繋がった。無事だった。自宅の高層マンションも大揺れしサイドボードからテレビも落下、茶碗類も散乱したという。幸い家具類には地震に備えて倒壊防止策を講じていたので倒れずにいたことが娘を救った。
 「お姉ちゃんのところへ行きなさい」と非難を指示した。嫁いだ長女も近くのアパートで暮らしていた。
 頭のパニックも治まり冷静さを取り戻した私と妻。無事であったことにホットした。すぐに帰宅の用意をさせ駅へ送ろうと車を走らせたが、鉄道は当然動かない。高速道路は倒壊し閉鎖。
 国道2号線も入れず、丹波篠山へと抜けデカンショ通りを亀岡へと走った。JR亀岡から汽車で京都へと。私は亀岡から再び姫路へと戻ったが、車は大渋滞、大混乱で姫路へ戻ったのは夕刻近かった。
 管轄の神戸支社のことが気になったが行くに行けず、1週間ほど心配ばかりしていた。姫路港からメリケン波止場までの船便が開通し、神戸支社の支援に向かった。そのとき、あまりの悲惨さに本社報告のための写真を撮るのも被災者の方々に気が引けるほどだった。
 それから震災の支援と後始末がどうにか治まった9月末、私は会社を辞めた。その春、3月末で退職するため退職届を出していたが、震災の始末の目途がつくまで待ってくれと社長に依頼されその責務をはたすため延ばしていた。神戸の従業員、お客様の中にも亡くなられたかたもいた。東日本大震災においても福島に赴任していた時代の社員やお客様も亡くしているし、未だ行方不明の部下もいる。忌まわしき地震。

 17日は大震災のほかに、若くして亡くした弟の命日でもある。今日この日はお線香をあげ鎮魂の時を送る日としている。








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